No.342 ハラール食材専門家に聞く - ムスリム客はこう受け入れろ

ハラール食材専門家に聞く
ムスリム客はこう受け入れろ

 東南アジア(ASEAN)からの訪日外客数は2003年の30万人から12年には69万人まで伸び、近年急成長を遂げている。経済成長にともない、中間・富裕層の拡大が見込まれ、13年は100万人を狙う。同市場のマレーシア、インドネシアにはイスラーム教徒(ムスリム)も多く、食事や礼拝など宗教上の配慮が必要だ。ハラール食材などの輸入販売に加え、ムスリム受け入れについての講演も行う株式会社二宮の二宮伸介社長に、受け入れにあたっての注意点を聞いた。

【伊集院 悟】

≪理解と心遣いを表す、「ハラール」の使用慎重に≫

〈イスラーム教〉

 ――まずはイスラーム教について教えてください。

 イスラーム教はアラーを唯一絶対の神とする一神教です。神はアラーだけなので、「アラーの神」という表現はしません。ムスリムは、ムハンマドが最後の預言者として語った内容が編集されたクルアン(コーラン、イスラムの法)の教えに従い生活しています。

 キブラ(聖地メッカのカアバ神殿の方角)に向かって1日に5回礼拝をし、イスラームの祝日である金曜日は、イスラーム教の礼拝堂である「モスク」やモスクの小さい規模「ムサラ」で集団礼拝をします。毎年イスラーム暦の9番目の月は、断食月(ラマダーン)で、日の出から日没まで飲食が禁止されます。厳密には飲食だけでなく、喫煙や怒ること、男女の交わりなども禁止。すべてを「我慢する」という意味があります。イスラーム暦の10月1日は断食明けのお祝い、イスラーム暦の12月10日は犠牲祭などがあります。

 

※ 詳細は本紙1505号または6月17日以降日経テレコン21でお読みいただけます。

繁盛旅館とそうではない旅館 ― お客を見ていますか?

 お客がたくさん訪れる宿と、そうでない宿の違いは一体どこにあるだろうと考える旅館経営者は多いのではないだろうか。お客があまり来ない宿では「うちは時代遅れの大型団体旅館だから」とか、「立地条件が悪いから」とか、「建物が古いから流行らない」など、さまざまな負の理由が思い浮かぶかもしれない。しかし、繁盛旅館といわれる宿を見ていると、そんなマイナスの条件はまったく関係ないことに気づく。どんなに不便な立地にあろうと、お客は遠路はるばる訪れるものである。

 先日、ある会合で、天皇陛下も宿泊される名旅館を訪れたが、驚いたことに、私たちの円卓は、最初から据えられていたメインの肉料理に一度も火を付けられないまま2時間の宴席は終わったのだった。宴会場には各テーブルに担当のスタッフもいて、そのほかにも別のスタッフが刺身やご飯、デザートなどを持って来ていたにも関わらず、最後までメインの肉料理に火が付いていないことに気づかなかった。つまり、スタッフは誰一人としてテーブルのお客を見ていないのだ。ただ料理を運ぶだけ。これでは「人」を雇う意味があるのだろうか。

 本紙で「いい旅館にしよう!」対談シリーズを展開しているが、千葉県の民宿「網元の宿 ろくや」では、お客が左利きと分かると、翌朝の朝食にはお箸などを左手で取り易いように配置する。お客は何気ない配慮に感動してしまう。渡邉丈宏社長は「うちのスタッフは本当にお客様を観察している」と語っていた。このような素晴らしい宿は全国にたくさんあるだろう。

 鉄鍋の火くらいなら、自分で付けてもいい。放置するくらいなら、セルフサービスにして、ライターの一つでもテーブルに転がしておいてくれた方がよっぽどいいのだ。一卓すべてのメインディッシュが生肉のまま厨房に戻っていったはずだが、おそらくこの宿では料理長も、経営者も気づかないのだろうなと思い、空しい気分になった。

 お客が集まる宿とそうでない宿の違い。それは、「お客を見ているか」に尽きる。どんなに古くても、窓から隣のビルしか見えなくっても、地の果てのような不便な場所でも構わない。ちゃんと自分を気にしてくれる人のいる宿に行きたい。古い栄光にいつまでも胡坐をかいているような宿は、百害あって一利なしだ。

(編集長・増田 剛) 

【6月30日まで】 旬のタイを味わえる「鯛まつり」 秋田県男鹿市

旬を迎えた天然物のタイを味わってもらおうと、秋田県男鹿市内の宿泊施設・飲食店13店が6月30日まで「鯛まつり」を開催しています。

 男鹿半島沖はタイの北限の産卵地として知られています。春を過ぎ、最も食べごろいわれる産卵期を迎えた天然のタイを地域の伝統漁法である大型定置網漁の「大謀網漁」で捕獲し、男鹿半島の郷土料理ザッパ汁、姿造りや焼き魚など、各店が趣向を凝らした料理を提供しています。

新鮮な食材を使用するため前日までの予約が必要。一部施設では、当日利用可能なプランも用意されています。

【問い合わせ先】
男鹿市観光協会   TEL=0185-24-4700
男鹿市観光商工課  TEL=0185-24-9141
男鹿温泉郷共同組合 TEL=0185-33-3191

会員、事業を一本化、協同組合、一社新旅協

(協)新旅協・青木利道理事長

 協同組合新潟県旅行業協会(青木利道理事長、114会員)は5月20日、新潟市内のホテルで2013年度通常総会を開いた。4月1日に設立された一般社団法人新潟県旅行業協会の臨時総会もあわせて開き、それぞれ異なっていた会員に加え、事業や役員体制の一本化をはかった。

 一般社団法人化にともない、全国旅行業協会新潟県支部の清算総会も行った。

 青木理事長は「発足間もない一般社団法人新潟県旅行業協会は新潟県の旅行業団体として、観光による交流人口の拡大の一翼を担い、地域社会の振興発展に向けた事業を推進して、名実ともに強い新潟県旅行業協会を目指したい」と述べた。また、新たに本部直轄の新しい新潟県支部が設置され、支部長には渡邊司之氏が就任した。

 協定会員連盟の小田孝信会長(加賀屋)は、「新旅協が任意団体のころから素晴らしい関係を築いてきた。新組織とのパートナーシップに磨きをかけ、今後一層の送客を期待している」と語った。

 今年度は、ホームページ「ほわっと」や、県旅クーポンの利用促進、地旅(着地型観光)」など観光振興による地域づくりの推進などに取り組む。

大原氏が新会長に、一般社団へ事業継承(千旅協)

大原秀雄会長

 千葉県旅行業協会(齋藤忠義会長、264会員)と全国旅行業協会千葉県支部(齋藤忠義支部長、274会員)、㈱千旅は5月9日、千葉市内で2013年度通常総会を開いた。これまでの千旅協と千葉県支部を解散することを承認し、「一般社団法人千葉県旅行業協会」と「一般社団法人全国旅行業協会千葉県支部」に事業などを継承した。また、新千旅協の会長には大原秀雄氏(ワールド観光代表取締役)が就任した。

 冒頭、齋藤会長は「昨年は高速ツアーバスの事故や登山事故などがあり、旅行会社への責任追及が重くなるということで、本部でも対策が進められている。千葉でも、皆さんが安心して旅行業を続けられるように何ができるのか検討していきたい」と語った。

 また、大原新会長は「今年度から組織として多くの点が変わっている。来年の総会では規約など皆さんにしっかり報告できるよう努めていく」と一般社団移行1年目の意気込みを語った。

 今年度は、全国旅行業協会、㈱全旅事業の推進に全面的に協力し、千葉県支部、㈱千旅、協力会と連携しながら組織の強化をはかっていく。

 新役員は次の各氏。

 【千旅協・会長】大原秀雄(ワールド観光)【副会長】藤木均(ロイヤルツーリスト)▽長崎正男(日本トラベルサービス)【監事】染谷幸和(染谷観光旅行社)▽公平正業(シティトラベルセンター)【全旅協千葉県支部・支部長】藤木均(ロイヤルツーリスト)【副支部長】佐々木一彦(南総国際旅行)▽鎌瀧雅紳(竜馬トラベルサービス)

松田会長を再選、新3カ年計画も策定(四国ツーリズム創造機構)

松田会長があいさつ

 四国4県とJR四国などで組織する「四国ツーリズム創造機構」(会長=松田清宏JR四国会長、正会員16、準会員103)は4月25日、高松市内のホテルで2013年度総会を開き、役員改選で松田会長を再選した。

 松田会長は「本機構は発足して3年半になり、第1期の事業計画を遂行してきた。この間、東日本大震災や中国・韓国との摩擦など逆風があったが、自己採点では優を取れたのではないか。次の3カ年の事業計画をまとめたが、今後は数だけでなく質も追い求めていきたい」とあいさつした。

 議事は、新たな3カ年計画や事業計画、収支予算などすべて可決した。

 13―15年度の第2次四国観光交流戦略では、15年度に四国外の国内から訪れる延べ宿泊者数を430万人(11年度比3・3%増)、海外からは5万5千人(同36%増)の数値目標を掲げた。

 誘客重点エリアは、第1次戦略からの四国西南部のほか、にし阿波、こんぴら、瀬戸内アート、道後・しまなみ海道を加え、官民協働で観光素材や周遊ルートの開発を実施する。

 インバウンドは東アジア・欧米豪がターゲットで、四国内の全鉄道(6社)が乗り放題の鉄道パス「ALL SHIKOKU Rail Pass」をセールスツールに誘客を促進。関西や九州との連携も強化する。

 今年度は国内外でのプロモーション強化や、四万十・足摺エリアの周遊観光バス「しまんと・あしずり号」のコース改良、機構のホームページリニューアルなどを実施する。

“沖縄観光を元気にしたい”、お菓子のポルシェ・澤岻 カズ子氏にインタビュー

お菓子のポルシェ代表取締役社長
澤岻 カズ子氏(たくし・かずこ)

「紅いもタルト」誕生とそれから、「御菓子御殿」創業者の35年間

 今や沖縄のお土産の定番商品となった「紅いもタルト」。しかし、創業から35年の間に大変な苦労もあった。作り立ての「紅いもタルト」を製造・販売する「御菓子御殿」の創業者・澤岻カズ子氏(お菓子のポルシェ代表取締役社長)は、アメリカからの輸入菓子が大半だった沖縄に、お菓子文化を生み、定着させた。地元のお客様に支持されながら、「沖縄観光を元気にしたい」と話す澤岻社長にインタビューした。

≪沖縄に「お菓子文化」生む≫

 菓子製造販売業をスタートした当時は、沖縄復帰(1972年)の時期と重なり、米軍基地の中で働く多くの人たちが解雇されたため、その人たちを雇用しながら、まずはレストランを始めました。そのレストランの一角で、アメリカ仕込みのドーナツやチョコレートケーキ、アップルパイなどを作って販売しました。あつあつのドーナツや焼き立てのお菓子の販売はとても人気を集めました。レストランの方は朝から夜中までの仕事がものすごく大変で、また、それほど利益が出ているわけでもなかったので、思い切って4店舗あったレストランをすべて閉店し、菓子製造販売業をスタートしたのです。

 当時、私たちが作れるお菓子は、アメリカ仕込みのドーナツやチョコレートケーキ、アップルパイのわずか3品だけ。でも、「やるからには成功させたい」という強い思いがありました。

■3品のお菓子から

 私の出身地である読谷村の周辺では、30年以上前は、スーパーマーケットなどはなく、雑貨店しかなかったので、その雑貨店に作り立てのお菓子を置かせていただき、売れた分だけお金をいただくという委託販売を始めたのです。地元からそのような取り組みを始めたのですが、これが大きな評判を呼びました。地域の皆さんにもよくしていただき、近隣の市町村まで営業活動を広げていくことができました。当時は20坪ほどの借家で、たった3品の小さな店舗からのスタートでした。やがて工場・店舗併設の新社屋を読谷村につくり、北部地域や那覇市内にも販路を広げていくことができました。少しずつ自信もついて、沖縄全域にお得意様もできました。

 営業を始めて7年目の1986(昭和61)年のことです。読谷村では「紅いもを使って村おこしをしよう」という取り組みが始まり、私どもに読谷村商工会から「紅いもでお菓子が作れないものか」と相談がありました。当時は紅いもを使ったお菓子などはまったくありませんでしたし、紫色は食に合わないと言われましたが、あえて素材の紫色を生かした紅いもタルトを開発したのです。

 読谷村は、戦前は紅いもの産地として有名で、多く作られたそうですが、戦後は主食だった紅いもが米やパンにかわり、大半を占めていた家畜の飼料も配合飼料となり紅いものニーズはなくなったため、紅いも農家が少なくなって、紅いもの仕入に苦労しました。

 今では役場と農業試験場の連携で品種を開発しておりますが、当時は良質な紅いもを探し集めては選別を繰り返し、リスクを負いながら「経験の中から一つひとつ学んでいく」という忍耐力を必要とする仕事でした。「紅いもがない」事情と合わせて、「品質を上げていかなくてはならない」ということに苦労しました。読谷村も協力的で、商工会も物産展やシンポジウムを開くなど、マスコミに紹介する機会を作っていただきました。私たちがリスクを負いながら作り続けた結果、地域の方々もお土産として積極的に紅いものお菓子を買っていただき、“村ぐるみ”での取り組みでした。

 そのうちに、「村おこしの成功例」として全国的に話題になっていきました。これによって、県内外から視察研修として多くの方々が訪れて来るようになりました。1991(平成3)年に新社屋・新工場を作ることができたのもそのおかげです。沖縄県は製造業が少なく、「成功モデルになってほしい」と商工会も後押しをしてくれました。

 そのころの沖縄の一般的なお菓子は、サーターアンダギーやちんすこうなど昔ながらのお菓子と、アメリカからの輸入菓子(チョコレート)や、本土で沖縄のお菓子らしく作られたものばかりでした。「御菓子御殿恩納店」がオープンした2001年ごろも、8割ぐらいが本土や輸入菓子でしたが、画期的だったのは1995年から5年間、「沖縄のお菓子を沖縄発のすべての飛行機に乗せましょう」と、飛行機の茶菓子に、当社の紅いもタルトや、沖縄の素材で作ったお菓子が採用されたことでした。それ以降、観光客が読谷村の小さな店まで地図を探しながら来ていただけるようになったのです。

■観光見学工場を作る

 全国に4―5軒ほどあったと聞いていますが、「観光見学工場を作りたい」というのが、私の長年の夢だったのです。「名前は『御菓子御殿』にしよう」と考えていました。「沖縄らしい首里城の正殿をイメージした建物にしたい」と思い描いていました。

 しかし、バブル崩壊後の景気低迷などで、なかなか融資が上手く行かなかったのです。そのころ、1997(平成9)年に、那覇市の国際通りの三越の向かいに13坪の小さなお店(現在の「牧志店」)を出店したことが話題を呼びました。バスガイドさんらが口コミで「紅いもタルトは美味しい」と紹介して下さり、そのうちに金融機関にも評価していただき、念願の「観光見学工場」を備えた「御菓子御殿恩納店」をオープンすることができました。

■地元に愛される店に

 私たちは開業当時から「地元に愛される店づくり」に取り組んできました。身体にやさしい無着色・保存料も使わない「作り立て」のお菓子を売りたいというのが創業からのコンセプトです。このため、「紅いもタルト」は、少なくとも翌日までに完売できるように、おおよその販売予想を立て、売れる分だけを作ることを基本としています。また、地元「沖縄県のお菓子屋さん」として定着していますので、今も変わらず地元に支持される店づくりを目指しています。昨年オープンした「やんばる憩いの森店」も、観光客や地元のお客様でにぎわっております。

 2001年に夢でありました「御菓子御殿恩納店」が誕生しましたが、私の人生で一番苦労したのが、この恩納村の御菓子御殿の開業です。1996年の計画から6年かかりました。大変でしたが、この期間に諦めていたら、沖縄県の菓子業界は今でも輸入菓子が大半を占めていたかもしれません。しかし、開店と同時に自分たちの予想を超えるお客様にご来店いただけました。オープン直後には、9・11テロが発生し、沖縄観光は大打撃を受けましたが、地元のお客様に助けられました。その後、恩納店も軌道に乗り、私たちの原点である読谷村に2005年、本店となる「御菓子御殿読谷本店」を移転新規オープンし、また04年に那覇市の「国際通り松尾店」をオープンいたしました。

 商品を作っても必ず売れるわけではなく、リスクを負いながら売れるまで作り続けました。商品開発で美味しいお菓子を作っても、多くの人に知っていただき、売れるまでには相当な時間がかかります。でも頑張ってきたおかげで今があるのかなと思います。

 御菓子御殿恩納店で、紅いものお菓子を作ることや、観光客向けの見学工場を作ったのも沖縄県で初めてのことでした。前例がないということでとても大変でした。現在では、御菓子御殿恩納店・読谷本店・松尾店の3店舗の工場で紅いもタルトを1日平均9万個製造し販売しています。3つの工場を1日中フル稼働して、多い日には15万個を製造し、ありがたいことに現在でも販売は伸び続けていますが、最近では類似品が出過ぎてお客様が混乱してしまうのです。私たちは、全国どこでも買える商品ではなく沖縄に来ていただいた方々にお土産としてお持ち帰りいただきたいのです。これからも沖縄の素材にこだわったお菓子を作り、沖縄発のお菓子を買いたいという多くの声に応えていきたいと思います。

     ■ □

 現在では新商品の「紅いも生タルト」が好評です。今年3月7日に開港した新石垣空港にも離島で初めて出店し、販売も順調です。

沖縄歴史民俗資料館外観

民俗資料館に展示する琉球創作人形

 沖縄本島北部の新たな観光名所として、名護市に昨年オープンした「やんばる憩いの森店」には、ヘゴの原生林と今年4月に「沖縄歴史民俗資料館」を開館しました。資料館の内部には、これまで当社の会長・澤岻安信が収集してきた人間国宝・金城次郎氏の陶器や、漆器、民具、貝など約1万点を展示しています。また、琉球創作人形を1千体そろえ、沖縄の祭事行事などを再現しています。沖縄を代表する名工の焼物や懐かしい民具で子供たちの教育の場や北部地域の発展に貢献したいと思っています。

 御菓子御殿恩納店では「紅いもタルトのお菓子作り体験」も行っています。お客様の声を聞きながら、ニーズに合わせてさまざまな事業を展開しています。

■皆さんに支えられて

 創業当初から商品の箱や名刺にも「やさしい心くばりのポルシェ洋菓子店」と書いてスタートし「気くばり、目くばりのある仕事をしたい」と心がけています。注文が入れば作り立てを美味しいうちにお届けしたり、お客様の立場になってお客様が喜ぶことを第一に考えてきました。

 6月で35周年を迎えますが、従業員や地域の皆さん、観光のお客様に支えられたことに感謝しております。

実践的な口述試験に、13年度通訳案内士試験

 日本政府観光局(JNTO、松山良一理事長)はこのほど、外国人旅行者に付き添い外国語を用いて日本の観光案内をする国家資格「通訳案内士」の2013年度試験の詳細を発表した。今年度は筆記や一般試験の免除対象を拡大したほか、口述試験ではよりコミュニケーション能力や実践を意識した内容へと変更した。

 出願はインターネットの電子申請か書面による申請で、願書受付は6月24日まで。筆記試験は8月25日、口述試験は12月8日。最終合格発表は14年2月7日の予定。試験場所は、筆記試験が国内8地域と海外3都市(ソウル、北京、台北)。口述試験が英語、中国語、韓国語は東京、大阪、福岡、それ以外の言語は東京のみ。

 筆記試験は外国語(英語、フランス語、スペイン語、ドイツ語、中国語、イタリア語、ポルトガル語、ロシア語、韓国語、タイ語)と、日本地理、日本歴史、産業・経済・政治・文化に関する一般常識。口述試験は、通訳案内の現場で必要とされる実践的な能力を判定する面接形式で行う。今年度は、コミュニケーション能力を量る、より実務に即した内容に変更。(1)試験委員が日本語で話す内容を外国人観光客にガイドするつもりで通訳(2)3つのテーマから1つを選びプレゼンテーション(3)(2)の内容についての質問への回答――の3問となる。

 また、今年度は筆記や一般試験の免除対象を拡大。従来の実用英語技能検定1級合格者に対する英語筆記試験免除に加え、実用フランス語技能検定試験とドイツ語技能検定試験、中国語検定試験、ハングル能力検定試験の1級合格者にも外国語筆記試験を免除する。さらに、大学入試センター試験の日本史Bが60点以上の受験者は日本歴史筆記試験免除、大学入試センター試験の現代社会が80点以上の受験者は産業・経済・政治・文化の一般常識の試験を免除する。

地域観光リーダー育成、電通と共同でスクール(JTB)

 JTBと電通はこのほど、観光資源の育て方・売り方を学び、地域観光リーダーを育成するためのプログラム「地域観光マーケティングスクール」を共同開発し、販売を開始した。

 同スクールは、地域資源を活用した着地型観光振興に取り組む地域や、着地型旅行商品の流通、販売に課題がある地域を対象とし、全国の消費者から地域がどのように思われているのか、地域の観光資源にどれくらい魅力があるのかなど、さまざまな角度から調査し、約2カ月間かけて観光資源のカルテを作成する。その後、3日間の集中ワークショップで「観光」を考え、有望資源の見つけ方、伝え方、商品の作り方までを学ぶ。

 プログラム終了後は、JTBのフォローアップがあり、同スクールで開発した着地型旅行商品は、JTBのホームページなどで情報配信、販売も可能になる。インバウンド向け商品は、JTBのグローバルネットワークでの販売も視野に入れ、地域の交流人口の拡大に向けた取り組みを推進する。

 同プログラムは、JTBのDMC(デスティネーション・マネジメント・カンパニー)戦略の一環で、観光を基軸とした経済波及効果や、雇用促進効果を高め地域活性化をはかることが目的だ。企業のマーケティング手法を得意とする電通と連携することで、地域の魅力ある資源を掘り起こし、高付加価値・差別化をはかる。継続的・安定的に地域の集客を促すため、地域資源の育て方や売り方のノウハウを伝え、地域の観光リーダーを育成する。

 2013年度は、10地域でのプログラム導入が目標で、最終的には47都道府県での導入を目指していく。

従業員対象にセミナー、池山氏が吉川屋で講演(リボン宿ネット)

熱心に話しを聞く従業員

 ピンクリボンのお宿ネットワーク(略称・リボン宿ネット、畠ひで子会長)は5月6日、畠会長が経営する福島県穴原温泉の匠のこころ吉川屋で、同館従業員らを対象にした講演会を開いた。昨年末に会員施設を対象としたセミナーを新潟県瀬波温泉の夕映えの宿汐美荘で開いたが、今回のような従業員を対象としたものは初めて。

池山紀之氏

 講演会はリボン宿ネットの副会長で人工乳房の製作販売を行う、池山メディカルジャパン社長の池山紀之氏を講師に開催。池山氏は「患者が無事に手術に成功した後に思うことは、もちろん安堵感だが、次にこれで温泉に行けなくなったと思う声が多い。人工乳房という方法もあるが、対応できる患者数には限りがある。また、患者が旅行に行かないということは家族も含めて、その機会が減るということ。こうした方々に安心して旅行に出てほしいという思いで設立したのがリボン宿ネット。昨年末には会の冊子を作り、現在全国の約500の病院に配布している」と組織を説明。

 そのうえで、患者が望む旅館での欲求を、「貸切風呂の声もあるが、大浴場で寛ぎたいという希望が多い」とした。その希望に応えるには「洗い場の間仕切りなどハード面も必要だが、それ以上にソフト面の対応、例えばバスタオルや洗いタオルを多めに提供できる、大浴場が空いている時間などを発信してほしい。患者は着替える場合、周りや鏡に映る姿を見られたくないが、バスタオルなどを多く使用することである程度解決でき、大浴場の空いている時間がわかることで足を運びやすくなる。この点を考慮した情報発信をお願いしたい」と話した。

 最後に「こうした配慮の根底にあるのは、乳がん患者だから特別なことをする、ということではなく他の宿泊客と変わらないもてなしをするということ」とまとめた。