【特集No.653】「日本秘湯を守る会」50周年座談会 “共生”の理念 次世代へとつなぐ

2024年3月1日(金) 配信

 1975(昭和50)年4月に東京・上野精養軒で33軒の仲間でスタートした「日本秘湯を守る会」(佐藤好億名誉会長、星雅彦会長、144会員)は創立50周年を迎える。3月13日には有楽町朝日ホール(東京都)で、記念式典「つなぐ秘湯 50周年の歩みと新たな挑戦」を開く。これに先立ち、半世紀にわたり会を牽引してきた佐藤名誉会長、星会長に加え、次世代を担っていく代表者らによる座談会を開いた。会の理念「旅人の心に添う 秘湯は人なり」の継承や、“共生”し “つなぐ”ことの意味を語り合った。

【司会=本紙編集長・増田 剛】

 ――日本秘湯を守る会は、「秘湯」という造語を生み出した朝日旅行会の創業者・故岩木一二三氏の提唱により、1975年に温泉宿33軒が集まり、創立されました。50周年を迎えての想いをお願いします。

 佐藤:右肩上がりの高度成長期のスタートから半世紀が経ち、人口減少時代のなかで、我われは50周年を迎えようとしています。
 経済や、社会構造も大きく変わりましたが、それ以上に旅の中身が大きく変わったように感じます。数字をひたすら追い求める旅行商品づくりがあるなかで、「旅に情けを」という感覚で経営している事業者が少ないのが現状です。現在の感覚との違いがあるとすれば、そことどう折り合いをつけていくかが一番難しい課題だと感じています。
 世の中の価値観が大きく変わったこの時代こそ、岩木先生が生きていてほしかったと思っています。
 我われの仲間は山奥の限界集落に住んでいて、温泉なくして地域の中で生きてはこられなかった集団です。ひと山越えたところの仲間との「共生」を最も大切にしながら宿を営んできました。10年前の会員は179軒でしたが、今は144軒です。できれば「旅人の心に添う 秘湯は人なり」という会の理念に沿った100軒程度まで絞られたあとに、50周年を迎えたかったというのが本当の気持ちです。数字を求めるのであれば、ほかにもさまざまな会が存在します。

 :私が日本秘湯を守る会の会長になってから7年目です。各宿のあり様は「百軒百様」であり、共生を目的とした理念が貴くて、岩木先生、佐藤名誉会長がずっと語り継いできた想いに我われが共感しているわけです。そこが魅力で、理念を共有しながら今日まで歩いてくることができました。理念がしっかりとあり、守ることができたから今も会が続いているのだと感じています。
 地域も特性も異なる宿が、共生の理念を実行していくために会として何をしていかなければならないか。勉強の連続で、会員の皆さんにご指導いただきながら運営しています。

 ――それぞれのお宿の紹介と、日本秘湯を守る会に入会されたきっかけを教えてください。

 安部:山形県・大平温泉滝見屋は、山形県を縦断する最上川の「ここから川が始まる」源流にあり、そこまで最後は長い距離を歩いて行かなければならない一軒宿です。
 例年4月下旬から11月上旬までの限られたシーズンの営業で、山岳の宿の代表ではないかと思っています。
 宿は116年目を迎え、私は5代目になります。会とのご縁は、祖父の代に入会させていただきました。
 当時、祖父の元にお茶を飲みに来るおじいちゃんがいました。幼少時に店番をしていた私を見て「お手伝いをして、えらいな」と声を掛けられた記憶が残っています。 
 後々にその方が岩木先生だったと知り、山奥の一軒宿まで目を光らせていただいていたことを感じました。祖父が岩木先生の指針に沿った宿づくりをやっていた形跡をあちこちで見つけることができます。

 君島:渓雲閣は栃木県の標高約1千㍍の奥塩原で、4軒の宿を共同源泉で営んでいます。
 200㍍ほど離れた場所から噴煙が上がっており、温泉宿がある集落に入ってくると硫黄の匂いが漂ってきます。湯量はそれほど多くないので源泉掛け流しの温泉をどうやって守るか、湯守としても大事にしながら17室の宿を営んでいます。 
 宿は温泉街の奥にあり、周りが静かなため、リピーターが多いのも特徴です。乳白色の硫黄泉が素晴らしく、温泉を目的に2泊ほどゆっくりと過ごされるお客様が多くいらっしゃいます。
 料理はせっかく栃木に来て下さったので、地元特産のヤシオマス(ニジマス)や、イワナのお造りなど、地の食材を中心に提供しています。
 入会したのは親の代ですが、宿は350年以上続いており、「何代目ですか」とよく聞かれますが、私自身も分からない状態です。日本秘湯を守る会創立30周年のときに私は学生で横浜にいましたが、会の理念などまだ十分に理解せずに式典会場に出席したのを覚えています。

 高橋:静岡県の西伊豆にある雲見園は、両親の代に入会しました。高校を卒業後、京都に7年間調理の修業をし、それから宿に戻ってきたので、自分にとって日本秘湯を守る会がどのような存在なのか、今勉強している最中です。
 「宿の目の前に海が開けているので、庭や玄関、お風呂、客室を綺麗にするように」と岩木先生がおっしゃっていたと両親から伝えられ、その言葉をいつも意識しています。「旅人の心に寄り添う 秘湯は人なり」という言葉の意味を考えながら、旅人と接し料理に向き合えば、「秘湯」というものの考えに少しは自分なりに近づけるのではないかと、日々学ぶことばかりです。
 当館は5部屋しかなく、家族4人とネパール人の従業員の5人でやっています。女将も若女将もお客様に積極的に話し掛けていますので、従業員の方にも「料理を出す準備はやっておくから、お客様とたくさんお話をしておいで」と常々言っています。
 温泉や料理を目的にお客様が来られますが、これとは別に「女将に会いに来た」とおっしゃっていただくことも多く、リピーターが8割、9割が占める宿なので、旅人と触れ合うということをとても大事にしています。

 ――宿のこだわり、大切にしている部分は。

 :新潟県・栃尾又温泉の自在館に来られる目的は、自分の体調を整えたいという湯治目的が主の宿です。このため、「温泉に入ることを邪魔しない」ということを最も大事にしています。
 子供のころは、1カ月くらい滞在されている湯治客もいて、気づいたら従業員になっていた人もいましたが、今は3日から5日、長くても1週間程度です。若い方は仕事があり週末しか来られないけど、月に2度、3度来館される方もいます。
 以前は一般的な料理でしたが、湯治客は心身を休みに来られ、あまり多くの食事を召し上がらないので、3―4年前から「一汁四菜」というお膳にしています。湯治を目的とした宿泊客が多い平日は8割が1人1部屋という宿です。
 長い時間入ることが栃尾又温泉の古くからの温泉文化ですが、「温泉がぬるくて上がれない」ので必然的に長湯になったのだと思います。長湯の文化を守っていかないとせっかく訪れてくださったお客様に応えるものを一つ失ってしまいます。
 温泉との関係を失うことは我われにとって致命的なので、「温泉とは二人三脚で歩いていく宿」になっていこうと家族と話しています。
 日本秘湯を守る会に入って、山の宿を営み、存続させる意味や、地域の山岳文化、温泉文化の担い手なのだということを、佐藤名誉会長や仲間の話を聞くたびに、とても励みになります。会の理念に沿って、お客様が訪れてくださる目的を勝手に見誤らないように、心掛けています。

 安部:日本秘湯を守る会の会員である限り、何をもって「秘湯」なのかというのは、それぞれの宿が考えるところだと思います。当館の場合、不便過ぎて、お客様に「秘湯過ぎる」と言われるくらい歩かなくては辿り着けない場所にあるため、宿泊していただくことで自分が一皮むけたような気持ちで帰っていただけるように、難しいですが「引き算」のおもてなしを心掛けています。
 地元の生活を感じられる時間、従業員ともお話ができるような距離感を大切にしています。あまり話されたくないお客様や、何か心の触れ合いを求められているお客様もいらっしゃいます。本当に小さな宿なのですが、関係性が深まっていくところを目指しています。厳しい環境の中で宿が自然や温泉を守っていく姿が、お客様を元気にさせる説得力になるのではないかと考えています。
 「一度は来たかった」というお客様がファンだとすると、「何とかこの宿を守ってやらなければならない」と思ってサポーターになっていただける関係性が理想だと思っています。
 一昨年、大きな雪害と2度の豪雨災害に見舞われて、半年営業なのに3回も大きな自然災害に遭いました。さすがに弱気になり、「山を下りようかな」とぼそっと呟いたところ、地元の仲間やお客様にご支援をいただいたのは、地道にやり続けてきたからかなと思いました。……

【全文は、本紙1932号または3月7日(木)以降日経テレコン21でお読みいただけます。】

〈旬刊旅行新聞3月1日号コラム〉――日本秘湯を守る会「創立50周年」  新しい歴史を作っていく力を感じた

2024年3月1日(金) 配信

 本紙1・3面で「日本秘湯を守る会」創立50周年座談会を掲載している。10年前の創立40周年のときも同様の座談会を開いたことを鮮明に記憶している。

 

 昨年末、静岡県・熱海温泉で開催された日本秘湯を守る会の定時社員総会で、佐藤和志さん(秋田県・乳頭温泉郷鶴の湯)から声を掛けられた。

 

 「古い資料を探していたら、旅行新聞さんの記事が出てきてね。とても参考になりました」

 

 その記事がいつの時代なのかはわからなかったが、笑顔で語り掛けていただいた佐藤さんのお話に、私はとてもうれしく、そしてありがたく感じた。

 

 50年という、半世紀にも及ぶ日本秘湯を守る会の長い歴史のどこかで、当事者に感謝されるほど本紙の先輩がしっかりと取材していたことを思い、使命感のようなものを覚えた。

 

 

 20年以上前に、群馬県・法師温泉長寿館を取材した。2月か、3月の冬から春にかけての時期で、長寿館に向かう山々や道路脇には白い雪が積もっていた。乗客のまばらなバスはゆっくりと細い山道を分け入っていく。「本当にこんなところに宿があるのか」と窓の外を眺めながら、なんだか心細くなった。

 

 やがて細い道がカーブして、歴史を刻む木造の宿「長寿館」が現れた。宿の周りにはたくさんの客で賑わっており、宿も、客も太陽の光を浴びて、雪の中で輝いて見えた。

 

 長寿館の岡村興太郎さんは囲炉裏の傍で、緊張気味の私にさまざまな話をしてくれた。それはとても古い時代の話で、長寿館の始まりにまつわるものだった。私は断片的にしか理解できずに、早く録音をしながら正式なインタビューを始めたい素振りを見せたが、岡村さんはすぐに察知して「まあ、まあ、まあ」という感じの表情で、「(そんなに焦らなくても)ゆっくりしていきなさい」と笑顔で言っているようだった。夕食をいただいたあと、岡村さんは大好きなお酒の瓶を持ってきた。2人とも赤い顔になりながら色々なお話をしてくださった。

 

 日本秘湯を守る会という言葉を耳にすると、名誉会長の佐藤好億さん、佐藤和志さん、岡村興太郎さんの3人の顔が瞬時に思い浮かぶ。そして今は、星雅彦会長(新潟県・栃尾又温泉 自在館)へと引き継がれ、「旅人の心に寄り添う」という理念が、さらに若い世代へと継承されていこうとしている。

 

 

 2011年3月11日に発生した東日本大震災直後の5月に、福島県・二岐温泉大丸あすなろ荘を訪れた。東北は地震と津波により未曾有の被害を受けていた。そして福島県は原発という別の問題も存在していた。

 

 佐藤好億さんは、秘湯の宿が地域に存在することの意味や、ブナの原生林、温泉を守っていくこと、そしてこの国におけるエネルギー問題の深い闇と溝の部分まで語っていただいた。

 

 夕方6時から日付が変わる12時まで6時間にわたる取材後、深夜1人で川沿いの温泉に入っていると、地響きのような轟音と大きな揺れを感じた。まだ東日本大震災の余震が間断なく続いている最中だったのだ。

 

 

 創立50周年座談会には、次世代を担う安部里美さん(山形県・大平温泉滝見屋)、君島永憲さん(栃木県・奥塩原あらゆ温泉渓雲閣)、髙橋大志さん(静岡県・雲見温泉かわいいお宿雲見園)も出席され、新しい歴史を作っていく力を感じた座談会だった。

(編集長・増田 剛)

 

クラブツーリズム、スキマ時間の日帰旅 「ちょこタビ」発売

2024年2月29日(木)配信

ちょっことお出かけ感覚で参加できる短時間日帰りツアー

 クラブツーリズム(酒井博社長、東京都江東区)は、スキマ時間にちょこっとお出かけ感覚で参加できる短時間日帰りツアー「ちょこタビ」を3月1日(金)から売り出す。

 出発から帰着まで6時間以内を目安に企画した半日観光バスツアー。従来の日帰りツアーのように、まる1日予定を空ける必要もなく、ゆっくり出発してランチや、夕方出発の夜景を楽しむツアーなどを設定した。平日に仕事をしている人も参加しやすいように週末中心の出発日を用意する。

 ツアーは、「季節のデザート・銀座でアフタヌーンティーと六本木ヒルズ展望台」(出発日6~8月、旅行代金1万5000~1万5500円)、「ガイド同行で渋沢栄一の足跡をたどる!旧古河邸&旧古河庭園 2024年新1万円札の顔!渋沢栄一ゆかりの地めぐり」(同5~8月、同1万円)など。

地域資源活用で活性化を 「嬉野温泉アウトドア共同事業体」設立

2024年2月29日(木) 配信

嬉野温泉観光協会とクロスプロジェクトグループが調印式

 佐賀県嬉野市の嬉野温泉観光協会(山口剛会長)はこのほど、クロスプロジェクトグループ(辻隆グループCEO、長野県・白馬村)と「嬉野温泉アウトドア共同事業体」を設立した。天然資源を活用したコンテンツ開発などを手掛ける同社と連携し、嬉野市の公共施設や公有地、地域資源を活用して観光振興と地域活性化をはかる。

 同事業体は、嬉野市の温泉や自然、お茶などの資源を活用したアウトドアコンテンツやアクティビティの開発・運営を通じて地域の魅力向上を目指す。また、地域DMOと民間事業者の連携による新しい観光振興と地域活性化のモデルとしても期待がかかる。

 具体的な事業として2月19日(月)から、市内の轟の滝公園で「嬉野アウトドアフィールド」の運営を開始した。同施設は嬉野茶を活用したテントサウナやデイキャンプを提供する。

フランス・パリで訪日PRイベント実施 能楽公演で日本の魅力を発信(観光庁)

2024年2月29日(木) 配信 

フランス・パリで行われた訪日観光プロモイベントの能楽公演(観光庁HPより)

 観光庁は現地時間2月22(木)~24日(土)の3日間に掛けて、フランス・パリで能楽公演を中心とした訪日観光プロモーションイベントを開いた。フランスからの訪日観光と消費拡大をさらに推進する目的で、能楽協会と共催で行われた。

 同イベントでは、日本から著名な20人の能楽師が渡仏し、3日間合計で910人の観光事業者、メディア、政財界や一般人に向けて能楽を上演した。能楽師による解説や、能面や装束を間近で見る撮影会などの体験プログラムの提供を行った。

 また、日本文化に造詣が深い現地ジャーナリストのクロード・ルブラン氏が登壇し、日本全国の地域の魅力についてPRした。

読売旅行、「アズ旅 in 沖縄」 キャンペーンツアー発売

2024年2月29日(木) 配信

描き下ろしグッズにかりゆし姿のコラボキャラが登場 ©Yostar

 読売旅行(貞広貴志社長)はこのほど、Yostarが運営するゲームアプリ「アズールレーン」とコラボし、沖縄の各所を巡るコラボスタンプラリーなどを楽しめるツアーを売り出した。1泊2日と2泊3日から選べ、発着空港や宿泊ホテル(11施設)なども選べる個人型商品として展開する。

 対象期間は4月13日(土)~6月17日(月)。ホテルは朝食付き。那覇空港(沖縄県那覇市)到着後から終日フリータイムのため、参加者は自由に沖縄の観光地やグルメ、スタンプラリーなどを楽しめる。

参加者限定ノベルティグッズ(イメージ) ©Yostar

 参加者限定特典に、①トートバッグ②ポストカード10種セット③ルームキーホルダー④ドアノブプレート⑤ハンドタオル⑥ベッドスロー――の計6点のノベルティグッズ付き。グッズは各ホテルのチェックイン時に、フロントで受け取れる。

限定特別仕様コラボルーム(イメージ) ©Yostar

 さらに、ホテルアザット那覇、ホテルアクアチッタナハの2施設では、等身大パネルやデフォルメキャラクターたちが装飾された特別仕様のコラボルームも用意する。同客室は通常客室より1泊1人につき1万円増しで、「ミニ色紙」の特典付き。

 期間中に行われるスタンプラリーは、観光スポットなどに設置された等身大パネルやポスターの2次元コードを読み取る形式。一定数スタンプを集めると限定ノベルティがもらえる。

 旅行代金は1人5万3500円~9万6000円。

鹿児島・瀬戸内市とJALがドローン事業開始 町民向けサービスを実施

2024年2月29日(木) 配信

ドローンの運航イメージ

 鹿児島県・瀬戸内町(鎌田愛人町長)と日本航空(JAL、赤坂祐二社長)は2月29日(木)から、町民向けにドローンを活用したサービスを開始した。平常時は医療関係品や日用品を定期配送し、災害時は孤立集落へ緊急支援物資の輸送を行うなど、島の暮らしを支える。ドローン事業を担うのは両者が昨年11月30日に共同で設立した、奄美アイランドドローン。

 同社は瀬戸内町の2次離島(加計呂麻島、請島、与路島)を含む町域の地理と輸送物資の特性に適応するため、航続距離や積載重量に優れている大型の物流ドローン「FAZER R G2」を使用。JALは運航支援として、目視外遠隔操縦をはじめ、高度なドローン運航管理や安全管理に係るノウハウの提供などで安全・安心な事業遂行を担う。

 また、今回の事業を離島物流ドローンの社会実装モデルと位置づけ、奄美群島全体への拡大も目指していく。

 

長栄館(岩手県・鶯宿温泉)が破産手続き開始決定受ける 負債は約28億7400万円(帝国データバンク調べ)

2024年2月29日(木) 配信

 長榮舘(照井久美子代表、岩手県・雫石町)は2月20日(火)、盛岡地裁に自己破産を申請し、同日破産手続き開始決定を受けた。破産管財人は太田秀栄弁護士(盛岡市)が選任されている。

 帝国データバンクによると、負債は約28億7400万円。

 同社は1952(昭和27)年6月に設立された鶯宿温泉の温泉旅館「長栄館」の運営業者。97年から98年にかけて約20億円を投じ、10階建て、客室数80室、収容人数約400人の規模に全館をリニューアルした。団体客や宴会客を積極的に受け入れ、ピーク時には年間収入高12億円台に達していた。

 しかし、景気悪化の影響を受け、2001年2月期の年間収入高は10億円台を割り込み、その後は、償却負担や金利負担により収益性が悪化していた。

 近年はコロナ禍で宿泊稼働率と業績が落ち込み、23年2月期の年間収入高は約1億9000万円にダウン、大幅な債務超過に陥っていた。

 この間、22年12月には9000万円余りの雇用調整助成金の不正受給が明るみとなり、追徴金を合わせ約1億800万円の返還を求められていた。

 加えて、「今年1月には国から約4000万円の補助金を不正に受給したとして前代表が詐欺の疑いで逮捕され、信用失墜と資金繰り悪化に加えて、公租公課の滞納もあり経営が行き詰まった」。

 なお、現在も営業は継続している。帝国データバンクによると、破産管財人は「民事再生ではなく破産となった理由の一つとして、『公租公課を滞納しており、民事再生中に差し押さえられると再生計画が頓挫してしまうため、破産を行うことにした』と説明している」という。

初のオールインクルーシブ 新ブランド冠した「アパホテルステイ〈富山〉」開業

2024年2月29日(木) 配信

テープカットのようす

 アパホテル(元谷芙美子社長、東京都港区)は2月22日(木)、新ブランド「アパホテルステイ」を冠した「アパホテルステイ〈富山〉」をオープンした。新ブランドは同社初のオールインクルーシブサービスを提供する。

 新ホテルはコロナ禍で昨年まで約2年間、富山県に宿泊療養施設として一棟貸しをしていた「アパホテル〈富山〉」を全館リニューアルした。サウナに特化した施設とするため、同社ホテルとしては富山県最大級のサウナ施設を導入した。

 オールインクルーシブサービスでは、宿泊者は朝食ビュッフェやサウナ利用、ラウンジのドリンク、夜食アパ社長カレーが無料で楽しめる。施設はサウナのみや日帰り利用も可能で、会見を開いたアパグループの元谷一志社長兼CEOは「地域に愛される施設を目指したい」と意気込んだ。

 また同社では「1ホテル1イノベーション」を標榜しているが、今回も新ブランドのほか、浴場洗い場の「左利き対応ブース」や「女性専用ランドリーコーナー」など新サービスも多く導入した。元谷一志CEOは「当ホテル次第では、今後『ステイ』ブランドを全国的に増やしていくことも検討している。まずは富山にお越しいただきアパの進化を体感してもらいたい」と呼び掛けた。

ジェットスター、新たなユニフォーム発表 就航20周年で制服一新

2024年2月29日(木) 配信

新たなユニフォームを発表

 ジェットスターグループ(ステファニー・タリーCEO、オーストラリア・メルボルン)は就航20周年を迎えるにあたり、ユニフォームを一新した。新たなユニフォームは、オーストラリアのファッションデザイナーであるジェネヴィーヴ・スマート氏がデザインしたもの。2024年後半から、オーストラリア、ニュージーランド、日本、シンガポールの5000人以上のスタッフが着用を始める予定。

 新ユニフォームの色は、航空機の窓から見える朝日と夕陽をイメージした。各デザインに、ソフトなオレンジと濃紺を採用している。

 パイロットのユニフォームは濃紺を基調とした。スタイリッシュなカッティングや新しい肩章、首元のスカーフタイのオプションが特徴となっている。

 キャビンクルーと空港スタッフは、濃紺とオレンジのブレザー、シャツワンピース、スカート、テーパードパンツ、ポロシャツ、コートなど、個人のスタイルや好みに合わせて用意した。

 現行のユニフォームは、ブロックテックス社と協業し、同社のリサイクル技術を用いてサステナブルな手法で廃棄する。

 タリーCEOは、「就航20周年を迎えるにあたり、次の10年を見据えて、これまでの歩みを表すものを社員とともに作りたいと考えた」とコメントした。