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旅のプロ ― 空気のような存在こそ練度が高い

2016年9月11日
編集部

 魚を釣りに行っても、酒場のバーに座っても、その人が一つのことにどれくらい訓練を積み重ねてきたか、という練度が自然なかたちで感知される。遊びだけではなく、仕事においても熟練の度合いが鈍い光を放つ。

 旅も同様である。旅行会社の社員と同行取材の旅を経験してきたが、彼らはホテルや航空機、鉄道などの裏事情に精通する旅のプロだけあって、自ずと添乗員的な役回りになる。これはさまざまなトラブルに遭遇し、乗り越えたり、回避したりしてきた経験の層が意識せずとも、凛々しさや、頼もしさを醸し出しているせいでもある。

 自分自身の旅を思い返してみると、わりと色々なところに行って来たな、と感慨にふけることもある。辺鄙な場所にも好んで訪れたし、後で考えると「危険な橋を渡った旅」もいくつかある。

 業種を問わず、年がら年中、世界中を駆け回るビジネスマンも、思いのほか多い。彼らは決して旅行業界の人間ではないのだが、国際空港などでの空き時間の潰し方や、搭乗手続きの手際の良さを目の当たりにするにつけ、いつまで経っても旅の錬度の上がらない己の旅の素人ぶりに気づかされる。

 出張帰りの新幹線に乗っても、私は未だに缶ビールとビーフジャーキーや柿ピーなどを買って、夕暮れが迫る田園風景を眺めながら、ひとときの旅情を楽しんでいる。しかし、しばしば巡り合うのは、隣に座るビジネスマンが車窓に映る景色には一切目を向けず、ミネラルウォーターで乾いた喉を潤しながら、一心にパソコンの画面を見つめ、企画書やら、管理データなどを作成している場面だ。

 「この人はもう、新幹線での大移動は日常であって、座席はオフィスのデスクと同じであるのだな」と赤ら顔で、旅に動じない男に感心してしまう。

 誰かと旅をすることで、その人のことをより深く理解できる。

 旅行作家やトラベルライターと言われる人たちと旅を共にすることがよくある。彼らは、一言でいえば、旅に「貪欲」である。朝日が綺麗に見える場所があると聞けば、朝4時に起きて、その場所に行こうとする。夜中に星がくっきり見えると耳にすれば、それが真冬であろうと、セーターを何重に着込み、外に出る。これらは極端だが、例えば旅に貪欲な人と、一般的な人が2人で旅に出たときに、一方は近くに話題の店があると「せっかくだから行こう」と誘う。一方は「ホテルでゆっくりしたいのでこれ以上出歩くのは疲れるから嫌だ」と感じるケースが往々にしてある。

 夫婦や恋人同士で旅をすると、このような細かな行き違いが重なり、その結果「この人とは旅のスタイルも、生き方もすべてが合わない」と別れるパターンもある。旅とは恐ろしいものだが、そのような深い関係でなければ、「へぇ~、この人はこんな旅の仕方をするんだ」と新たな発見をすることもある。

 旅慣れた人と、旅に興味の無い、あるいは旅に関心を失った不感な人は、表面的には見分けをつけづらい。旅のプロのような風情を、一見して見破られる人はまだまだだ。酒場で常連面をして目立つ奴も、まだ浅い。場に空気のように溶け込んでいる人こそが、練度が高いのである。旅先に溶け込み、空気のように存在感の無い旅人になりたい。

(編集長・増田 剛)

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