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政治と観光 ― 純粋な民間交流とは異なる印象

2015年6月1日
編集部

 日本人海外旅行者の伸び悩みが続いている。円安という要因は大きいが、近隣国への旅行者の大幅な減少も影響している。

 日本は自由な国である。外務省の渡航情報で退避勧告や渡航延期勧告に指定されたエリアでなければ、しかるべき手続きを踏んだうえであれば、基本的に世界中どこを旅行しようと、問題はない。

 旅行先を選ぶ際には、「憧れの国」や「料理の美味しい国」「危険の少ない国」「旅行中に心地よい思い出が作れそう」「笑顔でもてなしてくれる国」などは人気が高いだろう。

 日本は今、海外からの外国人観光客が多く押し寄せている。こちらも円安効果によるところが大きいが、決してそれだけではない。その国に魅力が必要であるし、安全性や、おもてなしの心がなければ、多くの外国人観光客は訪れない。ある意味で、厳しい国際競争である。紛争が起こったり、治安や衛生面などに不安があれば、外国人観光客の足は止まる。だから観光大国はそれらに気を遣いながら自国の魅力を大々的にPRするし、文化力も磨いていかなければならないし、国際的な関係にも細心の注意を払う。

 経済や人的交流が密接になるほどに、平和とは反対の方向に向かうケースが意外と多いというのは、観光業界の末席に身を置く者として残念であるが、事実である。経済は政治よりも、国境の壁は低い。「政冷経熱」という言葉があるように、たとえ国と国の関係が上手くいかず、緊張関係になったとしても、民間同士のつながりは簡単には切れない。企業はすでにグローバル化しており、政治的な国境線は無意味どころか、障壁にさえなっている。

 ビジネスを除く観光客は、もっと個人の事情によるもので、「危険」だと感じた国には進んで行かないし、「自分たちが良い印象を持たれていない国には、あまり行きたくない」というのは、自然な感情である。それでいいはずである。そして、そのような数字が現れている。

 「国際交流は大切か?」と聞かれれば、答えはYESである。「青少年の交流は増やしていくべきではないか?」と問われれば、その通りである。仮に「深い関係のある近隣国との政治的な関係が悪化し、交流が細くなっている状況にあるならば、民間が進んで交流を太くさせるべきではないだろうか?」と言われれば、首を横に振ることはできない。

 すべて「その通り」であるし、異論を差し挟む余地はない。なぜか。それは、正論だからである。

 正論は正しいから正論なのだが、正しいがゆえに、それを持ち出されてしまえば、誰も反論できないという欠点を持つ。それが権力者であれば、なおさらである。

 多くの日本人は、相互の国際交流の大切さを知っているし、「そうすべき」だとも思っている。それを百も承知のうえで、「そうしない」現状を、私は良識だと捉えている。充分に良識を持ち合わせた大多数の民間人が旅行を差し控えるには、それなりの考えや理由があるからであり、無理な修正は逆に危険な流れを生む可能性もある。

 今回3千人超の観光業界の観光文化交流団が訪中した。「民間交流」の言葉が強調されていたが、純粋な民間交流とは異なる印象を受けたのは、私だけだろうか。

(編集長・増田 剛)

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