北原茂樹氏が立候補、全旅連次期会長

北原茂樹氏
北原茂樹氏

2月17日、信任投票へ

 全国旅館ホテル生活衛生同業組合連合会(佐藤信幸会長)は昨年12月1日に開いた選挙管理委員会(住友武秀委員長)で、次期全旅連会長に立候補の届け出のあった常務理事で、京都府旅館ホテル生活衛生同業組合理事長の北原茂樹氏(旅館こうろ)の届出書類の審査を行い、受理した。立候補者が1人のみのため、2月17日に東京都千代田区の砂防会館で開く理事会の席上で信任投票を行う。

 北原氏は所信表明で、佐藤体制8年間のなかでNHK受信料の取りまとめ委託業務の締結や、全国旅館会館の耐震補強工事によるテナント収入の安定的な確保など、財政基盤の立て直しへの取り組み、固定資産評価の見直しの前進、東日本大震災にともなう東京電力との損害賠償交渉の成果などを高く評価。そのうえで、今後小規模施設も対象とされる可能性のある耐震補修工事について、補助金による補填などを、日本旅館協会など関連団体や国会議員などと連携、協力しながら粘り強く闘い抜く覚悟を述べ、「国土強靭化」「防災大国日本」「世界一安全な観光立国の実現」を旗印に、旅館・ホテルが防災拠点であり、最適な避難所であることを訴え、国民の理解を得ていくことを最優先課題として上げた。

 重点事業としては、(1)地方創生(2)人材育成――を掲げる。また、組織強化として執行部の若返りや、事務局の効率的な運営にも取り組んでいく。

 北原氏の主な経歴は次の通り。

 1985年6月京都府旅館環境衛生同業組合理事、86年6月同青年部長、95年6月同会計理事、2001年京都府旅館生活衛生同業組合副理事長、03年6月全国旅館生活衛生同業組合連合会常務理事、07年6月同参与、09年6月同理事などを経て、11年6月から京都府旅館ホテル生活衛生同業組合理事長、全国旅館ホテル生活衛生同業組合連合会常務理事を務める。

400年の時を越えて

 徳川家康公薨去400年を迎える2015年。生誕の地である岡崎から、出世を遂げた浜松、大御所となった静岡へ。節目の年である今年は各地でイベントも開かれ、ゆかりの地をめぐり、家康公の描いた軌跡を辿るのも面白い。

 家康公は都市計画や文化醸成でも功績を残した。江戸城を中心とした街並みは現在の東京の都市基盤となり、遺言により造営された日光東照宮は、世界遺産に認定された。その場所が今、世界各地から訪れる観光客でにぎわうようになるとは、まさか夢にも思わなかったかもしれない。

 はるか400年の時を越えて人々が集い、変わらぬはずの場所に、また新しい光を観る。歴史をめぐる旅は、今を見つめる旅でもある。時空を経たからこそ、出会える風景がそこには広がっている

【森山 聡子】

観光大国の元年に、全産業の総力結集へ(JATA・田川会長)

今年の抱負を語る田川会長
今年の抱負を語る田川会長

 日本旅行業協会(JATA)は1月7日、2015年初の定例会見を開き、田川博己会長が今年の市場動向の見通しやJATA活動の方向性について語った。田川会長は「観光大国」という大きな目標に向けて、今年は節目の元年になると言及。「ツーリズムだけではなく、全産業の総力を結集できるような流れを作るため、JATAとしても発信していきたい」と抱負を述べた。

 昨年の14年については、国内旅行が順調に推移したことを報告。「1年間の旅行需要を見て、旅行そのものに対する考え方が少し変わったと感じる。震災を経て、日本をもう一度見直そうという機運もあり、ライフスタイルのなかにしっかり旅行が入り込んだ印象がある。また、団塊の世代が65歳を超え、本格的に動き出したという感想を持った」と振り返った。一方、海外旅行は「円安が吹き荒れた年」と総括。取扱高はハワイや欧米が好調であまり影響はないが、中・韓国の不調などもあり、海外旅行者数は1700万人を割る可能性もあるとした。

 15年の市場動向は「インバウンド、アウトバウンド合わせて3千万人が現実のものとなり、3千万人双交流時代が到来する。将来、ターニングポイントだったといわれる年になると思う」と展望した。訪日旅行は引き続き数を伸ばすとともに、富裕層の旅行者が増加し、海外旅行は日韓・日中の政情が安定すれば旅行者数は回復するとみる。「円安は当面続くと思うが燃油は下がっているので、海外旅行の単価が上がる要素はあまりない」と述べた。国内旅行は3月14日の北陸新幹線の開業が大きなインパクトになると強調。「日本の真ん中を周遊する新しいルートができる。また、高野山開創1200年や姫路城の改築、秋の5連休など好材料がある」と期待した。

 JATAの15年の活動については、国内は「東北の復興なくして国内旅行の再生はない」とし、10年、15年のスパンで継続して東北の旅行需要回復に取り組んでいく。宿泊旅行の拡大は、外国人旅行者を地域へ送ることで数の増加を目指すとしたが、訪日旅行は質が大きな問題だと指摘。「JATAが展開するツアーオペレーター品質認証制度が世界にうまく伝わっていないので、しっかりと取り組みたい」と述べた。

 海外旅行は需要喚起と政策提言に注力する。「本格的に海外旅行者数2千万人達成の施策に取り組む必要がある。海外旅行の政策提言はJATAにしかできない。改めて、なぜ日本人は海外旅行をする必要があるのかを考えたい」とし、MICEやビジネス需要を中心に議論していく考えを示した。

24人が新成人、一足早いはとバス成人式

笑顔あふれる新成人のバスガイドたち
笑顔あふれる新成人のバスガイドたち

 はとバス(中村靖社長、東京都大田区)は1月9日、成人の日より一足早く、毎年恒例の成人式を本社で開き、バスガイド24人の成人を祝った。

 1962年から始まった恒例行事で、新春の風物詩としてすっかり定着。毎年、祝日にあたる成人の日が業務多忙のため、各自治体の式典に出席できない場合があることから、一足早く同社独自の成人式を行っている。

 今年の成人ガイドは山形、宮崎、鹿児島など16都道府県出身の24人。体調不良の1人を除く23人が参加し、寒空の下にも関わらず、新成人の元気な笑顔があふれた。本社車庫での記念撮影後、バスに乗車して明治神宮へ移動。本殿で参拝し、玉串奉納、絵馬記入を行った。

 鹿児島県鹿児島市出身の栗野亜美さんは現在、東京都内に加え、山梨県なども案内。「責任が重くなるので、大人として落ち着いて行動できるようにしたい」と抱負を語った。また、現在、都内に加え、千葉県の房総半島や日光なども案内する平泉絵理さんは福島県郡山市の出身。平泉さんは、原発事故の影響で引っ越しを余儀なくされた祖父母を、年に1回ははとバスに招待し、孫娘の立派に成長した姿を見せている。「福島を含め地方から東京に出て来た人に、元気を与えられるようなガイドになりたい」と熱い想いを語った。

11月の外客売上160%増、アジア圏に高額衣料人気(日本百貨店協会)

 日本百貨店協会がこのほど発表した、2014年11月の外国人観光客の売上高・来店動向によると、調査対象の外国人観光客誘致委員会委員店46店舗の外国人観光客の総売上高は約92億1千万円で、前年同月比156・4%増と大幅に増加した。冬物衣料を中心に、高額品衣料が好調で、アジア圏からの訪日観光客は、ハイエンドブランドを好んで買う傾向が続いていると分析する。

 昨年10月からの外国人向け消費税免税制度改正で新しく対象となった化粧品や食料品などの消耗品の売上総額は約11億1千万円で、全品目の総売上高の12・1%にあたる。新しく対象となった消耗品を除く、一般物品売上高は同125・4%増の約81億円。購買客数は同179・8%増の約11万8千人と大幅に増加した。一方、1人あたりの購買単価は、同8・4%減の約7万8千円と減少している。

 免税手続きカウンターの来店国別順位はトップが中国本土で、2位が台湾、3位が香港、4位が韓国、5位がタイ、6位がシンガポール、7位がマレーシアと続いた。

 外国人観光客に人気のあった商品は1位がハイエンドブランドで、婦人服飾雑貨、婦人服、化粧品、子供服・雑貨と続いた。

双方向の推進強調、“アウトバウンドに関心を”(OTOA)

大畑貴彦会長
大畑貴彦会長

 日本海外ツアーオペレーター協会(OTOA、大畑貴彦会長)は1月7日、東京都内で各国の駐日大使や業界関係者らを招き、2015年新年会を開いた。大畑会長は、海外旅行と訪日旅行の双方向の推進を強調し、「アウトバウンドに関心を」と訴えた。

 大畑会長は、14年の海外旅行市場はエボラ出血熱や円安などが影響し、厳しい事業環境だったと振り返った。一方、訪日旅行は新しいビジネスチャンスになり得る反面、「訪日外国人旅行者の増加で、優秀な日本語ガイドが日本への旅行の添乗業務を行うため、現地での日本人観光客のためのガイド不足と質の低下が叫ばれる国も出始めた」とし、「民間だけでは限界がある」と観光庁や各国の観光関係省庁への協力を求めた。

 来賓の観光庁の蝦名邦晴審議官は「OTOA会員の皆さんが海外の現地で培ってきた豊富なネットワークやアレンジ力が観光立国の大きな戦略になると期待している。ツーウェイツーリズムに向けて、皆さんの力が必要だ」とあいさつした。

 また、日本旅行業協会(JATA)の田川博己会長は「昨年は海外渡航自由化50周年だったが、もう一度、先達がほとんど日本人のマーケットがなかった時代にどう旅行者を増やそうかと考えた原点に戻る必要があるのでは」と述べ、「海外旅行者数2千万人に向け、JATAとOTOAが一緒に考える節目の年にしたい」と語った。

3月1日から全線開通へ、常磐道

 常磐自動車道の常磐富岡インターチェンジ(IC)―浪江IC間14・3キロが3月1日に開通する。今回の開通で同自動車道は全線開通し、いわき市内から仙台市内までの所要時間は約30分短縮され、約2時間で結ばれる。

 首都圏と仙台圏とを結ぶ常磐道と東北道の距離はほぼ同じ。ダブルネットワークの完成で、事故や災害、異常気象時の代替ルートとしての機能も期待できる。

 福島県内では震災以降、浜通りの通行は内陸部への迂回を余儀なくされていたが、全線開通で、相馬―いわき間が約1時間短縮される。

【ビッグホリデー創業50周年記念対談】岩崎安利社長×石井貞徳社長(旅行新聞新社)

ビッグホリデー 岩崎 安利  社長
ビッグホリデー
岩崎 安利 社長

「常に前向き」の姿勢で飛躍

 1964年に「北日本ツーリスト・ビューロー」として創業した「ビッグホリデー」(岩崎安利社長)は2014年4月に、創業50周年を迎えた。岩崎社長の持ち前の行動力で旅行需要の変化に柔軟に対応し、獲得が困難とされた会社の代理店契約をはじめ、これまでに数々の変革に取り組んできた。今回は岩崎社長と本紙の石井貞德社長が対談形式で、岩崎社長がビッグホリデーと共に歩んできた50年とこれからのビッグホリデーの飛躍について語り合った。

各グループを大きな「森」へ ―― 岩崎

常識に捉われず挑戦続ける ―― 石井

旅行新聞新社 石井 貞徳  社長
旅行新聞新社 石井 貞徳 社長

■石井:創業50周年おめでとうございます。まずは、会社と歩んできた50年について教えてください。

■岩崎:1964年の「北日本ツーリスト・ビューロー」の創業から、ふと気付いたら50年が過ぎていた、というのが正直な感想です。珍しいことかもしれないですが、当社は「東京ブルー観光」「ビッグホリデー」と社名を変えてきました。時代の流れに合わせて社名を変更しており、現在でいうコーポレートアイデンティティーのような感覚です。
 「北日本ツーリスト・ビューロー」の時代は「レクリエーション」、つまり余暇活動が注目された時期でした。それまで遊びが少なかった冬にスキーやスケートが新たなレクリエーションとして脚光を浴び、とくに若者の間で流行ってきたころです。そのときに、「これからはレクリエーションの観光ブームが到来する」と感じ、スキーバスや慰安旅行を主に扱うようになりました。
 メインで取り扱っていたスキー旅行はシーズンが年間約100日しかなかったので、四季を通した旅行需要についても考える必要がでてきました。そこでバス観光に注目し、69年にブルーバス(現・千葉中央バス)と販売連携したのです。社名もバス会社の知名度を利用して「東京ブルー観光」に変更し、スキーバスだけでなく関東中心の観光バスツアーを扱う会社にしました。この時期に大阪万博も開催され、大きなバス需要を生みました。これは我われの商品を取り扱ってくれる私鉄が一気に増え、販売網が確立した時期でもあります。
 やがて飛行機旅行や家族旅行が中心の時代になると、「このままバス旅行だけで旅行会社を経営していてもよいのか」と疑問を抱くようになりました。当時の国鉄は大手旅行会社の独壇場で敷居が高かったので、飛行機に目を向けました。全日本空輸(ANA)からなんとか指定代理店契約の許可を得ることができ、本格的な国内のツアーを扱うようになりました。同時に商品のイメージに合うように「ビッグホリデー」とブランド名を付け、それがそのまま社名となり、現在につながっているのです。

■石井:まさに「先見の明」で、観光の流れを見てきたのですね。そのような目まぐるしい変化のなかで、苦労話などございましたら教えてください。

■岩崎:大変な時期はありましたが、それを苦労と考えたことはありません。パンフレットを置いてもらうことすら難しかった営業時代を私自身が経験しており、一つひとつの苦労を考えていると仕事に手がつかないので、常に前向きに挑戦を続けてきました。
 たとえば私の営業時代は、自分の会社よりも大きな旅行会社にパンフレットを置いてもらうことは常識では考えられないことでした。しかしそこで私は、「大手だから無理だろう」とは思いません。「大手だからパンフレットを置けば商品が売れる」と考えて大手旅行会社に飛び込んだのです。実際に営業してみると、案外許可が取れるもので、それでツアーが売れたこともありました。この前向きな姿勢が、苦労を苦労と感じさせず、むしろ自分の才能に変えてくれたのではないかと思っています。

■石井:常識に捉われずに挑戦を続けていく姿勢が、これまでのお話にあった社名の変更や新ジャンルへの挑戦につながっていますね。一方で、そんなに前向きに考えていても「大変な時期」があったのでしょうか。

■岩崎:77年にANAとの代理店販売契約を結んだときのことですね。その当時は東京ブルー観光時代で、会社は板橋区の常盤台にありました。「代理店は池袋にあればいい」という理由で、当時新宿の京王プラザホテルにあったANAの新宿営業所の所長に契約を断られ、「それだけの理由で販売代理店になれないとはいかがなものだろう」とつい感情的になって「航空会社はほかにもある」と啖呵を切ってしまいました。我われのツアー商品を取り扱ってもらっていた京王観光の先輩社員にそのことを話すと「都内にバス会社は40数社あるかもしれないが、航空会社は全国に3社しかない。3回喧嘩したら終わりだよ」と返されました。そう言われると、妙に納得してしまって、その先輩社員と一緒に謝りに行きました。所長には「1人で来られなくなったら、2人で来るようになったか」とからかわれ、お互いに笑い合ったのを覚えています。それから一気に心の距離が縮み、代理店契約を結ぶことができたのです。
 代理店になったあとも大変でした。常盤台でスキーバスをやっているような小さな旅行会社では大手旅行会社の販売力に敵うはずがなかったのです。そこで全国旅行業協会(ANTA)の東京支部を説得し、協力してANAとの販売契約を結ぶことを決めました。その当時は、飛行機に乗ることが一般化されていなかったので、ANTAの仲間も航空券を商材として考えていなかった時代です。私自身、当時はANA以外の航空会社のことを知っていたわけではなく、むしろ八丈島にも日本航空が飛んでいると思っていたくらいです。京王観光の先輩社員には「お前の会社は国内だろう。日本航空は八丈島どころか四国も飛んでいないよ」と言われました。 
 とにかく、そんな我われが大同団結し、販売契約を結ぶために存在意義をアピールする必要があったのです。そのために、毎月の売上を旅行会社別に出し、ANAに提出しました。協力社数も50社が100社、200社と増え、さすがにANA側も「旅行業界の人が集まれば大きいものになる」と理解してくださる方々が現れたのです。「航空券の再委託は定款に無い」と言われ続けてきましたが、結果として航空券とANAスカイホリデーの販売協定が結ばれただけでなく、全日空パートナーズショップ(エアグループ)という全日空代理店の契約ができる仕組みを形成することができたことには、感慨深いものがあります。
 コンピューターが出始めのころにも、コンビニエンスストアで旅行商品やチケット販売を始めるにあたり、いまだかつてないことで制度化されていなかったので当時の運輸省と一悶着ありました。新しいことを始めるには常に壁が立ちふさがったものでした。

■石井:会社が前に進むためには新しいことへの挑戦が続いたわけですね。では、岩崎社長が驀進(ばくしん)することになった旅行業ですが、50年前に旅行業と出会ったきっかけはなんだったのでしょうか。

■岩崎:実は旅行会社を立ち上げることになるとはまったく思っていませんでした。中学校卒業後に職工として働きはじめ、幼少期から好きだった柔道に打ち込んでいたので、そのうち警察に入り、柔道の指導員になろうと考えていました。通っていた道場の先生がちょうど指導員で、「高校さえ卒業すれば面倒を見る」と言っていただいたので、定時制の高校に通い始めました。しかし体調を崩して医者にかかった際に、若年性の高血圧であることを指摘されました。激しい運動を続ければ早死にすると注意され、柔道の道は断念するしかなかったのです。
 その後、定時制高校に通いながらでもできる仕事を探していたときに、たまたま新聞で見つけたのが、完全歩合制で勤務時間に余裕がある「東光観光」で、これが旅行業との出会いです。その当時、旅行会社は日本交通公社しかないと思っていたほど旅行会社のことを知らず、「東光観光」もバス会社の部類だと思っていました。
 会社に入ってからは、先輩社員が勤務時間にも関わらず、喫茶店と映画館に繰り返し入り浸る姿を見てうんざりしていました。「このままでは自分もダメになる」と思い、一生懸命に飛び込み営業をして過ごしたことは今でも身に沁みついており、パンフレット配りは今でも当社社員に負けないつもりです。そういった努力が功を奏したのか、あるときスキー旅行を獲得し成功を収めると、仕事に自信がついてきました。そして高校卒業と同時に独立し、64年4月に北日本ツーリスト・ビューローを創業したのです。東光観光入社からわずか2年で20歳の時でした。これがビッグホリデーの始まりです。

■石井:たまたま入った旅行会社が運命の相手だったというわけでなく、努力を重ねて自分のものにした、ということですね。それでは現在に話を戻して、取り組んでいる事業について教えてください。

■岩崎:純粋な観光旅行だけではなく、いろいろなニーズを旅行に結び付けようと、さまざまな取り組みをしています。たとえば、日本の小学校教育に英語が取り入れられてから、先生方から英語ができないとの声を聞くことが増えました。そこでマレーシアの大学と連携し、2014年度の夏から静岡県浜松市の教育委員会と、英語研修をマレーシアで開きました。英語研修をするだけでなく、マレーシアの教育現場を知る機会にもなり、参加者からご好評をいただいております。

■石井:では、これまでの50年で培ってきた経験を、今後はどのように活かしていきますか。

■岩崎:まずは、ウェブ事業を拡大していきます。これは次の50年につながる橋頭堡になると思っています。そのために、今後3年ほどをかけて、ウェブ単体で1つの柱として成り立つよう、足場を固めていきます。
 また、現在活気づいているインバウンドについても取り組んでいきます。2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、「インバウンドにも大きな比重を置いた国内旅行会社」に進化させていきたいですね。もともと国内旅行に強い会社なので、インバウンド用の国内旅行を催行することは難しいことではありません。最近はインバウンドの取り扱いも熟知してきたので、あとは勘をつかむだけだと思っています。

■石井:これまでは時代の流れに合わせて会社の体制を変えてこられたわけですが、今後はグループの体制について変革などを計画しているのでしょうか。

■岩崎:グループ会社のメリットをもう一度考えていきます。私は常に「木から森へ」を理想としてグループ全体に提唱しています。グループ会社一つひとつは1本の木ですが、集まれば大きな森になります。当グループには十分に一本立ちできる会社もあるので、お互いのノウハウを分かち合える仕組みを作り、グループ会社同士でコラボレーションしやすい環境を整えていきます。
 また、これから先は、「何%売上が伸びたか」という数値目標ではなく、売り上げた中身に注目していきます。「売上数値だけを上げ、社員数を多く抱えればよい」という時代ではなくなっているので、利益面を一層追求します。そのための効率も重視し、人材への投資や部署の改革を進めます。

■石井:東京オリンピックも近くなりました。そこでビッグホリデー流の日本の観光地を元気にするヒントなどがありましたら教えてください。

■岩崎:温泉や旅館など「日本のリゾート」を外国人観光客に受け入れられるように変革させることがひとつの手段だと思います。日本人が温泉地に行かなくなり、シティホテルのシェアが増えている現状もあり、そうなると国内での誘客努力も必要ですが、外国人観光客を呼び込むという選択肢も出てきます。
 最近では英語対応だけでなく、ハラルの対応など高いハードルも目立っていますが、これらの海外における基本的な生活や文化に対応できないと外国人観光客からはまず受け入れられないと思います。
 日本人だけ扱っていても何も変わらないし、いざ外国人観光客を受け入れるときにトラブルにつながる可能性もあります。施設であるならば、お客様がご到着してからお帰りになるまでのフローチャートを改めてインバウンドの存在を視野に入れて考えるのです。日本人の行動と外国人の行動は違うのでそこを意識しながらお客様の流れを考えると良いヒントが生まれ、何か新たにできることが増えるのではないかと思います。

■石井:ありがとうございます。それでは最後に、本紙の読者である観光業界の仲間に、50周年を迎えられた秘訣と今後の意気込みを伝えてください。

岩崎:50年を振り返れば良いことも悪いこともありました。そもそも旅行業は自然や病気、戦争などいろいろな状況に対して、向かい風になることが多く、それが追い風に働くことはまずありません。だからこそ、何か起きた時にはそういう業種だと思ってきました。だからこそ、一つひとつの事項に対して常に前向きに考えてきました。少しでも辛いと思うと全部が辛くなります。そうならないためにも、自分自身が元気を作っていくことが大事なのです。これからも、常に前向きに進める元気を持って、ご支援いただいている皆様と歩んでいきたいと思っています。

対談は14年12月9日、東京都文京区の ビッグホリデー社長室で行われた
対談は14年12月9日、東京都文京区の
ビッグホリデー社長室で行われた

 社長室には、岩崎社長の原点を表す「企業価値」と題された訓示が掲げられている。「1・企業価値は、社員のスキルの高さで決まる。2・企業価値は、良い商品をより安く、そして収益を上げられる知恵を全社員が共有出来るかで決まる。3・企業価値は生き物、社員の意識で成長も衰退も決まる。」

【ご案内】プロが選ぶ100選ロゴマークの更新について

1月11日に「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」ならびに「プロが選ぶ観光・食事、土産物施設100選」、「プロが選ぶ優良観光バス30選」の新しいランキングを発表いたしました。これを受け、事業ロゴマークも開催回を更新いたしました。引き続き、ご活用いただければと思います。

弊社では、旅館100選ランキング冊子の翻訳版の発行なども試み、100選関連事業のより一層の付加価値づくりに務めてまいりました。今回のロゴマーク作成もその一環です。観光業界のなかでも最も歴史のあるランキング発表事業をより多くの皆様にお伝えし、入選施設様をはじめ、ご投票にご協力いただいている旅行会社様や各企業様の事業に役立つよう取り組んでまいります。

ロゴ使用に際しては、下記のリンクから申請書を入手いただき申請をいただいております。旧ロゴマークの使用を申請いただいた各社・各館様も更新にあたり、お手数ですが、再度申請手続きをお願いします。

申請書はこちら(ZIP圧縮)からダウンロードください。

14年訪日1300万人達成、「2000万人は現実味ある」

1300万人達成を祝う
1300万人達成を祝う

 2014年の訪日外国人旅行者数が昨年12月22日に1300万人を突破した。観光庁は同日、1300万人目の訪日客を迎えた成田国際空港で訪日1300万人記念セレモニーを開き、太田昭宏国土交通大臣や久保成人観光庁長官らが訪日客を出迎え、1300万人突破を祝った。

 太田大臣は「昨年の1千万人達成から、今年は想定をはるかに超える勢いで1300万人を突破し、今後の1500万人から2千万人達成への目途がついた」と語った。1300万人達成の要因について、富岡製糸場と和紙の世界遺産登録による追い風、ビザの発給要件緩和、免税手続きの簡素化、日本の安全・安心のおもてなしなどを挙げた。また、12年が1・1兆円、13年が1・4兆円と拡大する訪日旅行消費額が14年は「2兆円に迫る勢い」であることも明かした。

 15年については、JTBが旅行動向で見通した訪日数1500万人に対し、「現時点では目標として1500万人は考えていない。今年の1300万人を超えるようにしたい」と控えたが、これまでの「2020年に2千万人の高みを目指す」という表現については、「これからは高みという表現は使わない。2千万人達成が夢や希望ではなく、現実味のある数字となってきた」と強調した。2千万人達成への課題として、空港容量の拡大や、Wⅰ―Fⅰ環境の整備促進、北海道などで顕著になっているバス不足の解消などを挙げた。

 記念の1300万人目は、インドネシア人のインドラジャティ・エディさん(48歳)とインドラジャティ・ムリジャティ・ウタミさん(45歳)、インドラジャティ・プリシラさん(14歳)の家族。すでに6、7回目となる訪日リピーターで、今回はクリスマスと年末年始を日本で過ごし、東京、箱根、京都、大阪を回る予定。ご家族は「日本は景色がきれいで、食べ物もおいしく、ショッピングも楽しみ。困っていたら助けてくれる優しさもある。毎回、日本でいい時間を過ごすのを楽しみにしている」と日本の魅力を語った。