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「トラベルスクエア」平成は家業消滅の時代?

2019年4月28日(日) 配信

家業が持つファジーな人間味を

 
 平成の間で、どんな風景がいちばん印象的だった? と問われるなら、僕は平成9(1997)年の11月27日(だったと記憶する)、昼下がりの兜町と答えたい。
 
 そこには2つの震災や豪雨災害の跡を見た時のような激しさはなく、ごく普通のビジネス街の佇まいがあるだけだった。
 
 なぜ、日付まで覚えているかというと、その3日前、山一證券の倒産が伝えられたからだ。株式とはまったく別の用件で茅場町から兜町方面に行っていたのだが、衝撃を受けたのは、あまりに人が歩いていない風景だった。ふだんは証券会社の社員や株式売買の人たちで溢れている歩道にほとんど人影がない。
 
 その誰もいない白日夢のような景色に、僕は戦慄を覚えた。
 
 平成の旅館ホテルは、まさにそんな金融危機のなかで、「家業」としてのビジネス形態が崩壊していく過程だったように思う。不良債権処理、金融引き締めのなかで、貸しはがしが横行し、多くの旅館ホテルがファンドに買収されていった。バブル期の過剰投資に浮かれたことのツケもあったとはいえ、僕自身が敬愛していた旅館業の大先輩や、仲間と言っていい人たちが、いつの間にか消えて、いまだに消息不明の人も多い。「さらば友よ」はあまりに悲しい。
 
 一方、ファンドが乗り出して、オペレーターとマネジメントの分離がどんどん進んだ。B&B型や宿泊特化型など、旅館ホテルが持つコミュニティ機能よりも、旅(商用含む)のための基地機能が強調されるようになった。もはや、浴衣で宴会しにいく時代ではなくなってしまったのか。僕のように、旅館の大宴会場のふすまの外、上がり框に散乱するスリッパを眺めると「おっ、ご同輩やっておりますな!」とそれなりの旅情を感じる人には残念なことだ。
 
 一方、インバウンドの増加。これはもうこんなにも中国の経済発展が急速だと読み込めなかった僕自身の不明を恥じ入るしかないが、予約発生源のネットエージェント化と符節を合わせて、旅館ホテル業界の経営に大変革をもたらしている。
 
 インバウンドが無限定に流入し、営業はIT任せ。毎日の仕事のロボット化や新しい外国の方々の就労も増えるだろう。
 
 やはり、旅館ホテル業のビジネスフォームは、平成で大きく変わってしまったのだと思う。
 
 家業が持つファジーな人間味が薄れてきているのは、宿に機能だけではなく、ある種の詩情(ポエジー)を求めたい僕は不本意だが、これも大きな流れと納得している。
 
 これからの「令和」はそんな新しい脱・家業のビジネスフォームが、どれだけお客とそこで働く人々双方の幸福が増していくか、その技法に磨きをかけようという気持ちで迎えたいと思う。

 

コラムニスト紹介

松坂健氏

オフィス アト・ランダム 代表 松坂 健 氏
1949年東京・浅草生まれ。1971年、74年にそれぞれ慶應義塾大学の法学部・文学部を卒業。柴田書店入社、月刊食堂副編集長を経て、84年から93年まで月刊ホテル旅館編集長。01年~03年長崎国際大学、03年~15年西武文理大学教授。16年~19年3月まで跡見学園女子大学教授。著書に『ホスピタリティ進化論』など。ミステリ評論も継続中。

 

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