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「トラベルスクエア」ムラビトのいないムラ

2019年6月24日(月) 配信

風景は人のぬくもりがあって、初めて暖かいと感じる(写真はイメージ)

  ムラがなくなるのが問題なのではない。ムラビトがいなくなることが問題なのだ。

 
 とあるリゾート経営の先達がこう漏らした。

 
 そこは日本を代表する高原リゾートで、他の観光地が羨むような集客力をもっていても、外周に位置する村々の過疎化が止まらないという。

 
 十数年前までは子供たちが都会に出ても、そういうところで細々と農業を営む人がいてくれた。でも最近はそういう方々も高齢化で家や田畑を売り都会移住している人が増えているというのだ。買い手は金融力をもつファンドなど。最近は古民家ブームみたいなものがあるので、すぐに取り壊さないで、新しいリゾートとして再生させようという試みも多いという。

 
 オーナーのファンドは都会から運営者を呼んで、地元出身ではない人を責任者として送り込む。人手不足だから外国人を含め多くの人を地元以外から調達する。

 
 ベッドメイクや清掃、後始末などは都会からきた専門業者がやり、食事などは、仕入れ力が強くて安い業務用スーパーなどで調達し、それをバイキングやバーベキューのようなお客さん参加型(実は省力化)で賄う。

 
 やってくるお客さんはインバウンドも多くて国際的だけれど、ほとんどがインターネット予約で、電話などで旅館やホテルの生身の声も聞くことなくやってくる。もうすぐ自動チェックイン機も導入されるだろう。キャッシュレス時代がそれを後押しする。

 
 外見は自然のなかに佇む古民家。ほのぼの懐かしい日本の「原風景」とやらがあるように思える。でも、そこに村人がいるのだろうか?

 
 風景は人のぬくもりがあって、初めて温かいと感じるものと思うのだ。そこに生まれ育った人たちの息づかいや体温がなかったら、それは良くできた映画などで使うオープンセットにしかならないのじゃないか、と。ムラビトのいないムラは、ある種フェイクな存在にすぎないのではないか。

 
 じゃ、どうすればいいのかと問われると、すぐさま答えは出せないけれど、少なくとも、ムラビトがいなくなっても、それをムラというのか、という根源的な問いかけに対する真摯な思考は忘れてはいけないと思うのだが、いかがだろう。

 
 米国の一角に、この男女同権、ジェンダーフリーの世の中に、貞淑でよく気が付き、夫やボーイフレンドを立てる女性ばかりいる町があって、そこを訪れる男性旅行者がみんなファンになってしまうという物語があった。男にとっての桃源郷だが、その町、「ステップフォードの妻たち」の正体は実は○○〇トだった、というオチである。フェイク日本情緒がそんなことにならないかといらぬ心配をしている。結構、こわい物語でしょ。

 

コラムニスト紹介

松坂健氏

オフィス アト・ランダム 代表 松坂 健 氏
1949年東京・浅草生まれ。1971年、74年にそれぞれ慶應義塾大学の法学部・文学部を卒業。柴田書店入社、月刊食堂副編集長を経て、84年から93年まで月刊ホテル旅館編集長。01年~03年長崎国際大学、03年~15年西武文理大学教授。16年~19年3月まで跡見学園女子大学教授。著書に『ホスピタリティ進化論』など。ミステリ評論も継続中。

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