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No.440 千草ホテル、市場環境にどう適応していくか

2016年9月11日
編集部

千草ホテル
市場環境にどう適応していくか

 高品質のおもてなしサービスを提供することで、お客様の強い支持を得て集客している宿の経営者と、工学博士で、サービス産業革新推進機構代表理事の内藤耕氏が、その理由を探っていく人気シリーズ「いい旅館にしよう!Ⅱ」の第5回は、福岡県北九州市八幡で千草ホテルを経営する小嶋亮社長が登場。結婚式場業の定義に縛られず、「アニバーサリー・デザイン・カンパニー」へと発想の枠を広げ、内製化した自社の強みを活かす千草ホテル現場の取り組みを語り合った。

【増田 剛】

 
 

〈「いい旅館にしよう!」プロジェクトⅡシリーズ(5)〉
千草ホテル

 ■小嶋:千草という名前が生まれたのは1914年で、料亭から始まっています。千草は千の草、つまり雑草のことで、「雑草のようにどんなに踏みつけられてもたくましく生き残っていきましょう」という創業者の思いが込められています。

 当時、官営八幡製鉄所ができて非常に街が盛り上がっていました。私の曾祖父が愛媛から北九州の八幡に出てきて、港湾労務者として働いていたのですが、曾祖母が小料理屋を開くと繁盛したため、料亭を始めたという流れです。料亭千草は八幡製鉄所など大企業の社長や重役の接待に使っていただいていたようです。

 戦後は、焼け野原の中で料亭を再開しました。うちは分家筋にあたり、曾祖父の長男が料亭を継ぎ、次男だった私の祖父が分かれて、1942年に割烹旅館を始めました。これが千草ホテルの直系の流れです。料亭と同じく官官接待需要を取り込みつつ、旅館機能を付加した感じです。

 しかし、あくまでも接待が中心で、宿泊機能が現在も“サブ的”な位置付けなのは、そこがスタートだからです。

 父の代になって結婚式が盛り上がり、その後、「レストランウェディング」や「ハウスウェディング」に取り組むようになっていきました。私は2015年7月に専務から社長に就任しました。

 ■内藤:完全にマーケットの需要にあわせて業態転換していったのですね。

 ■小嶋:現在は、洋室宴会と和室宴会という2種類があるのですが、洋室宴会でブライダルが伸びていき、和室宴会は今でも確実にある接待需要を取り込むために、八幡エリアに関しては広げています。最近は個人客も増え、全体の半分を占めています。…

 

※ 詳細は本紙1640号または9月15日以降日経テレコン21でお読みいただけます。

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