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「観光人文学への遡航(21)」 “ホスピタリティ”の違和感 

2022年3月26日(土) 配信

 固定的サービスによる安心保障関係ではなく、敢えてリスクを覚悟のうえで顧客の懐に入り込む関係性を相互信頼関係といい、これが真のホスピタリティだと世のホスピタリティ研究者は言う。

 

 だが、果たして相互信頼関係を極めることがホスピタリティの目指すべき方向性なのだろうか。私はそこにずっと違和感を感じ続けていた。ホスピタリティとよく口にする人ほど、どこかにあざとさやずるがしこさが見えてしまうことが多く、その人たちが、相手の立場に立ってとか、感謝の心とか、利他の心とかと巧みに言葉を紡ぎ出しているにも関わらず、どこか自分が中心になった物事の捉え方をしていることに矛盾を感じざるを得なかった。

 

 「情けは人の為ならず」という日本の古くからの諺を出してくる人も多い。情けをかけたら人のためにならないという意味ではなく、情けをかけたら巡り巡って自分のところに返ってくるというのが本当の意味だ。だからこそ、人に情けをかけましょう……って、結局自分の利益のために人に情けをかけているのではないかと思ってしまう。

 

 そもそも、利他なんて、「利」という概念で考えているから、物事を得か損かでしか捉えていない。そのような人が語る利他とは、結局長い目で見て「戦略的に」自分の利得になることを実践しているに過ぎない。

 

 また、「あれだけやってあげたのにあの人には裏切られた」という言葉もよく耳にする。お客様のために誠心誠意尽くしたとしても、それが伝わらないこともある。そして、「相互信頼関係」を構築できたと思っても、その関係性はもろく、実はお互いに信頼などかけらもなかったということもある。

 

 これも根底の考え方は同じで、相手のためを思ってと言いながら、実は見返りをもらうことを最優先に期待しているからこういう発想になるのではないか。

 

 さらに、もう一つは、「感動のサービス」があまりにももてはやされ過ぎていることを問題提起したい。ディズニーやリッツカールトンといった感動経営、感動のホスピタリティの事例が世間にあふれ、あらゆるところで、接客に感動が求められる。無理矢理感動に結びつけようとする。感動の強要さえ顧客側に求めている場合もある。

 

 本当に人はそのような「エモい」ことばかりを追求しているのか、観光のプロセスにおいてお客様はすべてにおいて感動を求めているのだろうか。自然に、普通に、さわやかな空気のような存在で気持ちよくサービスを受けることも求めているはずである。

 

 私はずっとこの点に関して納得がいかず、感動の接客のエピソードが語られるたびに距離を取っていた。そんなとき、ある福祉施設を訪問したときに、今まで感じていた矛盾を解く考え方に巡り会った。

 

コラムニスト紹介 

島川 崇 氏

神奈川大学国際日本学部・教授 島川 崇 氏

1970年愛媛県松山市生まれ。国際基督教大学卒。日本航空株式会社、財団法人松下政経塾、ロンドンメトロポリタン大学院MBA(Tourism & Hospitality)修了。韓国観光公社ソウル本社日本部客員研究員、株式会社日本総合研究所、東北福祉大学総合マネジメント学部、東洋大学国際観光学部国際観光学科長・教授を経て、神奈川大学国際日本学部教授。日本国際観光学会会長。教員の傍ら、PHP総合研究所リサーチフェロー、藤沢市観光アドバイザー等を歴任。東京工業大学大学院情報理工学研究科博士後期課程満期退学。

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「「観光人文学への遡航(21)」 “ホスピタリティ”の違和感 」への1件のフィードバック

  1. ますます冴えわたる島川教授の説法!もっと切って切っ切りまくり、大甘の日本におけるホスピタリティ論(者)を喝破してください。このままでは海外から「日本はホスピタリティの皮をかぶった功利主義者の群れ」と認識されてしまいます。そんな国の住人と一緒にされるのはまっぴらごめんです! じかにお話を聞く機会などはありますでしょうか、編集部の方々。ご返答お待ちしております。

    なお私は、今ではホスピタリティはそもそも商売とは関係ないと思っています。世間の薄汚れた考え方で、ホスピタリティを論じないでいただきたい、と思います。

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