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「登録有形文化財 浪漫の宿めぐり(96 最終回)」(山形県尾花沢市)能登屋旅館 ≪バルコニー、出窓、書院造り 和洋混在の100年旅館≫

2019年4月6日(土) 配信

 

銀山川と銀山温泉街を見下ろして立つ3階建て。美しく力強い造りは豪雪にも負けない

 
銀山温泉は大正ロマンを感じる町並で人気が高い。銀山川の両岸に大正・昭和期の木造2階・3階建ての宿が並び、ガス灯のともる夜は宿の窓から漏れる灯が情感豊かである。能登屋旅館はそんな家並みの銀山川上流部に位置し、大きな構えの木造3階建てだ。屋根の最上部に望楼が乗るしゃれた造りである。
 
 能登屋の創業は1892(明治25)年。創業時の館主の木戸佐左エ門は、当主が佐左エ門を襲名する木戸家の何代目かにあたる。初代の木戸佐左エ門は江戸時代前期の1667(寛文7)年に、現在の石川県七尾市から銀山川沿いの延沢銀山へ銀を採掘に来た山師だった。すでに温泉は、銀山採掘でにぎわう中で発見されていた。1689(元禄2)年に銀山が閉山された後も木戸家はこの地にとどまり、今では17代目佐左エ門を名乗っている。旅館名の能登屋は、初代の出身地から命名した。
 
 建物は銀山川に面した本館と山側の別館があり、登録有形文化財になっている本館は1921(大正10)年ごろに建てられた。玄関の上のバルコニーや出窓側面のアーチ型窓が洋風を感じさせる。周囲の旅館にも似たようなイメージが見られ、「当時のはやりでしょうか」と若主人の木戸裕さんは言う。さらに目に付くのは前面を飾る富士山や大きな「木戸佐左エ門」という名乗り看板の鏝絵。大石田に住んでいた後藤市蔵という左官職人の作品である。後藤は鏝絵の名人として名高い伊豆の長八に学んだそうだ。
 
 館内はこの数十年で行った2回の改装により大きく変わった。エレベーターを取り付け、廊下は段差なしのバリアフリー。全室にシャワー式トイレを導入した。金銭面だけでなく、古い造りの建物では構造的にも難しいことである。そのうえ、当初の木造階段を生かし、廊下にかつての彫刻欄間を使うなど、美しい古さは随所に残した。
 
 それが顕著にみられるのが客室である。全15室のうち9室が本館にあり、3階の清流の間は本間が書院造りで幅1間の板床と違い棚が風格豊かだ。落し掛けや天袋の引き戸には銘木の黒柿が使われている。NHKの人気朝ドラだった「おしん」の撮影にも使われたという。
 
 8畳2間続きの春雨の間も書院風の造りで、2間とも幅1間の板床と違い棚、書院障子があり、両室の境には松の透かし彫り欄間がはめ込まれている。ただし天井は棹が縦横に組まれた洋風のイメージだ。2階の客室にも同様の天井は多く、床の間の落し掛けに変木を使った部屋もある。施主や大工の遊び心といえるだろう。
 
 廊下周りでは2階と3階の出窓、そして4階部分にある談話室が特徴的だ。アーチ型窓、シンメトリーに格子を組んだガラス戸、透かし彫りの欄間など、和洋折衷の大正時代が色濃い。出窓の椅子に身を置くと、100年も時が戻るのである。

 

コラムニスト紹介

旅のルポライター 土井 正和氏

旅のルポライター。全国各地を取材し、フリーで旅の雑誌や新聞、旅行図書などに執筆活動をする。温泉、町並み、食べもの、山歩きといった旅全般を紹介するが、とくに現代日本を作る力となった「近代化遺産」や、それらを保全した「登録有形文化財」に関心が強い。著書に「温泉名山1日トレッキング」ほか。

 

 

 

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