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「街のデッサン(248)」「京都で、ロジオロジーを発見した」、滞在型ホテルが地域研究拠点に

2021年12月7日(火) 配信

旅の新しいデザインをステイホテルが秘める

 「そうだ京都、行こう。」――これは名コピーではないか。10月の初旬、私もふと思った、そうだ、京都に行こうと。

 どういう訳か、秋の気配が行き渡ると日本の各地でコロナの感染者が減ってきた。コロナ前は、必ず年に1度はパリでアパルトマンの部屋を借りて、数週間過ごすことを何年も習いにしてきた。それがコロナ禍で不可に。旅への憧憬が心の中で鬱積していた。11月になると、私と同じような心持の人々が旅に出るに違いないと予感した。まだ静かな京都を楽しむのは、10月の内だと判断した。ワイフと2人、何日間か京都に滞在することにした。

 幸いなことに大学院での教え子が、京都でステイ型ホテルの運営会社に関わっている。彼のアドバイスを受けて、新京極通にある東急ステイの1室を押さえた。2年ぶりの新幹線の席を予約するときからワクワクした。鉄道系カードで簡単に改札ゲートも通れるように処置した。空白の2年間があって、旅する手続きを再学習した。

 品川駅から乗る新幹線が事故で遅れたが、生憎な出来事も旅の興としてワイフとおしゃべりで享受した。既に日暮れた京都駅にようやく到着しタクシーにて新京極へ。運転手が河原町の交差点前で車を止めて「この通りの奥にホテルのフロントがありますよ」と教えてくれた。新京極通を入っていくと、確かにドーナツ屋の2階がフロントになっている。長期滞在型のステイホテルはそれでも良いのだと私は得心した。部屋は立派に再開発されたホテルの9階一番奥にあった。48平方メートルの広さで京都の町が一望できる部屋が用意され、4泊5日の滞在が始まる。次の朝、子供のように早起きしてワイフと早速ホテルの周りを散歩する。

 京極とは、かつては京の端を意味していたが、この都に手を掛けたい豊臣秀吉が洛中に寺を集めて寺町を造った。寺は秀吉には肝心な折に武士たちの宿泊施設を意図していた。明治初めの槇村正直府知事が、東京に天皇がお移りになられ衰微した街の復興策に盛り場として寺町通に並行させ、新京極を誕生させた。飲食店、映画館、土産物店が集積し、観光客や修学旅行生たちのメッカとなった。

 そのにぎわいは続いているが、映画館がステイホテルとなり、若者たちを魅了するセコンド(古着)ハウスの集積に変貌した。しかし周囲の狭い路地が今でも生きていて、実に魅惑的で面白いレイヤー空間の創出に寄与している。その路地研究を「ロジオロジー」と名付け、未来都市の鍵にしようと私は旅で覚醒した。

コラムニスト紹介

望月 照彦 氏

エッセイスト 望月 照彦 氏

若き時代、童話創作とコピーライターで糊口を凌ぎ、ベンチャー企業を複数起業した。その数奇な経験を評価され、先達・中村秀一郎先生に多摩大学教授に推薦される。現在、鎌倉極楽寺に、人類の未来を俯瞰する『構想博物館』を創設し運営する。人間と社会を見据える旅を重ね『旅と構想』など複数著す。

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