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進化か? 劣化か? ― 後戻りできない社会

2012年11月11日
編集部

 未来に向かって人間社会は少しずつ進化しているのか、それとも劣化しているのか。

 限られた空間に原初100人の共同体だったものが、やがて1万人になり、100万人、1億人に拡大していく過程で、社会の質も比例して高度化していくわけでもない。科学の進歩は目に見えて分かるが、文明が文化を超えた現在、そして未来の社会は、本当に幸福だろうかと疑問に思う。好むと好まざるとに関わらず、不必要な装飾品を纏いながら、決して後戻りができない、前進のみの社会構造が存在する。進化とはそういうものであるし、そう思い込むことこそ劣化なのかもしれない。

 田中眞紀子文部科学大臣が3大学の新設を突然不認可にしたことが騒がれている。「田中大臣の“ちゃぶ台返し”が大学の関係者に混乱を与えている」とテレビのニュースも言っていた。田中大臣の手法はいつも極端であるが、言っていることは正論だと思う。どうして認可が下りる前に、大学の建物を作り始めているのか。学生の募集を始めているのか。「万が一にも、大学の新設が認可されなかったら、志望する学生に混乱を与えてしまう」と大学の関係者は考えるべきところではないか。田中大臣を訴えるような動きをしているようだが、それは違うような気がする。地元の学生は混乱し、可哀そうだと思う。しかし、弱者である学生たちの声を楯に、田中大臣を完全なる悪者にする風潮が嫌いだ。この構図は、あらゆる場面で見てきた。一部の弱者の声を引用し、世論を形成していく。冷静に考えれば、この急激な少子化の中で、毎年毎年大学を増やす必要があるのだろうか。国民の大多数は本当に、定員割れの大学が無数あるなかで、さらなる補助金を投入しなければならない大学の増設を望んでいるのだろうか。

 トヨタの営業利益が1兆円を超えそうだという。その陰には、国の減税措置という後押しもあり、相当の電力の供給が必要だったはずだ。トヨタが多額の税金を納めてくれるので、国は成功を収めた。自動車に乗らない人も、この国策に乗っていく。そしてこの流れは決して後戻りはできない。大きな国の方針が、不特定多数の小さな個々の幸せと結びつかなくなってきている。国の大きな権限を目の細かな地方に移す時代なのではないか。

(編集長・増田 剛)

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