横浜コンベンション・ビューロー、4月22日(月)から「横浜市観光協会」へ名称変更

2024年3月25日(月) 配信 

横浜市イメージ

 横浜観光コンベンション・ビューロー(岡田伸浩理事長、神奈川県横浜市)はこのほど、財団名を「横浜市観光協会」(英語名・Yokohama City Visitors Bureau)に変更する。

 同協会は、2022年度に観光地域づくり法人(登録DMO)となり、横浜の観光まちづくりの旗振り役として活動してきた。

 DMOの活動を分かりやすく伝える名称に改め、地域が一体となり、観光MICE都市としての認知の向上や来訪を促すブランディングに取り組む考え。

今回の名称変更で、同協会は、「さらなる横浜の発展を目指して、訪れる人々と地域に住む人々が新たな発見と出会いに感動する上質で洗練された『観光まちづくり』を推進する」と意気込みを述べた。

 名称は、2024年4月22日(月)に変更する。

工藤哲夫氏「旭日双光章」受章祝賀会盛大に開く 「業界や地域の発展へ尽力していく」

2024年3月25日(月) 配信

工藤哲夫氏が出席者に謝辞を述べた

 2023(令和5)年秋の叙勲で「旭日双光章」を受章した工藤哲夫氏(東京都ホテル旅館生活衛生同業組合理事長)の受章を記念した祝賀会が3月23日(土)、東京・日本橋のロイヤルパークホテルで盛大に開かれた。

 祝賀会には200人を超える出席者が参加。発起人を代表して、東京都ホテル旅館生活衛生同業組合顧問の潘桂華氏が、ホテル旅館業の発展と、生活衛生の普及向上に貢献された今回の受章の経緯と、工藤氏の人となりを紹介し、出席者への御礼を述べた。

 来賓として、小池百合子東京都知事、辻清人衆議院議員(外務副大臣)、和田政宗参議院議員(自民党広報副本部長)、菅野弘一東京都議会議員(都議会自民党幹事長)、石島秀起東京都議会議員、山本泰人中央区長、瓜生正高中央区議会議長、海老原崇智中央区議会議員(自民党議員団幹事長)、塚田秀伸中央区議会議員、井上善博全国旅館ホテル生活衛生同業組合連合会会長、涌井恭行日本橋一の部連合町会長、山田正中央大学教授がそれぞれの立場で、工藤氏の功績を称えた。

小池百合子東京都知事も出席

 お孫さんから工藤夫妻に花束贈呈が行われたあと、工藤氏が出席者に対し、「平成元年に家業のホテルかづさやに入り35年間、これまでに数多くの試練があったが、皆様に支えられて乗り越えることができた。今後は業界や地域の発展に寄与できるよう力を尽くしていきたい」と謝辞を述べた。

 三田芳裕全国料理業生活衛生同業組合連合会会長の乾杯の音頭で祝宴に入った。

鹿児島・奄美群島12市町村が広域で旅先納税導入 周遊促進を

2024年3月25日(月) 配信

会見には塩田知事(左から2人目)らが出席

 鹿児島県奄美群島12市町村は3月25日(月)から、広域連携で地域経済を活性化するため、旅先へふるさと納税を行う「旅先納税®」を導入した。12市町村で利用可能な共通返礼品として電子商品券「奄美群島eしまギフト」の発行を開始し、群島内の周遊促進をはかる。九州で初の旅先納税の導入となり、複数の島を結ぶ広域連携は今回が初めての事例となる。

 奄美群島が実施する旅先納税は寄付者が12市町村から寄付先を自由に選んで寄附をすると、寄付額の3割分にあたる電子商品券が即時に受け取れる。商品券は12市町村すべての加盟店で使うことができる。開始時点での加盟店数は飲食店や宿泊施設、土産店など152店舗。納税は1万円~100万円の枠で、返礼品は3000円~30万円までの7種類。

 

 旅先納税や電子商品券発行はギフティ(太田睦・鈴木達哉社長、東京都品川区)が提供する「e街プラットフォーム®」を採用する。また、同事業には日本航空(JAL、赤坂祐二社長、東京都品川区)が鹿児島県から受託した「令和5年度 奄美群島誘客・周遊促進事業」を一部活用。加盟店募集や管理業務、精算業務、プロモーションなどはジャルパック(平井登社長、東京都品川区)が担う。

 

 同日に鹿児島県庁で開いた会見で、塩田康一県知事は「奄美群島への入込増や地域経済の活性化につながれば」と期待した。JALの久見木大介鹿児島支店長は「従来のふるさと納税で恩恵が受けられなかった観光事業者や飲食事業者が対象になり、経済効果が見込まれる」と喜んだ。さらに、ギフティの森悟朗常務は「広域連携として今回は全国で3事例目。旅行者に自治体の行政区分は関係ない。奄美全体で取り組まれることで周遊を促す。今回の旅先納税導入が人と人、人とまちがつながるきっかけになれば広域返礼品型の価値が伝わるのではないか」と展望した。

認知率よりも実践意欲の方が高い傾向に 「サステナブルツーリズム・オーバーツーリズムへの生活者意識」

2024年3月25日(月) 配信

サステナブルツーリズムとオーバーツーリズムの認知率と実践意欲

 ソーシャルプロダクツ普及推進協会(APSP、江口泰広会長、東京都中央区)とSoooooS.カンパニー(木村有香代表、東京都中央区)は合同で、「生活者の社会的意識や行動を探るためのアンケート調査」を実施し、この結果を報告した。13回目となる2024年度は、新たに観光分野でのソーシャルプロダクツについて調査した。

 ソーシャルプロダクツは、社会的課題の解決につながる商品・サービスを指し、フェアトレードやオーガニック、環境配慮、復興支援など、SDGs達成につながる商品・サービスの総称。

 調査結果によると、旅行する際に「サステナブルツーリズム」を意識したい生活者は39・9%、「オーバーツーリズム」を避けたい生活者は51・5%となった。

 「サステナブルツーリズム」「オーバーツーリズム」をまったく知らない人はいずれも4割程度となり、同協会は、「この2つの概念について浸透の余地がうかがえる」とした。

 サステナブルツーリズムやオーバーツーリズムについて、認知率よりも実践意欲の方が高い傾向がみられるとして、同協会は、「概念は認知していないが、このような考え方を実践してみたい生活者は一定数いると考えられる。これらの概念が今後さらに普及していくことで、旅行スタイルが大きく変化していく可能性がある」と分析した。

連携する3自治体を舞台に結婚式プロデュース 八芳園がコンテスト実施

2024年3月25日(月) 配信

プレゼンテーションのようす(宮崎市チーム)

 八芳園(井上義則社長、東京都港区)は3月18日(月)、ブライダル企画を競う「ベストプロデューサーコンテスト」を実施した。ブライダル業界を盛り上げるため、企業間の垣根を超えたチーム力や提案力を高め合う場として2022年から開いているもの。今回は初の試みとして、八芳園と連携協定・パートナーシップ協定を結ぶ3自治体を舞台にした結婚式のプロデュースを行った。ファイナリスト18人が宮崎県宮崎市と福島県・鏡石町、栃木県那須塩原市の3チームに分かれ、それぞれの企画をプレゼンテーションした。

井上義則社長

 発表前に登壇した井上社長は画一的な昨今の結婚式に触れ、「昔、結婚式は地域文化に溢れたものでお国自慢だった」とし、「今後、婚礼業界で大切なのは、両手を広げて手を取り合い、足元の泉を見ること。泉は地方にある。地域文化を資本にして再構築する時期にきた」と言及。事業を通して若い世代や世界にも広く地域の魅力を発信していきたい考えを示した。

 関本敬祐総支配人は今後の同社の方向性として、首都圏市場だけではない地方エリアの市場活性化と、次世代のニーズを満たすウェディングの価値を生み出していくことを挙げ、これに伴う新たな取り組みを紹介した。

 3月1日、福岡県福岡市に新たな施設として「THE KEGO CLUB by HAPPO-EN」をオープンした。400年以上の歴史を持つ天神の「警固神社」を新たな交流創造拠点として「食」をメインに、多彩な集いをプロデュースする。「八芳園が進出していくというイメージではなく、地元に愛され支持を得られるよう法人を立ち上げた」とし、地域に根差した伝統と文化を重んじる施設として運営していく。

 4月1日から開始するのは「FURUSATO WEDDING PROJECT by HAPPO-EN」。地域を舞台に「結婚を通じて新郎新婦とまちを幸せで包み込む」をコンセプトにした事業で、今回のコンテストのようにウェディングやイベント、フォトウェディング、ギフトプロデュース、料理開発、プロダクト開発などを行う。関本総支配人は「地域と連携した婚礼事業で地域活性化を目指す」と意気込んだ。

ベストプロデューサーコンテスト

 コンテストはブライダルプロデューサーとクッキングコーディネーター、サービスコーディネーター、フラワーコーディネーター、ドレスコーディネーター、ヘアメイクコーディネーターの各3人、計18人が3チームに分かれて企画を練った。実際に現地に入り、自治体や地域の事業者らの協力を得て、会場となる素材や特産品などを視察した。

 それぞれ地域の物産品などの特徴を前面に出す一方、3地域の企画に共通していた魅力は“人”。現地で出会った人の魅力を企画に反映させようと工夫していた。

 会場には自治体関係者もゲストとして招いた。そのなかで、那須塩原市の渡辺美知太市長は「合併した自治体なので素材が多く絞り込むのが大変だったと思う。企画には市民も知らないような那須塩原の魅力が採用されていた。今後もぜひ外から見た魅力やアドバイスをお願いしたい」とコメントした。

ロボット「Keenbot T5 Laser」を活用した新たな配膳スタイルを披露

 また、会場では各チームが開発した婚礼用の食事メニューから1品ずつ試食として提供した。この舞台で同社はソフトバンクロボティクスが展開する配膳・運搬ロボット「Keenbot T5 Laser」をデビューさせた。同社によると、8台同時稼働は日本初の試みで、宴会場で同ロボットが稼働するのも初という。労働人口が減少するなか、披露宴や各種パーティーでロボットの活用を提案していく。なお、最終的にゲストの席に配膳するのは人の手で行うという。

観光庁、旧家のツアー造成を促す 旅行会社などにガイドツアー

2024年3月25日(月) 配信

旅行会社やメディアを対象に行った

 旧家などが観光資源として活用されていないなか、付加価値の高い観光資源の活用事例を広く発信しツアー造成につなげようと、観光庁は3月21日(木)、旅行会社とメディアを対象に旧安田楠雄邸庭園(東京都文京区)でガイドツアーを行った。

 同庭園を所有する日本ナショナルトラスト(安富正文会長)の根岸悦子事務局長は「維持費は寄付や入館料で賄っている。より多くの人に訪れてもらうことで、次の世代に残していきたい」と話した。

根岸悦子事務局長

 日本ナショナルトラストは文化財を保全し、利活用しながら後世に承継していくことを目的に1968年、前身団体が設立した。現在は白川郷(岐阜県白川村)の合掌造り民家2軒を取得。SLと客車3両も所有し、一部を大井川鉄道で走行させている。

 同庭園は、遊園地「豊島園」の創始者である実業家藤田好三郎氏が1920年に建てた。邸宅と庭園で構成される。旧安田財閥の創始者・安田善次郎氏の女婿である安田善四郎氏が23年に買い取った。長男の楠雄氏が37年に相続した。関東大震災や太平洋戦争などの被災を免れ、台所を除いて創建当時のまま残されていることが特徴だという。

旧安田楠雄邸庭園の外観

 当日は、同庭園で実施される薩摩琵琶奏者の川嶋信子さんによる音楽公演からスタート。楽曲「平家物語」や「壇ノ浦の戦い」などを披露した。

 川嶋さんは「琵琶を叩いたり、弦を擦る音で当時のようすを表現していることが特徴」と説明した。

川嶋信子さんと琵琶

 建物内の風呂場には、結った髪を洗うための水槽や、金箔や銀箔を細かく粉状にした金銀砂子が用いられた襖、氷で冷やす冷蔵庫などが残されている。

髪を洗う水槽

 1923年に製造された蓄音機を用いて、毎月第3水、土曜日に当時のレコードを流している。大正時代の音色を当時のまま楽しめるという。

 戦時下の42年につくられた防空壕も現存。毎年4、8月に公開している。

防空壕の内部

 また、春にはシダレザクラ、秋には紅葉を観賞することができる。

純利益3・4%増の83億9300億円と増収増益に 日旅連結23年決算

2024年3月25日(月) 配信

日本旅行はこのほど、2023年度連結決算を報告した

 日本旅行(小谷野悦光社長)がこのほど発表した2023年度(23年1~12月)連結決算によると、売上高は前年同期比25・8%の2288億600万円を計上した。営業利益は、同41・3%の94億5700万円、経常利益は同35・3%増の101億700万円、当期純利益は同3・4%増の83億9300万円と、増収増益となった。

 中期経営計画2022~2025に基づき、ソリューションとツーリズムの両事業本部を両輪とした事業ポートフォリオ経営を本格化し、新たに設置した営業コンプライアンス推進部を旗振り役として、営業活動における法令遵守の強化をはかってきた。23年5月、11月にコンプライアンス問題などが発生し、ガバナンス推進部の設置や役員・監査役の体制強化、内部統制システムの基本方針を改定するなど、グループ全体でのリスクマネジメント強化に取り組んだ。

 また、JR西日本グループやアライアンスパートナーとの連携によって社会課題解決メニューの充実をはかり、教育事業や起業ソリューション事業との連携で、総合的提案の推進に取り組んできた。

 部門別にみると、国内旅は、JRセットプランのWeb販売の拡大に注力した。また、SDGsの取り組みの一環として「カーボン─ゼロ」の展開強化や、地方誘客事業拡大などに努めた。この結果、国内旅行の売上高は前年同期比29・5%増の1481億4800万円、売上総利益は同27・7%増の270億8400万円となった。

 海外旅行では、個人旅行で円安や不安定な国際情勢の影響を受けたものの、団体旅行や起業出張などの単品商品で需要が回復し、売上高が同436・8%増の140億8400万円、売上総利益が同269・2%増の24億8000万円となった。

 インバウンド部門は、コロナ禍からの回復や、円安をきっかけとした訪日外国人観光客の需要の取り込みに取り組み、売上高は同651・1%増の202億7600万円、売上総利益は同657・4%増の51億7400万円となった。

「観光人文学への遡航(45)」 ライドシェア導入に対する疑問③

2024年3月24日(日) 配信

 十分な議論もなしにあっという間に決まってきたライドシェアに関して、観光関連産業としても無関心ではいられない。むしろ、これは公共交通、観光事業にとどまらず、日本の今後のあり方を左右する大きな分岐点であるにも関わらず、政府は単なるデジタル化の一環のような扱いでいつの間にか導入しようとしている。

 

 私はライドシェア導入の政策決定過程に疑問を持ち、この問題を各方面にヒアリングをして掘り下げて来たが、そこまでして分かったことは、我が国では、公共交通の担い手としての矜持と覚悟を持ったタクシー会社がドライバーを正社員として雇用して、運行の結果は会社が責任を持つというかたちで発展してきたことで、世界で類を見ない安全安心なタクシー運行が実現できていたということだ。

 

 世界ではタクシーのぼったくりや犯罪が後を絶たないが、これは多くの場合、個人営業を基本としていてタクシー会社があっても配車をしたり、車両を貸与したりしているのにとどまっているためである。だから海外ではタクシードライバーへの信頼度が低かったことで、ライドシェアの登場で一気に市場を席巻することができたのである。

 

 2023年3月22日に行われた第211回国会、衆議院国土交通委員会にて、一谷勇一郎議員の質問に対する堀内丈太郎政府参考人の答弁によれば、日本のタクシーは、輸送回数が約5・5億回あったなかで、交通事故の死者数は16人、身体的暴行による死者数は0人、性的暴行の件数は19件である一方、米国のライドシェア(UBER)は、輸送回数が約6・5億回あったなかで、交通事故の死者数は42人、身体的暴行による死者数は11人、性的暴行の件数は998件にものぼる。

 

 ここまでの差があるということが議会で公的に明らかになっているにも関わらず、メディアではほとんど報道されず、議論ではライドシェアの問題点として見逃されている。

 

 ライドシェア業者は、乗客による評価システムがあるからこそ、犯罪を抑止することができ、ドライバーの質を担保できると言っているが、評価システムというのはあくまでも事後である。犯罪に遭ってしまった人が実際にこれだけいるということは、その犯罪被害者の視点がすっぽり抜けている。犯罪被害者を生んでからでは手遅れである。

 

 これだけの犯罪がライドシェアで実際に起こっているということは、評価システムは「やり逃げ」を抑止できていないと言っていい。また、ドライバーが事故を起こした際、タクシーであれば会社として責任を負う。だからこそ、会社は自社の評判を下げないために全力で事前に社員教育をする。一方、ライドシェアではその責任はすべて個人に帰す。それが、犯罪が抑止できていないことの最大の要因なのではなかろうか。

 

島川 崇 氏

神奈川大学国際日本学部・教授 島川 崇 氏

1970年愛媛県松山市生まれ。国際基督教大学卒。日本航空株式会社、財団法人松下政経塾、ロンドンメトロポリタン大学院MBA(Tourism & Hospitality)修了。韓国観光公社ソウル本社日本部客員研究員、株式会社日本総合研究所、東北福祉大学総合マネジメント学部、東洋大学国際観光学部国際観光学科長・教授を経て、神奈川大学国際日本学部教授。教員の傍ら、PHP総合研究所リサーチフェロー、藤沢市観光アドバイザー等を歴任。東京工業大学大学院情報理工学研究科博士後期課程満期退学。

いぶすき秀水園 湯通堂温社長、松尾亮史調理長インタビュー プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選「料理部門」40年連続1位

2024年3月23日(土) 配信

インタビューはいぶすき秀水園で行われた

 鹿児島県・指宿温泉の「いぶすき秀水園」(湯通堂温社長)は、旅行新聞新社主催のプロが選ぶ日本のホテル・旅館100選の「料理部門」で、1985年から40年連続で1位という偉業を続けている。3月1日には、同館で特別表彰式を開くとともに、湯通堂温社長と、松尾亮史調理長に、宿の歴史から、料理へのこだわり、未来への展望など、「いぶすき秀水園の料理」について語っていただいた。

【聞き手=本紙社長 石井 貞德】

新たな試みと研究で進化を 調理場の働き方改革に着手

 ――いぶすき秀水園の創業から現在までの歴史についてご紹介をお願いします。

湯通堂 温(ゆつどう・あたか)社長

 湯通堂:私の父であり、先代の保(たもつ)が1963(昭和38)年8月に、焼酎蔵元の別荘を和室8部屋の純和風旅館「喜楽(きらく)」として創業したのが始まりです。
 母方の家業として焼酎の造り酒屋を営んでいましたが、蔵元の代表銘柄が「喜楽」でした。
 焼酎も時代とともに大きく変わり、戦前は地元での消費が多かったのですが、次第に日本酒や洋酒、ビール、ワインなどに押された時期でもありました。
 旅館を始める当初、父は鹿児島市内の料理屋さんに相談に行っていたのですが、ことごとく「旅館はやめなさい」と言われたそうです。
 ただし、「料理の良い(美味しい)旅館だったら、成功するかもしれない」と言われたことで、食べることが好きだった父は、宿の創業を決意しました。
 その後、1977(昭和52)年に石井正治が調理長に就任したことで、秀水園の「味」を広めることになりました。
 85年には、旅行新聞新社主催のプロが選ぶ旅館・ホテル100選の「料理部門」で1位に入選いたしました。以来、40年連続で1位を続けて来られたことは、大変名誉なことだと感じています。
 現在は、調理長に松尾亮史を迎えています。松尾調理長は関西で働いていましたが、石井前調理長のもとで1年間働くなかで、調理技術、人間性ともに太鼓判を押され、6年前に調理長に就任しました。

 ――どのような努力によって“料理の秀水園”は確立されていったのでしょうか。

 湯通堂:81年に新館を増設し、特別室4室を作ったころから先代の保社長と石井調理長が二人三脚で料理の改革に取り組み始めました。基本的な考え方として、「温かいものは温かく、冷たいものは冷たく」召し上がっていただけるように実践していきました。
 なかでも、お客様に「嫌いなもの」をお伺いすることは、他の旅館に比べて早かったのではないでしょうか。
 直接お客様に電話をして料理のお好みを聞くというやり方で、今でも旅行会社からの宿泊客を含め、すべてのお客様に直接「嫌いな食べ物はございませんでしょうか」、「アレルギーはございませんでしょうか」と予約時に一度お聞きし、到着時に再度確認しております。
 このため、フロントと調理場とのコミュニケーションがとても大事になってきます。私たちは「イエローカード」と呼んでいますが、お客様の嫌いな食材を3枚綴りで複写して、それを調理場に持っていき、仲居さんにも渡すといった細かい作業を努めて継続してきました。このことがお客様のニーズに応えられたのかと思います。
 今でこそ、IT化により携帯端末を駆使していますが、当時はカードを使って情報共有に努めていました。
 調理場の現場は、「嫌いなもの」が多くなるほど混乱して大変でした。失敗してお叱りを受けたこともたくさんありましたが、次第に慣れてきて、今ではほぼ問題なく対応できています。
 最近はとくにお子様のアレルギーが多くなりましたので、細心の注意を払っています。

 ――とても柔軟に対応できるかたちになっているのですね。

 湯通堂:料理を召し上がっている途中であっても、その日の体調の変化などによって「特定の料理が食べられない」というケースも出てきます。その場合、接客スタッフが調理場に連絡をして、変更できるもので対応いたします。
 例えば、牡蠣が苦手なお客様には、「あわびは大丈夫ですか」とお聞きし、調理長に報告します。調理長が不在の場合には代わりのスタッフに伝え料理を変更します。魚料理全般が食べられないお客様には、お肉料理に変えるなど調理後でも柔軟に対応しています。
 事前の情報が正しく入ればいいのですが、完璧ではないので接客スタッフの協力をいただきながら、できるだけお客様にお食事を楽しんでいただけるような対応を心掛けています。嫌いなものを事前にお聞きしているために、食材のロスはほとんどなくなりました。

 ――なかなかそこまで徹底している宿は少ないのではないかと思いますが、取り組みのきっかけは。

 湯通堂:お出しした料理を残されることが一番辛いと感じます。
 毎日のミーティングでお客様が残された料理などを報告するのですが、先代の父の時代には指宿の名物であるウナギや豚骨などは、女性はあまり召し上がられない時代でした。
 このため、肉質を柔らかくする大豆を入れて、旨味を引き立てた豚の角煮など新たなメニュー開発も行いました。お客様が食べたいと要望されたものを何とかメニューにできないかと創意工夫してきました。 
 石井前調理長が創った料理の中では、「柿釜ふろふき焼き」や「黒豚やわらか煮」などは、今も松尾調理長が引き継いで提供しています。
 リピーターの方には幾つかの選択肢の中からお好みの料理をお伺いしてお出しすることもあります。

 ――経営者と調理場のコミュニケーションについて。

 湯通堂:刺身は一般的には、市場から鮮魚店経由で旅館に入ってきますが、知り合いの船頭さんから「大ぶりの星ガツオが揚がった」と連絡が入ると、南さつま市まで往復で約80㌔ありますが、現地まで行って松尾調理長と食材として使えるかを相談しながら仕入れています。
 そのほかにも指宿温泉でホテル・旅館の調理長とオーナーが一緒に参加する現地研修旅行を毎年実施しています。
 先日は、神戸のホテルと、淡路島の旅館に宿泊して料理の研修を実施しました。当館は松尾調理長と、息子の洋(ひろし)副総支配人も参加しました。料理に対する“想い”の強さは、先代のころから続く指宿温泉の大きな特徴だと思います。
 毎週火曜日の休館日には、松尾調理長が若手スタッフを人気の料理店などへ連れて料理の勉強をすることもあります。
 今は「調理場の働き方改革」を松尾調理長と共に着手しています。
 週1日を休館日にしている一番の理由は調理場のためでした。良い仕事をするにはしっかりと休みを確保することを重視しています。

 ――調理場は何人体制ですか。

松尾 亮史(まつお・りょうじ)調理長

 松尾:社員が6人、調理補助スタッフが4人で、このうち3人が女性です。今年4月に新入社員が2人入るので社員は8人になります。早番と遅番の2交代制への移行に向けて準備を進めている最中で、これによって残業がほぼなくなるのではないかと考えています。

 ――いぶすき秀水園の料理の特徴は。

 松尾:日本料理で一番大事なものは「季節感」だと思っています。石井前調理長の「あわび素味噌焼き」や「美味豆富」などは今も人気が高いメニューで、名物料理として必ず入れながら、地物の食材や、流行りの食材、旬の食材などをそれぞれの季節に合わせて、新しい調理法なども取り入れながらお出ししています。
 指宿港で揚がった魚について漁師さんから連絡があるので、極力地元の魚を使用しています。そら豆も生産者から直接買っています。湯通堂社長と一緒に現地に行って相談しながら、食材選びをしています。生産者の顔が見えるというのはとても大きいですね。
 加えて、お客様のニーズに合わせた「秀水園でなければ食べられない」や「また泊まりに来て食べたい」と思っていただけるような料理を提供できるように日々努めています。

いぶすき秀水園の料理(一例)

 湯通堂:当館の料理の基本姿勢は、「お出ししてすぐに召し上がっていただける料理」を心掛けています。
 例えば、自分で火をつけて召し上がっていただくのはしゃぶしゃぶくらいです。それ以外はお出ししたらすぐに箸を付けられる状態にして提供しています。これは石井調理長のころからずっと一貫しています。
 食事のスタイルは、部屋食と個室食事処、和食堂の3つの選択肢をそろえ、予約時にお客様に選んでいただいています。仲居さんと調理場が密に連絡を取りながらお出しするタイミングをはかっています。お肉も固形燃料を使用せず、焼いたものをスタッフがスピーディーに運んでいく“時間との闘い”です。
 これは調理場だけでなく、すべてのスタッフの協力がなければ成り立たちませんので、コミュニケーションをとても大事にしています。

 ――外国人旅行者も増えています。

 松尾:ハラール、ビーガンなどに対応できるように、調理場スタッフも背景となる宗教や国の文化などを、もっと勉強していくことが必要になると考えています。

 湯通堂:私たちは外国人旅行者にも日本の料理をお出しするしかできません。宗教上の理由などでお肉がダメな場合、湯葉や豆富を使った料理を提供したり、野菜のお寿司を握ったり、臨機応変にやりますが、松尾調理長はさまざまな勉強会にも積極的に参加していますので、着実に進化してきていると思います。
 指宿温泉の調理長が集まってさまざまな食材を研究して商品化していく郷土料理研究会もほぼ毎年継続して開催しています。

 ――これからの旅館の料理について。

 松尾:日本人の主食である米にこだわない食の多様化が進むなかで、パンやパスタ、麺類を懐石の中に取り入れることや、洋風のソースや綺麗な盛り付けなどを含めて、新しい食材を「探して、見つけて、追求していく」ことが非常に大事だと思っています。
 「この調理法だったら美味しく食べられる」といった新たな試みや開発に取り組んでいかなければ、時代の流れに取り残されてしまいます。真空パックといった新しい調理法なども研究しています。
 一方で、一汁三菜や、和食器、走り・旬・名残といった季節感など、本来の日本料理からかけ離れないように仕上げていくことも常に心掛けています。思考を柔軟にして取り入れられるものは何でもチャレンジしていこうと考えています。
 話題づくりとして、ウナギの刺身をかば焼きと並べて握りにしてお出ししても面白いと思います。最近は鰹節をふんだんに使った出汁を楽しんでいただけるメニュー作りにも力を入れています。

 湯通堂:これから昼食も再開しようと考えています。あまり人手を掛けずにやっていくには、真空調理法などの研究も進めていかなければならないと思っています。
 リピーターのお客様がとても多くいらっしゃいますのも当館の特徴であります。新しい時代にも対応しながら、いぶすき秀水園の料理をお客様に満足していただけますように精進して参りたいと思います。

 ――ありがとうございました。

特別表彰式後に記念撮影

「観光ルネサンスの現場から~時代を先駆ける観光地づくり~(230)」現代によみがえる「江戸料理」(東京都)

2024年3月23日(土) 配信

セミナー会場となった日本橋江戸料理「奈美路や」

 2月下旬、東京・日本橋の江戸料理「奈美路や」さんを舞台に、「江戸料理体験セミナーin日本橋」が開催され参加した。

 この事業は、関東運輸局が2022年から始めた「江戸街道プロジェクト」の一環である。江戸街道プロジェクトとは、徳川家康が江戸と全国各地を結ぶ街道として整備した、いわゆる五街道と脇往還などを「江戸街道」という統一テーマをもとにブランディングし、広域関東圏(1都10県)の魅力づくりと地域活性化につなげようというものである。

 江戸街道には、江戸時代から今日に至る、実にさまざまな資源が眠るが、本事業では「食(江戸料理)」と「泊」の2つの重点プロジェクトに集約して展開しようというものである。「泊」は意外かもしれないが、1635(寛永12)年、3代将軍徳川家光の時代に制度化された参勤交代を機に宿場には、本陣・脇本陣をはじめ、多くの宿が用意された。大大名になるとその行列は1千人をはるかに超え、3千人から4千人に達することもあった。本陣・脇本陣だけではとても賄えず、多くは宿場内の民家などでの分散型の宿泊となった。

 分散型宿泊と言えば、今ではイタリア発祥のアルベルゴディフューゾが人気だが、江戸時代の参勤交代がまさにこの先鞭ともなっていた。

 話をもとに戻して、当日のセミナーのテーマは、その一つ「江戸料理」である。

 「江戸料理」とは、簡単に言えば「江戸時代に江戸の地で発達し、またその流れをくむ東京の郷土料理」である。蕎麦、天ぷら、江戸前鮨、刺身、鰻、あなご、どぜう、田楽などなど現在私たちが口にするさまざまな和食のルーツである。

 当日は江戸料理研究家で大塚「なべ家」の元主人の福田浩さん、江戸東京・伝統野菜研究会代表の大竹道茂さん、料理研究家で大きな竈主宰の冬木れいさんという錚々たる方々にお集まりいただいた。文化庁100年フードなどに関わらせていただいているご縁で、私もコーディネーターとして参加させていただいた。

千住ねぎの花火揚げ

 セミナーでは、日光街道の旧千住宿にある地元料理「和食板垣」さんで開発された千住宿江戸料理のメニュー開発の事例や、江戸東京野菜の保存と再生の事例などが紹介され、セミナー終了後は、会場となった「奈美路や」さんが提供する「江戸料理」を堪能させていただいた。

 五街道や脇往還などの旧道は、そのほとんどが国道などとして整備され、また首都圏という開発の激しい地域ゆえに、宿場町の面影はもはや薄れつつある地域が多い。しかし、僅かに残ったエリアでも分散型宿泊の再整備と江戸料理の創作などによって、新たな地域再生・まちおこしは可能である。

 江戸東京には、全国から集まった地方の食の在来種なども少なくない。これら食を媒介とした、東京と地方の新たな交流も期待できよう。

(観光未来プランナー 丁野 朗)