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哀悼 野口冬人さん ― 歩く後ろ姿に旅行作家の真髄を見た

2017年1月11日
編集部

 野口冬人さんが年末に亡くなった。野口さんには温泉のことや、旅について色々教わった。感謝の言葉しかない。

 最初に野口さんにお会いしたのは、私が旅行新聞に入って間もない1999年のころだ。何かのパーティーで、遅れて来た野口さんが会場の後ろの方でグラスを片手に立っていた。スーツ姿がひしめくなか、渋いジャケットを着た野口さんは、際立っていた。

 私は恐れ多くも野口さんに近づいて行った。まだ温泉のことを何も知らない業界紙の新人記者が、すでに大家となられていた野口さんに最初に尋ねた言葉は、「最近面白いと思った温泉地はどこですか?」だった。何という不躾な質問だろう。

 野口さんは、答えるに値しない、そんな漠然とした質問にも丁寧に答えてくださった。いくつかの温泉地の名前を挙げられたが、新人の私は、ほとんどの温泉地を覚えられず、そのなかで「東鳴子温泉」という名前はなぜか頭に残り、その後、何度も訪れ、その理由を探した。

 野口さんは伊豆の観音温泉にしばしば行かれていた。15年12月、観音温泉に野口冬人「温泉・山・旅」資料室がオープンしした。鈴木和江社長と野口さんの対談企画などで私も同行取材したことがある。あるとき、下田駅からの帰りに、野口さんは「久しぶりに下田に来たので、せっかくだからちょっと街を見てくる」と、東京に戻る私に告げた。相当に高齢になられていたが、背中にリュックサックを背負い、「下田の街を歩く」と言うのだ。おそらくもう何十回も下田の街を歩いて来られただろう。しかし、それでもまっすぐに帰らずに、自らの足で歩いて、何か一つでも発見して帰ろうと歩き出した後ろ姿に、旅行作家の真髄を見た気がした。

 大分県・長湯温泉のB・B・C長湯に「林の中の小さな図書館」が、ひっそりとある。野口さんが長年蒐集した山岳図書が天井高くまで並んでいる。別名「冬人庵書舎」だ。野口さんが山登りをしていたころの登山靴も展示している。私は九州の実家に帰省した折には、湯も、温泉街の雰囲気も好きな長湯温泉にときどき行くのだが、これからは、また別の意味で感慨深い温泉地となる。

 東京・高田馬場の「旅の本」に囲まれた現代旅行研究所で野口さんと旅行作家の竹村節子さんと話し込むと、近くのファミリーレストランに移動して食事をするのが決まりだった。「車イスでも食事しやすいから」と、野口さんと竹村さんはよく利用していたのだが、間もなく店が無くなるというので最後に食事をしたとき、野口さんはとても残念そうな顔をしていた。

 本紙は毎月1日号で、野口さんと竹村さんが交互に執筆する「宿にひとこと」を連載しているがこの数カ月、野口さんは休筆していた。野口さんの原稿は手書きである。専用の原稿用紙に独特の筆跡で書かれる。それを私は毎回パソコンのキーボードを叩きながら楽しんで書き写していた。初めて野口さんの原稿を見て、すぐに書き写せる人はいないだろう。私も腕を組みながら、これは「何て字だろう」と10分くらい眺めることが多々あった。一生懸命に野口さんの語り口調を思い出すうちに、天から文字が降りてくるように解読できたのは不思議だった。しかし、もうそのような努力もいらなくなったと思うと寂しい。

(編集長・増田 剛)

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