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「登録有形文化財 浪漫の宿めぐり(81)」(長崎県雲仙市)雲仙観光ホテル≪雲仙の近現代を語り継ぐクラシックホテル≫

2017年12月29日(金) 配信

スイスの山小屋風の外観。建築当初、ハンガリーの客に「東西美の融合」と称えられた

 明治の初期以来、雲仙は欧米人をはじめとする外国人に避暑や行楽、温泉を楽しむ保養地として利用されてきた。上海や香港、また中国東北部のハルビンやロシアのウラジオストックなどからも訪れ、彼らは1週間から1カ月も滞在していった。

 そんな雲仙に外国人向けのホテルが計画されるのは昭和の初期。外貨獲得を目的として外国人観光客誘致をはかる国策のもとに、日本各地に建設が計画されたホテルの一つだった。

 白羽の矢が立ったのは長崎県選出の代議士で、大阪に堂島ビルヂングを持つ橋本喜造だった。堂島ビルヂングの上層階はホテルでもあり、ホテル経営のノウハウも持っていたからだ。名称に日本で初めて「観光」の文字を取り入れたホテルは、1935(昭和10)年10月10日にオープンした。

 施工を請け負ったのは堂島ビルヂングの建設にも関わった竹中工務店で、設計は社内でも優秀な建築家の1人とされる設計部の早良(さがら)俊夫だった。早良が考えたのはヨーロッパをも思わせる雲仙の山岳美の中で、しゃれた山小屋風の外観を持つ建物である。木造3階建て地下1階で一部鉄筋コンクリート造り。1階の外壁に雲仙の溶岩石を張り、2階は丸太組み、3階は木の骨組みを壁面に見せるハーフティンバー様式を取り入れた。

 内部は1階がパブリックスペースで2―3階が客室。ロビーを中心にコの字型に延びる1階はクラシックムードにあふれる。創業時の姿を伝えるバーは手焼きしたタイルの床に趣があり、約200畳分の広さがあるダイニングは高い天井と磨かれた板敷の床が往時をほうふつとさせる。ダイニングはダンスホールとしても使われたそうだ。

 ホテルは2004(平成16)年から5年をかけ、「新しくノスタルジア」をコンセプトに館内の改修を行った。その中で昔を再現したのが撞球室、図書室、映写室で、窓にステンドグラスをはめ、天井は小屋組みを見せるデザインや、傘天井風が面白い。ホテルでは1954(昭和29)年に岸恵子と佐田啓二が主演した映画「君の名は」のロケが行われているが、図書室にはそのDVDもあって宿泊客は映写室で見ることができる。建物もホテルライフもノスタルジックにというわけだ。

 客室では真鍮製のドアノブが創業時と変わらないものの一つだ。雲仙温泉は硫黄分が強く金属は黒くなりがちだが、金色に輝くドアノブは毎日の清掃のたまもの。古いものを守る努力がうかがえる。床からの高さが胸近くの135センチほどもあるのは、外国人仕様だったため。ドアの大きさも約2メートルある。

 ホテル正面のアプローチは石畳の歩道と両側に続く約40本のカイヅカイブキの並木。エキゾチックなたたずまいは、外国人に人気のあった雲仙の近代史と、昭和初期の建築様式を2つながら背負っているようだ。

 

(旅のルポライター 土井 正和)

コラムニスト紹介

旅のルポライター 土井 正和氏

旅のルポライター。全国各地を取材し、フリーで旅の雑誌や新聞、旅行図書などに執筆活動をする。温泉、町並み、食べもの、山歩きといった旅全般を紹介するが、とくに現代日本を作る力となった「近代化遺産」や、それらを保全した「登録有形文化財」に関心が強い。著書に「温泉名山1日トレッキング」ほか。

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