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「登録有形文化財 浪漫の宿めぐり(91)」(福島県天栄村) 源泉亭湯口屋旅館≪岩瀬湯本温泉の源泉上に立つ茅葺の宿≫

2018年11月4日(日) 配信 

一部がトタンで覆われた分厚い茅葺の屋根。客室の外の高欄が湯宿らしい

「この部屋の床下から源泉が湧いています」。囲炉裏の切られた広い居間で、主人の星完治さんが言った。湯口屋のある岩瀬湯本温泉は、発祥が平安時代初期にさかのぼる。嵯峨天皇の病気平癒を願った3人の兄弟が、現在の岩瀬湯本地区で温泉を発見。湯の花を持ち帰り、嵯峨天皇が入浴に使用すると病気が全快したという。

 天皇は3人を温泉発見地の湯守に命じ、湯口屋は3人の中の長男である星右京進の子孫なのだ。当初から数えると計算が合わない気もするが、「今が15代目くらいではないか」と女将の星真紀子さんは言う。旅館としての営業願いは1886(明治16)年に出ているが、それ以前から湯治宿として利用されていただろう。

 建物は本館主屋と本館西棟、離れ、かつての郵便局の建物を利用した旧郵便局棟、広間棟に分かれ、もっとも古い1871(明治4)年に建てられた本館主屋が登録有形文化財になっている。総客室数11のうち、5室が文化財部分だ。

 本館は茅葺き屋根の木造2階建て。やや複雑な構造で、1階部分が玄関や玄関ホール、みかげ石張りの浴室などのある下部と、ロビーや居間などのある上部に分かれる。その間をつなぐのは幅2・7㍍ほどの大階段。空間に広がりがある。

 1階上部のロビーと居間は豪快な造りだ。どちらも2階まで吹き抜けで、天井の高さはロビーが約5㍍、居間は約6㍍もある。直径30㌢以上の梁が縦横に組まれ、板敷のロビーは置き型の囲炉裏と床の間付き。畳敷きの居間には立派な仏壇がしつらえられ、ケヤキの大黒柱は一辺が30㌢以上もあって力強い。囲炉裏の周囲だけは板敷で、ここで取る夕食はことさらうまい。イワナや馬刺し、キノコに地野菜。すべてが女将の手作りで、食材はほとんどが湯本周辺の産物という。

 本館主屋の客室は、1階上部に3室と2階に2室。どの部屋も四方に長押を回し、1階上部のりんどうの間は、1間の床の間に筆返しのついた違い棚がある。2階には鶴の間と亀の間があり、どちらも手斧削りの梁が天井に組まれている。鶴の間にはかつて漫画家のつげ義春さんが宿泊した。室内から見下ろす岩瀬湯本の家並みを、独特のタッチで描いた。その絵の写真は集落内の智恵子邸という施設で見ることができる。

 文化財に登録されてはいないが、他の客室も趣あるもの揃いだ。本館西棟の紅葉の間はしゃれた落し掛けの床の間と床脇があり、朱漆を塗ったような長押も落ち着きがある。旧郵便局棟は星家が郵便局を営んでいたころの名残で、客室は組子のある下地窓やふすま、吊柱の床の間、筬欄間のガラス戸と組子のある書院障子など、見どころがいろいろ。1947(昭和22)年の建築なので、登録有形文化財の資格は充分である。

 

コラムニスト紹介

旅のルポライター 土井 正和氏

旅のルポライター。全国各地を取材し、フリーで旅の雑誌や新聞、旅行図書などに執筆活動をする。温泉、町並み、食べもの、山歩きといった旅全般を紹介するが、とくに現代日本を作る力となった「近代化遺産」や、それらを保全した「登録有形文化財」に関心が強い。著書に「温泉名山1日トレッキング」ほか。

 

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