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「登録有形文化財 浪漫の宿めぐり(87)」(島根県出雲市)日の出館≪2つの出雲大社参道に面した江戸末期創業の宿≫

2018年7月7日(土)配信 

緑の濃い前庭の奥にある玄関は入母屋。 破の屋根で建設当初の形を残す

 出雲大社の門前、神門通りに面して小ぢんまりとした入り口を構えている。この場所で江戸末期以来、150年以上の旅館営業を続けてきた。

 もっとも当初の入り口は北側の馬場通り側にあった。出雲大社の玄関が現在よりも東向きにあり、馬場通りが当時の正面参詣道だったからだ。その後の参拝客の増加により、幅広でまっすぐな参詣道である神門通りが造られるのが1914(大正3)年。それに合わせて旅館の入り口も神門通り側に移された。旅館の平面図を見て建物が「く」の字型に曲がり、造りがやや複雑なのは、こうした参詣道の変化と宿泊客の増加による増改築のためである。

 建物は玄関棟を中心として、南側に調理場や事務室のある台所・管理棟、北側に明治棟や坪庭と中庭があり、中庭の後方に大広間や客室のある新館が続く。このうち登録有形文化財になっているのは、1916(大正5)年建築の玄関棟と1902(明治35)年頃に建てられた明治棟である。総客室10室のうち、5室が玄関棟と明治棟にある。

 玄関棟は松やシイなどが茂る前庭の奥にある。玄関の天井板を抑えているのは、細木で半円と放射線を描いた輝く朝日のデザイン。旅館名にちなんだものだ。「大工の遊びでしょう」。8代目になる主人の小川進介さんが言う。建築は地元の大工だろうとのことだが、大正時代は粋な大工も多かったのだ。2階へ上る階段には、坪庭を望む8角形の下地窓がある。

 明治棟は今年初めに1階を改装した。8畳の「ばら」の間と6畳の「竹」の間を合わせ、1室の「ばら」の間にしたのだ。だが水回り中心の改装であり、居室の造りは数寄屋のままなので、古い雰囲気は保たれた。旧「ばら」の間は、幅が一間の床の間と一間の床脇を備える。磨かれた床柱、ゆるく弧を描く落し掛け、細かな組子の書院障子がみごとである。旧「竹」の間の床の間は簡素な印象だが、畳床で幅は一間。面皮柱風の落し掛けがしゃれている。

 明治棟の2階は「萩」と「梅」のふた間が続く1室と、「桜」と「松」のふた間がつながる1室がある。その間に3畳と4畳の控えの間があるのだが、部屋の境はすべてふすまという昔ながらの造り。ふすまを取り払えば4つの床の間を備えた35畳の大広間になる。各室の天井の回り縁と棹縁がすべて黒漆塗りなのが印象的だ。どちらの部屋からも、広縁から大きなガラス戸を通して中庭を見下せる。

 創業以来、宿泊はほとんどが出雲大社の参拝客だったが、今は観光の家族連れや若い女性が多くなり、外国人も増えた。「旅館らしい旅館に泊まった」、「イメージしていた日本と同じ」などの声がある。夕食のおしのぎで出す「うず煮」は、出雲大社宮司の千家(せんげ)家に伝わる料理。門前の歴史ある宿らしいおもてなしが喜ばれている。

 

コラムニスト紹介

旅のルポライター 土井 正和氏

旅のルポライター。全国各地を取材し、フリーで旅の雑誌や新聞、旅行図書などに執筆活動をする。温泉、町並み、食べもの、山歩きといった旅全般を紹介するが、とくに現代日本を作る力となった「近代化遺産」や、それらを保全した「登録有形文化財」に関心が強い。著書に「温泉名山1日トレッキング」ほか。

 

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