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冬のキャンプ場 ― “未知の余地”が大きく存在する

2016年11月1日
編集部

 小さな新聞社であるが、毎日のように郵便物や、FAX、メールによる情報が届く。

 その数ある郵送物のなかで、封筒を開封するのが楽しみなものの一つに、日本オートキャンプ協会が毎月15日に発行している「オートキャンプ」がある。

 「オートキャンプ」には、現在のキャンプ動向や、最新のアウトドアグッズの紹介、海外のキャンプ事情なども、有益な情報として得られる。また、巻末の小さなコラム欄も好きだ。

 キャンプの思い出は、楽しい記憶しかない。

 小学生のころは、毎年夏になると、最低でも1、2回はキャンプ場に行っていた。テントで寝ることもあったし、バンガローで雑魚寝状態のときもあった。たくさん蚊に刺されたし、飯ごうで炊くごはんがベチョベチョ
でも、とにかく大勢で泊まるのは楽しかった。キャンプファイヤーも、花火も、綺麗な映像として残っている。中学生になっても、高校生になっても何度もキャンプをした。

 大人になってからも、何度かキャンプをした。とても楽しい思い出だ。だけど、最近キャンプをしていない。

 キャンプといえば、夏のイメージが強い。そして、実際夏休みは多くの子供たちや家族連れでにぎわう。

 秋の、晩秋に向けたこの季節、たまに青空が広がる日などは、オフィスのあるビルの隙間から青空を眺め、「あ~キャンプがしたいなぁ」という気持ちが日増しに強くなっている。

 自宅から2時間くらいの場所が理想だ。少し厚着をしてオートバイに乗って、静かなキャンプ場に行く。そして6畳1間くらいのバンガローに1人で過ごしたい。温泉露天風呂があれば、最高である。今は、温泉施設が備
わっているキャンプ場も増えた。10年くらい前に買ったお気に入りの黒い革で巻かれたフラスコにスコッチを満たして、葉巻も数本鞄に入れて、美味しいチーズやサラミなども持って行きたい。夢想は膨らむ。

 なぜ、ホテルや旅館ではなく、そして夏ではなく、晩秋から冬にかけての、キャンプ場のバンガローに心が惹かれるのだろう、とよく考える。

 理由はさまざまに思い浮かんでくるが、日々の生活では不可能であるが、想像力をより広げることができるからだと思う。

 多くのホテルや旅館は、宿泊する前からなんとなく旅の想像ができてしまう。予定調和的な旅である。客室をすごく豪奢にリニューアルした施設のニュースリリースが毎日のように集まってくるが、その綺麗な写真を
眺めるだけで、9割くらい旅が終わった気分になってしまうのだ。

 一方で、キャンプ場で私が過ごしたいと思うバンガローには、快適さはほぼ欠落しているが、その一晩に自分がどのようなことを考え、思想するのかまったく予想できない。つまり、未知の余地が大きく存在する。

 旅先の宿で、自分の頭の中の価値観が一変させられるような大きな衝動が感じられたら、素晴らしいことである。それは、宿の主人の思想が込められた空間――例えば、椅子と窓の位置関係という、何気ないこだわり
かもしれない。旅をしているのは肉体の移動だけでない。頭の中も旅をしている。ただ無思想に高級で、豪奢な空間からは、新しい衝撃を受けることは、私にはこの先、もうないだろうと思う。

(編集長・増田 剛)

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