【特集No.462】風望天流太子の湯 山水荘 “働き方”を変えて単価アップへ

2017年6月1日(木) 配信

 高品質のおもてなしサービスを提供することで、お客様の強い支持を得て集客している宿の経営者と、工学博士で、サービス産業革新推進機構代表理事の内藤耕氏が、その理由を探っていく人気シリーズ「いい旅館にしよう!Ⅱ」の第13回は、福島県・土湯温泉「風望天流太子の湯 山水荘」の渡邉和裕社長が登場。いづみ専務(女将)、利生常務も出席して、働き方を変えるだけで単価を上げ、残業を減らしていく取り組みついて、内藤氏と語り合った。

【増田 剛】

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 渡邉(社長):もともと渡邉家は土湯温泉の真ん中で「いますや旅館」を営業していました。1953年10月に、新たな宿「山水荘」を造りました。祖父には2人の息子がおり、長男(父)が山の方にある山水荘を経営し、温泉街のいますや旅館を身体が弱かった弟が継いだのです。しかし、翌54年2月の大火で土湯温泉全体が焼けてしまいました。幸い、山水荘は温泉街から少し離れていたため、焼けずに残されたのです。私は渡邉家の20代目で、山水荘は祖父、父を継いで3代目になります。

 内藤:いますや旅館の規模はどのくらいでしたか。

 渡邉(社長):20室ほどだと思います。山水荘を53年に建てたときは木造の9部屋でした。

 内藤:その後、どのように部屋を増やしていかれたのですか。

 渡邉(社長):大火の後、父は大火への反省から、60年に木造の建物をすべて壊し、鉄筋コンクリートに切り替えました。5年も経たないうちに部屋をどんどん増築し、これまで7回ほど設備投資しました。その間にプールを造ったり、護岸工事や橋を架けたりもしています。最後に増築したのは97年で、現在は71室です。
 面積は1万平方㍍以上ありますが、客室数は中規模旅館です。地形的に三方を崖に囲まれており、先代は庭に池を造ったり、ニワトリやハクビシン、クジャクを飼ったりしていました。私自身も建物と、池のある庭が自然なかたちで溶け合う、そのような空間がある旅館を理想としています。

 内藤:3代目を引き継いだのはいつですか。

 渡邉(社長):48歳のときです。
 23歳で土湯温泉に戻ったとき、若い人たちの集まりがありませんでした。そこで、飲食店や他の業種と連携して青年団のようなものを組織し、“まちづくり”を主体に動いてきました。旅館の経営も大事ですが、地域をどうするかということを第一に考えてきました。
 土湯の今の若い世代は、「若旦那カフェ」などに取り組んでいますが、私たちのころは、荒川の清掃活動や、ジャズフェスティバルを企画したり、毎晩お酒を飲みながら熱く語り合っていました。

 内藤:土湯温泉のように、他業種を含めてまとまりがあるのは珍しいと思います。

 渡邉(社長):当時、多くの温泉地では、旅館の経営者がワンマン化する傾向がみられ、なかなか地域ぐるみの取り組みができていませんでした。土湯は大型旅館もなく、小さい温泉地なので、あらゆる業種がまとまって一緒に取り組まないと生きていけないのですが、親の世代も同様の傾向がみられました。そういうのが嫌だったので、40代になったとき、観光協会や旅館組合のトップを若い世代が奪い取りました。いわゆる「下剋上」によって、自分たちの世代が中心となって土湯温泉を動かしていきました。

 内藤:戦後の土湯温泉はどのような感じでしたか。

 渡邉(社長):59年に磐梯吾妻スカイラインが開通しました。高度経済成長期に入り、大型バスがどんどん来るようになりました。小さな湯治場だった温泉地が、団体型の観光地に急速に変わっていきました。
 その後、団体客が減少するなかで依然として、団体型のスタイルを引きずっていました。2011年3月に東日本大震災が発生し、当館も時間が止まったような状態になっていました。
 周りを見ると、インバウンドの受け入れや少子高齢化も進み、年配のお客様も従来の和室よりもベッドルームや、食事もテーブルを求めるようになってきました。新しい時代に対応した投資をしていかなくてはならないなか、「さて、どうしようか」と悩んでいるときに、日本旅館協会が主催する「生産性向上セミナー」(16年9月)に出席しました。そこで、これから取り組んでいく方向づけとして「生産性が高まるような仕組みをつくっていこう」と思いました。
 料理についても「温かい物を温かいうちに出せる仕組みづくり」などもまだ始まったばかりですが、「これから全社一丸となって取り組んでいこう」という段階まではなんとか漕ぎ着き、今はまさに試行錯誤している状態です。

 内藤:東日本大震災後はどのような状況でしたか。

 渡邉(社長):私は会合で福島市にいましたが、宿が心配になって戻りました。岩盤の上に建っているので、建物に直接的な被害はなかったのですが、停電したまま、お客様は3日間帰れずに滞在していました。電気釜も使えず、食料が尽きました。テレビも付かず、1台のラジオで情報を収集しました。ガソリンが残っているうちに、お客様を福島市までバスで送っていきました。
 お客様が帰ったあと、観光客は来ないし、「もうこれで終わりかな」と思いました。すると一本の電話がかかって来て、3月下旬から200人を超える機動隊を受け入れることになりました。その後、8月まで浪江町の被災者約1千人を土湯温泉全体で受け入れました。観光客を誘客しても来ないので、被災者に向けてイベントを実施したりしました。
 9月には16軒中6軒の旅館が休・廃業しました。3年間で3軒の宿を解体し、5年かけて土湯温泉街に共同浴場を造るなど再構築する仕事と、もう一つ、将来の収入源となるような仕組みづくりとして株式会社を設立し、バイナリー発電事業などにも取り組んでいます。
 旅館軒数も減り、土湯温泉全体の入込数は震災前に比べ、65%ほどです。とくに震災後は、まちぐるみの事業に取り組まないと土湯温泉が生き残れない状況にありました。

 内藤:施設のリニューアルや集客よりも、どうして生産性に目を向けられたのですか。

 渡邉(社長):以前からトヨタ自動車の「改善」など、生産性向上については多少勉強していました。
 宿でも毎月1回、改善会議というものを設置し、仕事の改善を行っていました。しかし、社員が集まって議論すると、お客様へのサービス向上とは多くの場合が相反する状態になってきました。極端なことを言うと、お客様にコーヒーカップに受け皿を添えて提供するよりも、そのままカップだけで出す方がラクという風に考えるようになっていきました。「お茶を出すのをやめよう」など、「改善」と言いながら、お客様にとっては実質的には「改悪」になっていました。
 「品質を上げ、お客様満足度を高めることによって宿泊単価を上げていくことと、生産性向上は同じことですよ」と説明しています。その部分をしっかりと変えていくには、就業規則や給与体系などすべてを変える必要がありました。
 日本旅館協会のセミナーに出席しただけでは一歩も前に進みません。「この方向だ」と思ったなら、スタッフと一緒に改革していく方が、より早く成果が出ると考えました。

 内藤:現場では小さな一つのことをちょっと変更するだけで、すべてに影響を与えてしまいます。色々と新しい試みを始めても、すべての作業プロセスにつながっているので、歯車の回転を変えていこうと試みても、たった一つでも動かないと、すべてが止まってしまうことがあります。大変な作業だと思います。

 渡邉(社長):料理の出し方など「ソフト的なものをどのように変えるか」を前提にして、次の投資につなげていかなければなりません。毎回設備投資をする際には、「これを今やらなければ明日はなくなる」と考え、自分を追い詰めて決断しています。

 ――改善会議は何年前から実施されていたのですか。

 渡邉(社長):震災後からです。月に1回、総務部長の管轄で行っています。経営者が指示してばかりいると、人材はなかなか育ちません。当館のような規模では、ピラミッド型よりも、各部署の課長を横に配列するナベブタ型組織がいいのではないかと思っていました。本来なら管理職になると、管理業務が仕事の中心になっていくべきですが、部長になっても課長時代の仕事内容とあまり変わらないケースもありました。だから山水荘では職務権限規程をつくって、経営者も部長の管理すべき仕事を明確に理解したうえで、育てていくことが大事だと思っています。

 内藤:そういう考えが根底にあって、職務権限規程を新しく作り、それぞれの役職者の仕事を決めていかれたのですね。
 就業規則はどのような状況ですか。

 渡邉(女将):私が山水荘に嫁いで来たのが1984年の5月。とにかく団体のお客様がすごく入っている時代でした。大女将がいらして、従業員も年配の方が多かったですね。
 私は、家業の状態を「少しずつ企業的な経営に変えていきたい」という思いがありました。社会保険労務士の先生と一緒に学校回りをしながら、就業規則や労務管理、賃金規程も考えていきましたが、すごく雑多な感じを覚えていました。しかし、生産性向上のセミナーに出席して、目から鱗が落ちました。まず「仕事の生産性を上げることで8時間労働が可能になる」ということが大きな驚きでした。そこから最初に着手したのが就業規則の見直しでした。
 新しい就業規則は、異業種の部分も取り入れながら仕事の基本の部分を作ったので、働く側も労働時間が分かりやすくなり、経営者側も管理しやすくなりました。効率化も理解され、給与体系もしっかりと明確化されたことで、社員にとって会社が目指す方向が分かりやすくなったと思います。

 内藤:具体的にどのように変わったのですか。

 渡邉(女将):以前は変形労働時間制でしたが、繁忙期などは「長く働けば、その分残業代が多く得られる」と考える社員もいました。基本給を決めても、自分で残業代を計算して働くという傾向もありました。

 内藤:最近はどうですか。

 渡邉(女将):就業規則の労働時間の管理方法を変えてから、時間外労働がほとんどなくなりました。社員がさらに身体をしっかりと休められるよう、年間の休日も「105日」にし、1年を通じて週休2日になるように明確化しましたので、社員にとっては働きやすい環境になりました。

 渡邉(社長):以前は繁忙期の10月や11月と、閑散期の1月、2月の残業手当の総額が大して変わらないという、会社として現場を管理できていない状態でした。社員も残業代に頼らずに、基本給でしっかりと生活ができる水準にしていかなければならないと考えています。

 内藤:繁忙期も閑散期も同じくらいの残業代を払っていたのですね。

 渡邉(女将):生産性向上に取り組み始めたことで、繁忙期の時間外手当でさえも、今は以前の3分の1に減っています。

 内藤:就業規則の見直しなど、取り組みは早かったですね。

 渡邉(女将):若い常務が新しい感覚で現場に入っていけたのも大きかったですね。以前は社会保険労務士の先生の教えの通りにやっていたので、どちらかというと、労働基準監督署側の目線での就業規則と、給料体系でした。

 渡邉(社長):サービス業のために就業規則を新しく作ったのではなくて、製造業の8時間労働のモデル規則をそのままサービス業に当てはめただけだったのです。

 ――新しい就業規則はすぐにスタッフの方々に理解されましたか。

 渡邉(社長):若い社員は変化に対応しやすいのですが、年配の社員は従来のやり方を大きく変えるわけですから、若い社員が板ばさみになってしまったこともありました。

 渡邉(女将):今は根底の部分では理解してもらっています。お客様の個人化や、それに伴って料理の品質を上げていくことも並行して取り組んでいます。

 内藤:作業を一つひとつ個別に改善していく方法では、時短は進みません。数珠つなぎになっている作業のプロセスをどう組み変えるかが大事です。
 社員一人ひとりによって取り組まれている作業プロセス自身が商品そのものなのです。渡邉社長がコーヒーを例におっしゃったように、作業を変えると商品が変わって、作業を省略して少なくしようとすると、商品が悪くなっていくということが起こってしまうのです。作業のプロセス全体の見直しが必要になってきます。
 団体から個人へのマーケットの流れに対応するために、具体的に、何をやられているのですか。

 渡邉(女将):今の改革は、朝食バイキングでは、ごはんを炊飯器に変えて時間ごとに炊き始め、でき立てのごはんを食べていただくようにしています。味噌汁は小分けにして、作り立てを提供しています。お客様から「どんな味噌を使っているのですか」と声を掛けられることも増えてきました。こういった声は改善してから効果がてきめんに表れました。

 内藤:パンに付けるジャムも大きく変えましたね。

 渡邉(女将):簡易パックに入ったものを提供していましたが、瓶詰めのジャムに変えました。今では30種類近くそろえ、お客様が好きなものを選べるようにしています。「たくさんのジャムを選べてうれしかった」といった声もいただいています。ミルクや砂糖も、一つひとつのパッケージでお出ししていたので、「半分残してあとは捨てる」という大きなムダがありました。今はポットに入れてそれらを提供し、お客様は好きなだけ使えるようにしています。ヨーグルトのジャムや、ソースもシェフが手作りしたものをお出ししています。
 夕食もお膳出しから1品出しの料理に変え始めました。そして、お客様には「夕食時間を6時、6時半、7時からお選びください」から、「5時半から7時までの間で好きな時間に食べてください」というように変えました。
 すると、お客様が一度にまとまって来られる塊がなくなり、それによって社員たちの現場作業も平準化され、料理がスムーズに流れるようになりました。1品出し料理も、できないと思っていたのが、できるようになりました。朝のバイキングと同じように、お客様が召し上がられたお皿を下膳しながら次の料理を提供します。
 これと同時に洗浄していくことで、洗浄時間が短縮して早く片付けが終わるようになりつつあります。どうして早くからこんなことに気づかなかったのだろうと思っています。

 内藤:次の課題は何ですか。

 渡邉(女将):1品料理のコースを作り、お客様に提供していき、1泊2食の料理単価を上げていくことです。私自身も接客をするなかで「料理が美味しくなったね」「バイキングが変わりましたね」などと、リピーターのお客様も気づいて下さっています。次の予約もされて帰られるお客様も増え、本当にうれしく思っています。

 内藤:以前のお膳出しから、今はお客が席についてから1品出しに切り替えられました。「品質を上げていく」ということに躊躇がなく、非常にこだわっていますね。現場では「総論賛成、各論反対」というケースが多いなか、品質を上げていけば、効率化も進んでいくということが腑に落ちているという印象を持ちました。あまり疑わずに、議論ができているためにスピーディーに変化しているのだと思います。

 渡邉(常務):1品出しを提供することで、お客様も切り立てのお刺身を召し上がられます。新鮮さがまったく違うわけです。新鮮なお刺身をお客様の前にお出しすると、サービスしている方も気持ちがいいですね。今のお客様はすごく目が肥えていますので、一目で新鮮か、美味しそうかを判断されます。

 ――スタッフから提案も出てきたりしますか。

 渡邉(常務):出てくるようになりました。こちらも、「こんな課題が出てきたので一緒に考えていこう」と試行錯誤しながら進めています。一番大きく変わったのは、これまで新しいものを作っていくときに上から指示を出していましたが、今は一緒になって作っていこうという協力体制ができていることです。

 渡邉(女将):大きく変わったのは新しく就業規則と職務権限規程を作ってからですね。料理長を含め、4人の部長は管理していくうえでの責任感も、より強くなっています。社員の声と、経営者の想いも中間で理解してもらい、実行していただいています。

 ――施設を新設するのではなく、料理の1品出しもコースを作ることによって、客単価を上げていく考えですね。

 渡邉(女将):料理の質を上げながら、その単価も上げていきたいと考えています。

 内藤:料理の材料を変えずに、作り方と出し方を変えることによって単価を上げていこうと取り組まれています。つまり、働き方だけで単価を上げることが可能なのです。働き方を変えることによって、残業を減らしながら品質を上げていこうということが今回の改革ですね。
 前もってセットしないようにしていますが、これはどうですか。

 渡邉(女将):事前のセッティングは大変でした。最初は会食場でも「女将さん、早く来ないと間に合いません」と午後1時からセッティングの準備をしていました。
 一方で、高単価のとくに女性のお客様は鍋料理を見て、「これ全部自分でやるんですか」と言われました。そのときに「個人のお客様が求められる料理はこれではないのだ」と思いました。個人型のお客様への対応は難しいですね。宴会と個人のお客様の料理を分けていなかったので、そのままセッティングの時間が長いままでした。

 内藤:お膳出しと、1品出しのコース料理は、どちらが提供するまでの作業が大変ですか。

 渡邉(女将):1品出しのコース料理の方がラクですね。社員から「もうセッティングしなくていいのですね」という声を多く聞くようになりました。

 内藤:実際にやってみた結果、「お客様に食事の時間を聞かない」「事前セッティングせずに、1品出しコース料理の方がラクだ」と理解できたのはいいことだと思います。後は、細かい仕組みをどう作っていくかですね。

 渡邉(社長):細かいところはまだ課題があるのですが、あとはこれに合わせて予約担当が単価のアップを考えていけるようになればと思っています。1品出しをできるようになれば、自信を持って単価を上げられるようになります。

 内藤:価格は自分との戦いです。「多くの旅館経営者は単価を上げなければならない」と言われますが、私は「上げたらいいじゃないですか」と申し上げています。ただそのためには、まず品質を上げなければなりません。

 渡邉(社長):「中身が良ければ単価が上がってもいい」と思われる客層は、予想以上に多くいらっしゃいます。しかし、その客層に旅館側が団体と同じ感覚でいると、単価は上げられないですね。

 渡邉(女将):今後オープンキッチンなども取り入れていけば、板前もお客様が召し上がる状況などが分かりますので、よりお客様に作業の位置も、時間も、情報も近づいていけると思います。

 内藤:人手不足はどうですか。

 渡邉(常務):以前は何かを始めようとすると、「人が足りないから無理ですよ」と言われていましたが、今はそのような言葉はほとんど聞かれなくなりました。
 「働き方や品質を上げていく。そのために智恵を出し合って、そこにいる人間でできるようにし、人手が足りないなど言えない」といった感じに意識が変わっていきました。

 渡邉(社長):お互いにフォローし合う関係ができてきました。

 内藤:忙しいのはほんの一瞬、一瞬なのです。

 渡邉(常務):旅館は縦割りになっているので、お互いの協力体制が築けていません。一連の協力体制が築ければ、一瞬の人手不足は解消できていくと思います。「この時間帯は忙しいから助けに来て」と10分、15分の多忙な時間を指定してお互いにコミュニケーションを取り始めたので、社員同士の関係性も良くなってきました。

 渡邉(社長):お互いの仕事を手伝うと、他部署の仕事も見えるようになります。見えないために文句を言っていた部分もあったと思います。どの時間帯がどんな風に忙しいかをお互いに理解すると、その時間帯は協力し合うという関係性ができてきます。とくに若い世代が馴染みやすいようです。

 渡邉(女将):残業も大きく減り、管理はしやすくなりました。賞与も出せるようになりました。

 渡邉(社長):「基本的に人件費を減らそうという考えはないよ」と言っています。さまざまな工夫で残業が減ったりして、人件費が落ちた分は賞与として還元しようという考えです。

 ――清掃は外注ですか。

 渡邉(社長):震災前は外注に出していましたが、今はすべて内製化しています。清掃担当のパートさんを雇い、責任者を置いて管理しています。

 内藤:以前は派遣社員がいましたが、今はどうですか。

 渡邉(女将):繁忙期には来ていただいていましたが、今年も新卒の社員が入社して若いスタッフも増えていますので、もう必要ないと思います。

 渡邉(常務):現場改革をしていくなかで、派遣社員に頼らないで、忙しい時期を乗り切っていける体制を目指しています。人材派遣会社にお金を払うより、社員に還元したいという気持ちは強くあります。

 渡邉(社長):少し前までは「大卒は来ないだろう」と最初から考えていた部分がありました。企業説明会などに積極的に参加し始めると、大卒が多く集まるようになってきました。

 渡邉(常務):中小企業に大卒が来ない理由はないと思っていました。企業の合同説明会などで夢などを語ることはできるのですが、いつも壁にぶち当たるのが労務環境や、基本給の水準などでした。
 現在進めている現場改革は、人材確保をするうえでも有益な取り組みだと感じています。今では「週休2日です」と、長時間労働への改善にも取り組む企業と胸を張って言える状況になり、ほかの旅館からも「山水荘には若い社員が多いね」と言われるようになりました。

 渡邉(女将):就業規則を変えて、休日、長時間労働の問題に取り組んでいなければ、若い社員も集まらないし人手不足の状態は変わらなかったと思います。

 内藤:定着率はどうですか。

 渡邉(女将):ありがたいことに、若い社員の定着率もとても高くなりはじめていますね。若い世代が多くなると、お互いを助け合う輪ができるのだと思います。柔軟性があるので、新しい取り組みにもスムーズに入っていけます。

 ――改善の会議は今も続けているのですか。

 渡邉(女将):続けています。社長をはじめ、幹部社員も入って、検証をしながら、今後のお客様の動向や、売上の数字の見える化などにも取り組んでいます。

 渡邉(社長):ずっと以前の改善会議は節電の結果、光熱費がどのくらい下がったとか、そういったことばかりに目が向いていました。捨てるゴミが増えたか、減ったか、という話で会議は終わっていました。最近は改善に向けた議論の中身も変わってきています。お客様アンケートの評価も上がっていますので、自分たちが取り組んでいることへの意識がさらに上がってくると思います。

仏誌「ZOOM JAPON」の情報も発信 ― 海外メディアと提携、世界とつながる

 フランスでは、紙媒体に書かれた記事は、ネット情報に比べて高い信頼性を勝ち得ているという。また、日本ではそれほど根づいてはいないが、フリーペーパーが市民権を得ており、有力なジャーナリストや高名な作家も記事を寄稿する。

 パリを歩くと、日本人が立ち寄りそうなレストランや公共の場所に「Ovni(オブニー)」というフランス在住、あるいは同国を観光する日本人向けの新聞に出会う。私も2年前に同紙を手にして大変興味を持ち、スーツケースに入れて日本に持ち帰った。

 本紙は間もなく、フランスの日本専門情報誌「ZOOM JAPON(ズーム・ジャポン)」の最新情報や翻訳記事を掲載する予定だ。実はズーム・ジャポンはオブニー紙から派生した雑誌なのだ。編集長のクロード・ルブラン氏はフランスでも著名な編集長で、日本好きが高じてフランスをはじめ、英国やイタリア、スペインでも日本専門情報誌を発行している。

 現在、本紙は台湾の旅行専門誌「旅奇(TRAVEL RICH)」と提携し、毎月11日号で翻訳記事を紹介している。今度は、欧州で最も日本への関心が高い・フランス人の視点から、日本に関する情報も翻訳して紹介する。「欧州各国にPRしたい」と考える自治体や、旅館・ホテルなども少なくない。日本とフランスの“橋渡し役”の一端を担えたら、うれしい。

 先日、北陸に在住の観光関係者と話をしていたときのことだ。「東京の地下鉄や電車に乗ると、みんなスマートフォンばかりを見て、新聞や雑誌を読んでいる人がほとんどいないことに驚きました。私は電車で本を読んでいたのですが、なんだか時代遅れのような、少し恥ずかしい感じがしました」と言うのだ。そこにいたのは、私を含め、

旅行ガイドブックなど紙媒体を発行する編集者3人。捉え方の違いに驚いてしまった。

 私など編集者3人の一致した意見は、「電車の中でスマートフォンを眺め続けることは少なからず恥ずかしい感覚を持っている」ということだった。

 逆に、本を読む方が断然知的なのだ、と強調した。

 ありとあらゆる情報や知識が、手のひらに握るスマートフォンからほぼ無料で得られる。わざわざ書店に行って、書籍を購入するよりも、ネットで検索した方が早いし、お金もかからない。数千円もする「ハイエンド」な専門書籍を読むことは、知の分野への貪欲な投資と冒険(旅)に外ならない。

 本社は現在、紙媒体の「旬刊旅行新聞」に加え、フェイスブック、そしてこの1カ月の間に、新たな試みとして、ツイッターやインスタグラム、ブログなどSNS(交流サイト)での情報を積極的に発信し始めた。 国内だけではなく、世界中の読者とつながるには、「新たな発信手段が必要だ」と判断したためだ。現在、ホームページのリニューアルに向けても動き出している。

 私たちは日々、観光業界の方々と接している。伝えなければならないことがたくさんある。より多くの人たちに有益と感じてもらえる情報を発信したいと思う。旅行・観光業界の専門紙ではあるが、より広く情報発信ができる仕組みづくりが急務となった。だが、そのためにはまず、観光業界で一番愛される新聞を目指して、頑張っていきたい。

(編集長・増田 剛)

増加率が伸び悩む、消費税免税店数、18年までに残り4千店

 観光庁がこのほど発表した2017年4月1日時点の都道府県別消費税免税店数によると、前回調査(2016年10月1日)から地方部は774店増えて1万5601店だった。政府は18年までに2万店規模を目標にしている。ただ前回調査時は9・8%増で今回は5・2%増。残り4399店と迫ったが、増加率が伸び悩んできた。

 切り札になるのは酒税免税制度。今年10月に酒蔵で販売する酒類の消費税に加え、酒税を免税とする制度が適用される。昨年4月時点で酒蔵の消費税免税店は45カ所と少ないが「全国で酒蔵は3千件以上あり期待している」(田村明比古長官)。今後は、許可を受ける酒蔵を増やしていきたい考えだ。

 このほか免税店を増やす意欲があるコンビニエンスストアなどに、働きかけを強めて政府目標の達成を目指す。

 なお、全国の免税店数は16年4月1日からの1年間で5330店(前年度比15・1%増)増の4万532店と初めて4万店を突破した。

ツルだけにあらず

 鹿児島県北西部、熊本県との県境に位置し、ツルの飛来地として知られる出水市は、薩摩藩の外城(郷士の住宅兼陣地)として整備された広大な武家屋敷群が今も残る歴史のまちでもある。

 その「出水麓武家屋敷群」の一画に今年5月、出水麓の歴史をジオラマ模型や映像、貴重な資料などで紹介する「出水麓歴史館」が誕生した。近くには、一般公開されている「税所邸」と「竹添邸」があり、共通入館券(大人500円・小中学生300円)で3施設すべてを見学できる。ちなみに、入館券はバッジになっており、記載された年内であれば、何度でも入館できるという太っ腹仕様。武家屋敷群では浴衣(5―9月)や着物(10―4月)の着付け体験を行っており、こちらは外国人観光客にも人気だとか。

【塩野 俊誉】

経済効果は5905億円、MICEで観光に追い風も(観光庁)

2015年国内の国際会議の経済波及効果は約5905億円に上る――。観光庁はこのほど、数値の算出を初めて行い「日本経済にもたらす影響は大きい」と期待感を示した。算出と合わせ聞き取り調査も実施。外国人参加者の約68%が「開催前後に観光予定がある」と答えた。国際会議を含むMICEの誘致が観光消費の追い風になりそうだ。

 外国人参加者は3大都市圏で観光する割合が高く、宿泊日数も伸びる。外国人参加者の平均宿泊数は約6・0泊だったが、3大都市以外は1―2割ほど低下した。「3大都市以外は滞在や観光活動を促す情報提供やプログラムを作ることが重要だ」と指摘。

 国連世界観光機関(UNWTO)の観光サテライト勘定(TSA)によれば、内部観光消費は3045億円だった。このうち外国人参加者のみは462億円。国際会議の地方開催で、地域の活性化にもつなげたい考えだ。

 世界の国際会議の情勢も報告された。15年の開催件数は06年比で約1・4倍。ただ参加平均人数は1・3倍で、小規模化が進んでいる。

 これに伴いホテルでの開催が拡大。15年の開催件数は3倍以上になった。「小・中規模の会議に対応でき、パーティーなどを行える点が需要と合致した」とみている。

 ヒアリングでもホテルは開催に好意的だ。「収益面だけでなく、人材育成でもメリットがある」(JRホテルクレメント高松担当者)。英語で打ち合わせやハラル食などへの異文化対応が「貴重な経験になる」という。

 一方で日本は国際会議の誘致対策に遅れが目立っている。アジア・中東・オセアニア地域の開催件数シェアは、直近10年間で18・4%から15・4%に落ち込んだ。上位10都市の開催件数を比較すると東京は8位(80件)で、1位のシンガポール(156件)の約半数だ。伸び率も中位につけた。

 新興国などの都市が誘致を強化するなか、盤石な地位を築けていない。「都市のポテンシャルに見合う存在感があるとは言い難い。一層の対策が必要」との見解を示した。

 今回の「MICEの経済波及効果及び市場調査事業」は日本政府観光局(JNTO)の基準に沿う国際会議2847件を調べた。今年度には企業会議と企業の報奨・研修旅行、展示会も調べ、同調査と合わせて、MICE全体の経済波及効果の算出を行う見通し。

「変なホテル」海外へ、子会社化で台湾に進出(HISグループ)

 HISホテルホールディングス(平林朗社長、HHH)は5月23日に、台湾でホテルチェーン大手の「グリーンワールドホテルズ」(GWH、台北市)の子会社化を終えたと発表した。HHHは台北市内16軒のホテルを経営管理する。このうちの1軒を変なホテルに改装。変なホテルが初の海外進出に乗り出していく。

 子会社化を機に、中国語圏市場や東南アジア、オセアニアなどの海外進出へ拍車をかける。国内で培ったホテル運営やマーケティングのノウハウを生かしていく。ホテル事業の収益を拡大する一方で、HISの旅行事業との相乗効果も見据えている。

 HHHは3月21日にGWHの第三者割当増資を引き受け、5月23日に新株発行に関して振込手続きを終えた。所有株数は5596万1455で、所有割合は51・0%となった。

 なお、変なホテルの3号棟目は8月1日に、愛知県・蒲郡市のラグーナテンボスで開業する見通し。自社ブランドの国内外ホテルと合わせ、HISグループは今期に30軒のホテルを展開している。今後5年間で国内外100軒まで広げる考えだ。

離島の魅力紹介、鯨本あつこ氏

鯨本あつこ氏

 まちむら交流きこうと、ライターズネットワークは5月11日、東京都内でセミナーを開いた。講師としてNPO法人離島経済新聞社統括編集長の鯨本あつこ氏(いさもと・あつこ)が登壇。「島の今をネットワークで発信する力、新しいメディアの力」をテーマに講演した。

 離島経済新聞社は、日本各地の約400の有人離島の文化や智恵、暮らしのネットワーク化を目的としている。Webや紙媒体による情報発信、教育などさまざまな事業を展開している。

 鯨本氏は「島の人たちは自活力が強い」と離島を取材するなかでの印象を語った。地熱や洋上風力を利用した発電、ワークシェアリングなどの先進事例や、独特の文化を持つ島の魅力についても紹介した。

鉄道の利用促進を、無人駅貸出しで活性化(JR北海道)

 北海道旅客鉄道(JR北海道)はこのほど、無人駅活用に向けた新たな取り組みを発表した。98カ所ある無人駅を、観光協会や商工会議所などに無料で貸出す。地場産業のPRや観光案内所などに利用してもらい、駅の活性化とまちのにぎわい創出につなげ、鉄道利用の促進をはかる。

 JR北海道が5月9日日に公開した2016年度決算によると、台風の被害などを受け当期純損失126億円を計上。島田修社長は、「来期も189億円の経常赤字を計画する厳しい見通し。北海道新幹線を活用した経営基盤の強化に取り組み、事業範囲の見直しによる抜本的な経営構造改革を進める」との談話を発表した。

 昨年には、北海道の鉄道網の半分以上の13線区、1237キロの線区を単独で維持するのは困難と訴え、「地域交通の維持」について沿線自治体らとの協議を開始している。道もこの問題に対し、「鉄道ネットワークワーキングチーム」で検討を進めており、5月25日には高橋はるみ北海道知事が、初めて名寄市内で宗谷線沿線関係者と意見交換を実施した。

 沿線自治体でも、鉄路存続へ向けた試みが始まっている。同社がバスなどの交通体系への移行を考えている札沼線の北海道医療大学―新十津川間では、月形町と新十津川村、浦臼町の首長が自ら沿線の魅力をガイドするバスツアーが行われている。これは月形町の提案で、シィービーツアーズ(北海道札幌市)が企画したもの。3年前から国道275号線を歴史街道として売り出すために始めたが、今年は浦臼―新十津川を札沼線で移動し、より多くの注目を集めている。

創立50周年記念フォーラム、「新潟創生宣言」に350人(ホテル泉慶)

飯田浩三社長

 ホテル泉慶グループは創立50周年を記念して、未来を探るフォーラム「新潟創生宣言」を5月14日、白玉の湯華鳳で開き、350人を超える人が県内外から集まった。

 基調講演は、内閣参与で経団連21世紀政策研究会顧問を務める、飯島勲氏が「政局を語る」をテーマに講演。世界の指導者が変わるなか「安倍政権の役割は大きい」と語り、「これからは日本海時代の幕開け」と強調。とくに農業、観光の重要性を説いた。最後は「住みやすい社会を中長期的に考え、後戻りしない政治を行わなければならない」と締め括った。

 また、「新潟から発信する地方創生に向けた産学への期待」と題したシンポジウムを実施。パネリストは増田寛也東京大学公共政策大学院客員教授と亀田制作日本銀行新潟支店長、高橋姿新潟大学学長、田中通泰亀田製菓代表取締役会長。コーディネーターは山崎史郎前内閣官房まち・ひと・しごと創生本部事務局地方創生総括官が務めた。

飯島勲氏

 亀田日本銀行新潟支店長は、新潟県の人口減少率は全国ワースト9位(16年10月現在)というなかで、新潟にとっての地方創生は「人口減少問題に立ち向かい、未来志向を持つこと。新潟ならではの良さを、強みを再発見する必要がある」と述べた。高橋新潟大学学長は、地域の中小企業との連携、地域ニーズに応える人材育成や研究の推進が必要だと訴えた。19年4月に創生学部を新設し、人材の育成と定着を目指すという。

 田中亀田製菓会長は、「保守的な発想が強く、独創的なアイデアに挑戦するという気風が弱い」という県民性を譬えた。そのなかで、危機に立たされたときに気持ちが燃え上がる新潟県人の成功から学ぶことが重要だと呼びかけた。増田東京大学公共政策大学院客員教授は地域で雇用の場を創出する必要性を説き、「子供たちの声が届く魅力ある職場づくり、環境を整える必要がある。地域の特色を出し、相手が望んでいる言葉で伝え、変える勇気をもって挑戦してほしい」と語った。

 コーディネーターの山崎氏は「若い人だけでなく、その親たちに地元の産業、企業をより知ってもらう必要がある。インターンシップがキーワード」と説いた。

パネルディスカッション

 フォーラムを前に飯田浩三ホテル泉慶社長は「お客様、地域の皆様、取引先の関係者のおかげで創立50周年を迎えることができた」と謝辞を述べ、「この50年間、インフラ整備が充実し、新潟県も発展してきた。一方、中越、中越沖地震や東日本大震災で、大変厳しい状況も経験した。よく乗り越えてきたと感慨深いものがある」と振り返った。今後については「世界のグローバル化に伴い、新たなサービス形態が求められる。旅館業という職業に誇りを持ち、お客様に、社会に対応すべく、積極的に貢献できる企業として努力していきたい」と方針を述べた。

 二階堂馨新発田市市長は「地方創生が急務と言われるなか、裾野の広い観光は切り札と言われている。月岡温泉は観光のプラットフォームとして誘客策を進めている。20年の東京オリンピックを控え、新たなマーケットを積極的に推進している。当市も市制施行70周年の節目に、新たな100年に向かって泉慶グループと共に発展していきたい」とあいさつした。

仮想通貨で決済、訪日需要拡大へ(ピーチ)

井上慎一CEO(中央左)と小田玄紀社長

 LCCのピーチ・アビエーションは12月までに、ビットコイン(仮想通貨)の取引を行うビットポイントジャパンと共同で、仮想通貨を活用した直接決済サービスを導入すると発表した。航空券の支払いなどに利用できる。また、北海道と東北、沖縄をモデル地区に選定。ホテルやレストランなど、仮想通貨利用店舗の拡大も進め、インバウンド需要を拡大させ、地方誘客・創生を実現する。

 5月22日に東京都内で開いた会見で、ピーチの井上慎一CEOは「お財布を持たずに完結する旅の実現に傾注する」と宣言した。

 ビットコインとは、インターネット上で取引される仮想通貨の1つ。中国をはじめとするアジア圏や欧米では広く普及しており、同通貨を使用可能にすることでインバウンド需要の拡大にもつながるという。ビットポイントジャパンの小田玄紀社長によると、日本でも法整備など消費者保護が進んでいることから、今後仮想通貨の使用が広がるという。