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〈旬刊旅行新聞3月11日号コラム〉全国被災地語り部シンポを取材して 「命を守る」―訓練で大きな開き

2018年3月9日
編集部

2018年3月9日(金) 配信

南三陸ホテル観洋が毎日運行する語り部バス

 毎年3月になると、東日本大震災のことを思い出す。だが、東日本大震災も、すでに世代的には10歳以下の子供たちには、映像を見せたり、話して聞かせたりしなければ分らなくなっている。もうあと数年もすれば中学生、やがて高校生も、「東日本大震災を知らない」世代となる。あの阪神・淡路大震災が発生してから、もう23年が過ぎた。大学生以下の世代は、生まれる前の出来事なのだ。

 2月25、26日に宮城県・南三陸町で開催された第3回全国被災地語り部シンポジウムin東北を取材した。「『KATARIBE』を世界へ」―をテーマとした同シンポジウムには約400人が参加した。国内だけでなく、海外からも集った。「世界各地で起こる災害から命を守るため、日本の災害の経験、知識を伝え、さらに海外の経験を学び、『KATARIBE(語り部)』を世界共通語にします」と、全国被災地語り部「南三陸宣言」によって締めくくられた。この「命を守るため」という言葉が重く胸に突き刺さる。

 南三陸ホテル観洋は、2012年から南三陸町の被災地を巡る「語り部バス」を運行している。語り部は、被災者でもある同ホテルのスタッフたちだ。

 戸倉地区の戸倉小学校は、当初は3階建ての校舎屋上が避難場所に指定されていた。3月9日に発生したやや大きめの地震の際に、児童を校舎の屋上に避難させたが、「避難場所は本当に校舎の屋上でいいのだろうか」と教職員が話し合い、道路を挟んだ神社のある高台へと変更した。早速、翌10日の午前中に高台に向かって避難訓練を行った。その翌日、3・11の大地震が襲い、戸倉小学校の校舎屋上をはるかに超える大津波が押し寄せてきた。当時学校に残っていた児童91人は、高台に逃げたため生き残った。

 今回のシンポジウムで、オプショナルツアーとして宮城県石巻市の大川小学校も訪れた。同小学校の児童74人は津波によって尊い命をなくした。犠牲となった児童の遺族(父親)が語り部(ガイド)となり、当時のようすを話してくれた。

 地震後、児童は体育館のすぐ奥にある裏山に避難することなく、校庭で待機させられた。津波が押し寄せるわずか1分前に、山ではなく川に向かって避難を始めた。不可解な行動はさまざまなメディアによっても報道され、検証もされている。実際、裏山に上ってみた。津波が襲った8・6メートル地点には1分ほどで歩いて上ることができた。傾斜は9度である。児童も毎年シイタケ栽培の体験学習やスケッチを行っていた馴染みの深い場所だ。小さな子供たちでも難なく避難できる山という感想だった。語り部によると、避難訓練もなかったという。

 2つの小学校でどうしてこんなに正反対の結果となったのか。対比せざるを得なかった。

 旅館やホテルなど、観光業界の施設には子供たちや高齢者も多数訪れる。滞在中に大地震や津波が来る可能性は決して低くない。語り部たちの胸に響く話を聞きながら、避難場所を真剣に考え、実際に訓練をしている施設とそうではない施設では、「命を守る」うえで大きな開きがあるという教訓を得た。

 石巻駅から仙台駅まで電車で帰る途中、学生服を着た高校生たちが笑顔で騒いでいた。この生徒たちも7年前は小学生だったのかな、と時の流れを想った。

(編集長・増田 剛)

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