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〈旬刊旅行新聞2月21日号コラム〉想い出の地 春を迎えに房総フラワーラインへ

2019年2月21日
編集部:増田 剛

2019年2月21日(木) 配信

花が美しい房総フラワーライン

 初めて正社員として雇ってもらった会社は、小さな広告会社だった。少人数のため、仕事は多忙だった。広告制作の傍ら、進行管理も担当していた。社会人として未熟だった私は、営業部がせっかく取ってきた広告を、何度か入稿の手続きを忘れてしまうといった失態も繰り返し、精神的にもかなりきつい状態にあった。

 ある朝、心身ともに疲れ、東京・三鷹市の安アパートから通勤電車に乗ったものの、足がどうしても会社に向かうことができず、東京の都心を通過して、そのまま総武線で千葉方面に向かっていた。

 早朝から、夜遅くまで働き通しだったため、週末の休日でさえ、「夕方近くまで布団の中で疲れを癒す生活」が数カ月続いていた。平日の房総半島を下る電車の乗客はまばらで、緊張続きの普段とは異なる長閑な世界に映った。5月の雲ひとつない青空が広がる季節だった。

 電車を降りたのは、館山駅だった。駅近くで昼ごはんを食べて、海辺に向かった。なぜ、自分は会社ではなく、房総の南端に来ているのだろうと、何度も自問した。そういえば、5歳年上のいとこの兄が、「オートバイで房総半島を走るのが好きなんだ」と話していたのを、胸のどこかにひっかかっていたのかもしれないと思った。

 それから再び電車に乗り、千倉駅で下車した。行くあてのない旅で、気の向くままに歩いていると、漁村に辿り着いていた。もう日が落ちかけていた。

 その日のあと、間もなく会社に辞表を提出した。この小さな旅は、自分自身にとってはとても大きな旅であり、館山市や千倉町(現・南房総市)には特別な想いがある。

 月日が流れ、自分が家庭を持つようになってからは、外房の九十九里浜に行く機会が多くなった。

 当時勤務していた会社は週休1日だったので、暇を見つけては白子海岸や、ときにはその先の御宿まで、中古の三菱パジェロで走った。自宅の神奈川県から相当に遠かったが、休日は砂浜で何もせずに、広大な浜辺を眺めるという時間を大切にした。九十九里浜は波と波の間隔が広く、私が生まれ育った九州の海とは違っていた。色彩の少ない寂しげな景色も気に入っていた。

 家族と南房総市の小さなホテルに宿泊したのも、ちょうど今ごろの2月下旬だったと思う。宿を出て、房総フラワーラインをドライブした。菜の花や、季節の花々が道の両脇に咲き乱れ、まだ風に冬の名残があるなかで、一足早く春の訪れを感じたのを強烈に覚えている。

 千葉には出張で訪れることもあるが、鋸山にも登ったことはないし、養老渓谷にも行ったことがない。今、話題の香取市佐原の伝統的建造物群保存地区も、まだ訪れたことがないのである。だからこそ、私にとって楽しみの多い土地に感じるのだろう。安くて美味しい魚介類や、果物の宝庫でもある。

 東京湾を挟み、対岸の三浦半島の観音崎で魚釣りをしているときに、ぼんやりと眺める房総半島は、手が届くほど近くに感じる。まだ、少し寒いが、もう少し暖かくなったら、横須賀市の久里浜からフェリーで富津市の金谷港に渡り、オートバイで房総フラワーラインを走り、春を迎えに行こうと思う。館山市で炙り海鮮丼を食べることも楽しみだ。

(編集長・増田 剛)

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