No.448 有馬グランドホテル、機械ではなく「人を介して」運ぶ

  • 2016-12-1

有馬グランドホテル
機械ではなく「人を介して」運ぶ

 高品質のおもてなしサービスを提供することで、お客様の強い支持を得て集客している宿の経営者と、工学博士で、サービス産業革新推進機構代表理事の内藤耕氏が、その理由を探っていく人気シリーズ「いい旅館にしよう!Ⅱ」の第8回は、兵庫県・有馬温泉で有馬グランドホテル、中の坊瑞苑を経営する梶木実社長が登場。団体客から個人化に移行するなかで、料理の運搬システムや、好評を得ている中華レストランのオーダーバイキングなどさまざまな取り組みを語り合った。

【増田 剛】

 
 

〈「いい旅館にしよう!」プロジェクトⅡシリーズ(8)〉
有馬グランドホテル

■梶木:もともとは江戸時代から木炭を売っていましたが、現在の中の坊瑞苑のある場所で、湯治客に建物の2階を貸しているうちに、宿屋をやっていくことになったのです。個人創業として中の坊旅館を始めたのが1868(明治元)年のことで、来年創業150周年となります。

■内藤:有馬グランドホテルのオープンはいつですか。

■梶木:東京オリンピック前年の1963(昭和38)年です。その後、大阪万博前年の69年に約600人収容まで増築しました。
 95年には、さらなる増築の最中、阪神淡路大震災に遭いました。建物が完成し、既存の建物とつなげるために壁を取り外していた、まさにそのとき、地震が来たので強度が足りず、柱が破裂して傾き、全壊ということになりました。幸い宿泊者には被害はありませんでした。97年の夏に建て直し、今の有馬グランドホテルの中央館ができました。

■内藤:何部屋まで増やそうとされていたのですか。

■梶木:当時約120室でしたが24室を増築し、140室程度になる予定でした。東館、中央館、北館とあるのですが、新しい中央館ができたときは228室。最近、広い部屋を2分割して部屋数を増やしたので、現在は234部屋です。

■内藤:被災した直後は、どうでしたか。

■梶木:ライフラインもストップしたなか、先代が陣頭指揮を取って対応しました。1―2週間後には残った奥の東館だけで経営を再開しました。被災時に当館は工事中だったので、建設会社が常駐していました。このため、比較的早く復興の工事が進み、不幸中の幸いでした。
 当時、もう一つ計画がありました。有馬グランドホテルの裏山の上に、もう一つホテルを建てる予定でしたが、そこで考案していた設計プランを中央館に持ってくることができたので、設計も早く進みました。

■内藤:宿泊客の動きはどうでしたか。

■梶木:阪神間のお客様が当館の7割を占めており、地元の方々も被災されていたので、厳しかったですね。1月17日の震災から夏休みまでは、復興作業の方々が宿泊していました。徐々に一般のお客様が来られるようになるまで1年はかかりました。

■内藤:東日本大震災と違い、消費地と被災地が同じエリアなので大変でしたね。
 その後も、個人化への流れなど、旅館を取り巻く環境は大きく変化していきました。

■梶木:おっしゃるように一番大きく変わったのは、団体のお客様がどんどん減り、個人客が増えてきたことです。まず、チェックインの流れから変わりました。団体客の場合は、到着されると、ご案内は1回で済みます。
 かつては大型団体3件で満館ということもありました。今は、夏休みなどは170件まで口数が細分化されています。
 大型団体のお客様でしたら玄関でのお出迎えから、チェックイン、客室までのご案内、客室での呈茶サービスも、その到着時間に合わせてスタッフを出勤させることもできましたが、個人客化に合わせた運営に変えていかなければならなくなりました。…

 

※ 詳細は本紙1652号または12月7日以降日経テレコン21でお読みいただけます。

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