2017年11月1日(水) 配信

高品質のおもてなしサービスを提供することで、お客様の強い支持を得て集客している宿の経営者と、工学博士で、サービス産業革新推進機構代表理事の内藤耕氏が、その人気を探っていくシリーズ「いい旅館にしよう!Ⅱ」。第16回は、大分県・別府温泉の「べっぷの宿ホテル白菊」の西田陽一社長と、取締役の緑・若女将が登場。早い時期から個人化の流れを意識して、料理の1品出しなどのオペレーションが定着していた同館。さらなる生産性向上の取り組みを探った。
【増田 剛】
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西田社長:祖父が1920(大正9)年に別府で陶器の店を始めました。当時別府港から多くの観光客が訪れていたので、最も栄えていた流川通りにカフェー「サロン・ツルミ」を開業しました。1階がカフェーやバー、2階にダンスホールを備え、同じ敷地に小さな旅館も経営していました。
流川通りから別府駅前に移って、5階建てのキャバレー「ボンツルミ」を始めました。50人規模のバンドが地下からステージに上がってくるなど盛大にショーアップし、ホステスも100人ほどいました。宴会場や会員制クラブなどもあって人が集まり、のちに大分市にも同じような店舗を開業しました。
57(昭和32)年に中島造船所の保養所の土地を買って4階建ての白菊荘を建てました。
その後、祖父と父が73(昭和48)年に12階建てのホテル白菊を開業しました。
内藤:ずっと別府の社交場という役割を担っていたのですね。
西田社長:キャバレーは80(昭和55)年まで経営していましたが、時代も変わり、旅館業の方に軸足を移していきました。大型旅館全盛期の時代でした。
私は1984年に旅行会社に就職し4年間、大阪で営業をしていました。87年11月に父が亡くなり、そのまま宿に戻ってきました。45歳だった06年に4代目社長に就任するまでの20年間は叔父が社長を務めました。
――旅行形態の個人化やインバウンドの拡大など、別府にも大きな変化がありました。
西田社長:2012年くらいから別府への観光客は少しずつ増加しています。海外からの個人旅行客が急激に拡大しているなかで、当館では外国人旅行者は1%もいませんでした。今はようやく5%弱というくらいです。
内藤:外国人ではなく、日本人客が大きく増えたのはどうしてですか。
西田社長:開業当時から旅行会社の団体客を主に受け入れていました。しかし、団体旅行が減り、個人旅行化していく時代に、当館は別府湾が一望できる最上階には直営フランスレストラン「ガーランド」、1階には別府割鮮料理「浜菊」という食事処を備えていました。これがほかの旅館にはない特徴として、個人のお客様にも対応できたのだと思います。
内藤:初代はどうして旅館にフランスレストランを造られたのでしょうか。
西田社長:61年に4階建ての白菊荘を建てて開業した当時は、大阪からフェリーで富裕層が多く来ました。1部屋に1人が担当して波止場までお見送りをする典型的な和の旅館でした。観光ブームが来るなかで、旅館のマーケットが大きく伸びると確信して白菊荘を壊し、73年に12階建ての現在の旅館を建てました。建物は新進気鋭のデザイナーが設計し、今でも「斬新なデザイン」と言われることがあります。
祖父と一緒に経営をしていた父も、根っからの商売人でした。「他の宿ではやっていない、新しいこと」を常に考えていたようです。
最上階展望レストランはビュッフェスタイルで、地元客向けに和・洋・中華など世界中の料理が楽しめる「ワールドディナーピック」というイベントを、夏季と冬季のそれぞれ1カ月間展開していました。前売券を販売するほどの人気で、つい最近まで続けていました。
――客室数はどのくらいですか。
西田社長:73年に81室の本館を建てたあと、80年に15室の東館、84年に24室の西館を建て増しして、現在は全体で120室あります。バブルが弾けたあとも90年代後半まで売上は伸びていきました。
内藤:個室料亭も造られましたね。
西田社長:個室料亭「菊彩香」は先代社長の叔父が計画し、私が社長に就任した後の13年にオープンしました。個人のお客様をターゲットにしたもので、専用の厨房を料亭内に配置しました。当時、別府では個人向けの料亭はほとんどなかったので、先駆けてやりたいという思いは、3代目の叔父と同様に私にも強くありました。
内藤:部屋食から、個室料亭での食事という流れは、多くの旅館でも見られます。しかし、実態は料理の内容を変えているのではなく、単に提供する場所を変えて団体料理を小分けにしているだけのところも多い。一方、オープンキッチンを導入している旅館も増えていますが、しっかりと使いこなせている施設は少ない。
ホテル白菊では10年前にはすでに料理の内容や提供方法まで切り替えられたことに、とても興味があります。
西田社長:当時から宴会料理をまとめてお膳出しするのではなく、1品出しに切り替えました。2部屋を1人の客室係が担当しています。まさに団体旅館からの脱皮を目指していました。
内藤:最上階でフレンチレストランを経営されていたので、改革が難しいオペレーションの部分もスムーズに個人化の流れへと切り替えができたのではないでしょうか。
西田社長:そうですね。ずっと1品出しで提供していたので、身体にしみ込んでいたのかもしれません。料亭がスタートしたときには、レストランのスタッフが応援に入っていました。
内藤:自分は料理の1品出しの提供の仕方が生産性は高いと各旅館に勧めていますが、最近は「お膳出しで一度に出すよりも、1品出しの方がラクなのだ」と気づく宿が増えてきました。
旅館では配膳したあとに、まとめて下膳をします。つまり、食べ終わっていない料理があると、次の料理を差し込み、お客が全部食べ終わったときに洗い場に持って帰る。レストランは逆で、食べ終わるまで次の料理を出しませんし、次の料理を出すまでは基本的に片付けません。
お膳出しは定食屋さんの出し方で、1品出しはレストランのコース料理の提供方法です。定食の価格帯はせいぜい1千円弱ですが、コース料理だとそれが1万円にもなります。リーズナブルが特徴の定食スタイルでの提供方法では、いくら単価を上げようとしても、やはり無理があるのです。
西田社長:確かにそうですね。
内藤:定食屋スタイルのお膳出しの提供方法から、1品出しに変えた宿では、1品出しは必然的に1品下膳になり、そのお皿を食器洗浄機にそのまま入れると、9時に夕食の営業が終わったら9時30分には食器の洗浄もほぼ終わっている状態で、労働時間が8時間を割ることもあります。先進的な施設では1品盛り付け、1品調理まで取り組みは進んでいます。
西田社長:現在、夜のメインの食事処でもある最上階のフレンチレストランは、朝食時もメインダイニングにしようと改装を考えています。朝食は和洋のビュッフェ形式で味噌汁やパン、オムレツも主にパートの主婦が作っており、「洋食のコックさんよりも美味しい」と評判です。
内藤:料理人が作り置きをするくらいなら、パートが出来立てを出す宿の方がいいと思います。
前もってまとめて料理を作った方が一見、ラクに見えます。しかし、作ったものを冷蔵庫や温蔵庫で保管すると、そこに入れた料理を「取りに行く」→「探す」→「出す」という色々な作業が同時に見えないところで生じるため、著しく生産性が下がります。また、探す作業によって間違えるという可能性が高まります。間違えると、クレームが発生し、そのクレームに対応していると、すべての作業が滞って現場はさらに混乱します。まとめて作っている部分だけを見ると、生産性は高いように見えるのはその通りですが、その背後にひもづいているさまざまな作業全体で見ると、ものすごくムダが多いのです。
西田社長:1人前ずつ作っていった方が、結果的に生産性は高いのですね。
内藤:私の提唱する生産性のやり方には1つだけ条件があります。
それはお客のピークを崩すことです。例えば100人前のリゾットを同時に作ることはできません。ですから、お客が食事処に来る時間のピークを作らずに、できるだけ平準化する努力が必要になります。一番いい方法は、食事時間を決めないことです。
西田社長:当館は夕方6時、6時30分、7時など決めています。
内藤:食事時間を決めないように移行するときには、どの旅館でも慎重になります。
西田若女将:確かに不安ですね。
内藤:しかし、一旦時間を決めなくなると、逆に時間を決める方が怖いといいます。
ある旅館では時間を聞かない当初は通常より多くスタッフを投入したのですが、食事時間がスタートして30分経っても大きな問題もなくスムーズに流れていきました。
一例として、仕込みなどをしている早めの時間に食事処をオープンしてお客を入れるのも、ピークを崩すことになります。
午後4時に食事処をオープンして、夕食の食材である簡単なデザートを出すとおやつにもなります。お酒が飲みたいお客には、ビールと簡単なつまみを出すことも可能です。そうすると、夕食時のピークが崩れていきます。
西田若女将:おっしゃるように、お子さんのいる家族連れや、年配のお客様も「早い時間帯に夕食を食べたい」というニーズがあります。
内藤:お膳出しでお膳の組み方をどんなに研究しても1品出しにはなりません。お客に夕食時間を聞きながらピークをなくそうとしても、時間を聞くということは変わらないのです。個人型は団体型とはまったく違うものと考えた方が改革に近づきます。
※ 詳細は本紙1690号または11月7日以降日経テレコン21でお読みいただけます。