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未来に生き残る温泉地へ ― 温泉も「本物」志向に進む(7/11付)

2012年7月11日
編集部

 家族旅行で旅館に宿泊するときに、私は温泉を重視し、妻は料理を重視するから、なかなか宿が決まらない。温泉が極上で、料理も美味しい宿がベストなのだが、そうすると、私たちの財布が納得しない。それでも、お互いがギリギリ譲り合える線で折り合える宿を探すのはそれなりに楽しい。なんとはなしに生きているうちに、ほぼすべての主導権を失ってしまったかたちの私であるが、温泉宿選びに関しては、私の方が思い入れが強いためか、いつも粘り勝ちだ。妻は「今度は舟盛料理が食べきれないほど出る海辺の宿に行こうね」と言うが、嗚呼、やはり私はどうしても秘湯や、歴史的名湯などの方に心が引きずられてしまうのである。

 「豪華な海鮮料理や上等な肉料理は東京や横浜でも食べられるが、神秘としか思えない極上の温泉だけは、そこに行かなければ浸かれない」という気持が、知らず識らず私の中で温泉を優位に置いてしまう。

 宿選びの基準は人それぞれである。贅を尽くした豪華な楼閣の館を好む人、素朴なご主人が迎える一軒宿を愛する人、料理自慢の宿や、眺めが良く時を忘れられる客室が絶対条件の人、登録有形文化財の宿めぐりに熱中している人、とにかく安ければいい人――などさまざまだろう。だが、温泉地を訪れる旅行者にとって、「温泉」の占める比重は決して小さいものではない。百人百様の目的で宿に宿泊したとしても、温泉は日本人にとって特別なものであり、未来の旅行者は現在よりももっと温泉に対して「本物」志向に進んでいくはずだ。近い将来、温泉の持つパワーがもう一度見直されることは間違いない。

 団体客中心だった宿が、個人客を上手く引きつけることができないでいるのは、料理の問題もあるかもしれないが、温泉の問題も大きいのではないか。団体旅行なら循環方式の大型風呂でもそれなりに楽しめる。けれど、個人客が遠路訪れた温泉宿で求める温泉は、循環方式で使い回した劣化した湯や、プールのような塩素臭の風呂ではないだろう。温泉の湧出量や配湯をはるかに超える規模の大浴場や客室露天風呂に大きな疑問を持たぬ温泉旅館に危惧の念を抱く。湧出量に限界のある温泉地は、在りし日のように共同湯を生かした散策できる温泉地づくりもまた、生き残る一つの道だと思う。

(編集長・増田 剛) 

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