観光地の再生へ、マスタープラン作成を提案(観光産業革新検討会)

事務局が提示したマスタープランで目指す仕組み

 観光庁は3月31日、東京都内で「第3回観光産業革新検討会」を行った。今回の検討テーマは(1)観光地の再生活性化の方策について(2)方策実現のための仕組みづくり、支援等について――の2点。観光地の再生活性化策について、事務局は地域の宿泊施設のプラットフォームを作成し、宿泊施設を核とした魅力ある観光地づくりのマスタープランを作成する必要性を提案した。

 事務局が提示した資料によると、地方自治体における観光政策の有無について、日経リサーチが303の自治体に調査したところ、約7割の自治体が、作成済みとの回答を示した。具体的な政策の内容に関しては、「観光地PR活動」が82・3%、イベント開催が69・8%と上位になっており、「観光地開発(36・3%)」や「宿泊施設の整備(16・7%)」に関する施策は各自治体とも少ないことが明らかになった。観光地の開発や宿泊施設の整備を行っていくためには、「人材の確保」が不可欠になるが、回答した多くの自治体で、観光振興を推進していけるような人材が不足している状況だ。

 これらの現状を踏まえ、事務局が提案したのが「宿泊施設をコアに周回性を実現した新しい観光地経営」である。これまでは宿泊施設や観光施設をバラバラに周遊していたのに対し、事務局が提示した観光地経営策では、マスタープランを策定し、宿泊施設が地域の核(プラットフォーム)となって仕入れやPRを行い、各観光施設などと連携し滞在してもらえる仕組みづくりに取り組んでいくものだ。

 観光地の再生活性化案を考えてはいるものの、金銭面で余裕がない自治体も多い。そのような場合でも、具体的なマスタープランを作成することで、ふるさと納税や、クラウドファンディングなどの投資によって、資金調達がしやすくなるという。

 事務局が提示した案について、検討委員のAAE Japan社長の石井恵三氏は「宿泊施設がマスタープランを作るのに必要なことは、海外の成功事例を活用すること」とし、海外の成功事例を参考に、どのような顧客がどういった観光地にいくのかなど、ビジネスモデルをしっかりと分析することの重要性について意見した。

国際観光学部を開設、記念シンポジウム開く(東洋大学)

国際観光学部開設へ。竹村学長があいさつ

 東洋大学(竹村牧男学長、東京都文京区)は3月15日に同学白山キャンパスで、4月に開設する国際観光学部の記念シンポジウムを開いた。新学部は企業で働きながら学ぶコースなど、画期的な取り組みが耳目を集めている。竹村学長は冒頭に「高度な観光学の教育研究機関を確立し、観光産業の振興に寄与していきたい」とあいさつした。

 来賓の田村明比古観光庁長官は新たな門出を祝い、「私どもの目指す方向性とまさに合致するもの」と、新学部開設に期待を寄せた。

 新学部開設に連携して取り組んだ日本旅行業協会(JATA)の志村格理事長は、これまでの大学と企業の関係性に触れ「互いに離れていてはいけない。今後はどんな人材が欲しいか要求するべきだ」と、産学連携の必要性を訴えた。

 客員教授任命式では、中国国家旅游局中国旅游研究院の戴斌(ダイビン)氏が任命され、講演を実施。一方、国連世界観光機構(UNWTO)事務局長のタレブ・リファイ氏に、名誉博士号を贈呈した。世界の観光の持続的な発展に対する活躍と業績をたたえた。

 国際観光学部紹介では同学部長の飯島好彦氏と、同学科長の島川崇氏が登壇。新学部の学生定員は240人から366人と、約1・5倍になる。「これは大きな挑戦だった」(島川氏)。今後は各業界のニーズを汲み取って「社会の要請にどう応えるかが重要になる」(同)と強調した。

 このあと2部立てで「人材」について、パネルディスカッションを実施した。JTBと日本航空(JAL)の人事、旅工房の代表が学生に求める人材像を説明。国土交通省からは清瀬一浩氏が出席し「グローバルな視座を持つ地域の人材を輩出してほしい」と述べた。

〝海の日〟3連休存続を、業界7団体が決意表明

関係者300人が、ハッピーマンデー制度の維持を決議した

 〝働き方改革など休暇制度を考える会議〟が4月5日、衆議院第一議員会館(東京・霞ヶ関)で行われた。主催は日本旅行業協会(JATA、田川博己会長)をはじめとした7団体。関係する衆参議員が出席するなか、冒頭あいさつで田川会長は、〝海の日〟を含めた3連休の経済効果の高さを強調。出席議員に向け、同制度の必要性を改めて訴えた。7団体による決意表明も行われた。

 国民の祝日としての〝海の日〟に改めて焦点が当たるなか、田川会長は「ハッピーマンデー制度は、多くの消費者にリフレッシュ機会を提供するキッカケとなっている。〝海の日〟を含む3連休1つとってみても、経済効果は2千億円に達する試算もある」と力を込める。

 自民党の観光立国調査会事務局長も務める衆議院議員の福井照氏は、「観光産業が困るようなことは一切しない。ハッピーマンデー制度の大切さはどの議員も知るところ。観光に携わる我われが一体となり、責任を持って国民の理解促進をはかる」と、協力を惜しまない姿勢を示した。

 会議前、80人以上の国会議員に対し陳情を行ったJATAの越智良典理事・事務局長は、「制度の存続に危機感を持っている。各方面に対し、必要性と存続をアピールするのが目的だ」と語る。

 JATA以外の主催団体は、全国旅行業協会と日本ホテル協会、全日本シティホテル連盟、日本旅館協会、全国旅館ホテル生活衛生同業組合連合会、日本観光振興協会。

新会長に佐藤和志氏、次世代へ〝和の文化〟継承

佐藤和志新会長(中央)
田島健夫氏

日本の旅文化を創る会が50年

 朝日旅行「日本の旅文化を創る会」(398会員)は3月22日、東京・新宿の京王プラザホテルで2017年度通常総会を開いた。任期満了にともなう役員改選では、佐藤和志氏(鶴の湯温泉)が新会長に選ばれた。佐藤好億会長は名誉会長に就任した。

 佐藤好億会長は50回を迎えた総会に先立って、「この会は個性あふれる仲間が集まってスタートした。50年を1つの区切りに、次の世代へ〝和の文化〟を継承する時期がきた」と述べ、「我われの進む道は次世代を担う皆さんの双肩にかかっている。朝日旅行らしい旅のあり方を考えていきたい」と語りかけた。

 佐藤和志新会長は、さまざまな分野の会員が集う同会の可能性の高さについて触れ、「会の皆さんと一緒に盛り上げていきたい」と就任のあいさつをした。

 17年度は昨年度に続き、人材育成や事業継承に向けた研修会を実施する。また、温泉検定講座の開設については、専門委員会を中心に収益が得られる仕組みづくりなどを継続的に検討していく。

 総会では、日本の宿を守る会(36会員)、日本秘湯を守る会(173会員)、日本文化遺産を守る会(26会員)、日本源泉湯宿を守る会(45会員)――の4部会が活動報告を行った。

 来賓の朝日旅行の鶴田隆志社長は「会員にとってなくてはならない会であるために、我われの役割をつねに考えている。新年度以降、組織も変え、新たな息吹を吹き込み、宿の繁栄を支えていきたい」と力強く語った。

 総会後の講演会では、「誰にも真似できない宿づくり」をテーマに、忘れの里雅叙苑、天空の森主人の田島健夫氏(鹿児島県・南きりしま温泉)が登壇。田島氏は「旅館が提供する和食も工業製品になっている」と嘆き、そのうえで「私たちは次の世代に何かを残さなければ、このままでは日本はガタガタになる」と危機感を滲ませた。

300年以上の歴史を、中国の国酒でおもてなし(日和商事)

中国の国酒「マオタイ酒」

 中国の国酒「貴州茅台酒(きしゅうまおたいしゅ)」を日本で購入する中国人が増えている――。1972(昭和47)年、日中国交正常化の記念式典で、当時の首相田中角栄に振る舞われた酒がマオタイ酒だ。このマオタイ酒の国内唯一の正規販売代理店が日和商事(黄曜東社長、東京都渋谷区)。中国酒専門で20年以上の実績がある。昨今の訪日中国人客の増加に合わせ、プロモーションも強化している。

 中国では国酒として300年以上の歴史を持ち、接待の席で必ずといっていいほど目にする。アルコール度数は53度。一口飲めばカッと焼けるような強さを感じるが、味はまろやかで甘みもある。純度が高く二日酔いにもなりにくい。

 中国人が最も郷土を思い出す味ともいえる。ただ、中国では同酒のニセモノが少なくないという。そこで、訪日中国人らは「日本でならばホンモノだ」と、空港などの免税店で人気がある。

 同社は3月7日に行われたアジア最大級のBtoB食品・飲料専門展示会「FOODEX JAPAN」にも20年近く続けて出展している。当日は商談や、珍しい中国酒を手に取る客らでにぎわった。

数多くの中国酒を扱う

 中国酒輸入卸売を商い、健康酒や調理酒、果実酒なども取り扱う。中国本土に工場を持ち、自社で醸造するオリジナルブランドも展開する。

 このうち紹興酒はすべてオリジナル。「越王台紹興花彫酒」は最も安く600㍉リットル300円。初めてでも手を出しやすい価格に抑えた。

 一方、ボトルや陶器、ラベルなどに個々の企業名を刻印して販売も行う。本場の味はそのままで、自館や売場の雰囲気を損なうことなく、商品を合わせられる。

 黄曜東社長は「日本のホテル・旅館のお土産にも合うはず。中国のお酒を楽しんでほしい」と語った。

 日本に個人で訪れる訪日中国人は増加の傾向にある。日本の酒を楽しんでもらうことも重要だが、郷土の酒を振る舞うこともおもてなしの1つかもしれない。

軽井沢ビールを体感、美術館的工場で味を探求(軽井沢ブルワリー)

軽井沢ビール工場の外観

 軽井沢ブルワリーの工場は、世界的な日本画家・千住博画伯と軽井沢千住博美術館の協力による美術館のよう。工場内の随所に展示されている千住博画伯の名画に触れることのできる初の品格あるクラフトビール工場だ。

 同工場は「軽井沢ビール」を生産している。クラフトビール最大の規模と最新鋭の設備で、生産された麦芽を使った仕込みの香り、音、温度、すべてを実感し、見学できる「体感工場」。軽井沢浅間山の清らかな冷涼名水で仕込み、喉越し爽やかで何杯でも美味しく飲めるのが「軽井沢ビール」の特徴だ。千住博画伯の名画とともに美しい味の探求が、工場の永遠のテーマという。

 開場からわずか3年の清潔な新工場は来場者に好評で、昨年1年間の来場者数は1万人を超えた。初夏から紅葉の時期までの軽井沢ベストシーズンが人気の期間だ。

 さらに、9月に最大5千キロリットルの製造能力を有する臨場感あふれるビール体感工場へ拡大する計画だという。

 工場へのアクセスは、上信越自動車道の佐久ICから車で1分、軽井沢周辺からは約20キロ。電車利用の場合は北陸新幹線佐久平駅蓼科口からタクシーで約6分。大型バス7台分の駐車場を完備している。近くの軽井沢千住博美術館見学も併せてプランが組める立地だ。

 見学料金は1人500円。生ビールをグラス1杯無料、お土産に缶ビール1本(飲めない人は缶ビール2本)がもれなくプレゼントされる。館内の売店で工場直売の新鮮なビールも購入できる。ビール工場見学はホームページから予約可能。

 問い合わせ=軽井沢ブルワリー 電話:0267(66)3311。

造りたてのビールが試飲できる開放感あるビアホール
本物のサクソフォンを使用したビールサーバー

【特集No.457】福一・旅邸諧暢楼 “人間”を主体にIT化進める

2017年4月1日(土) 配信

 高品質のおもてなしサービスを提供することで、お客様の強い支持を得て集客している宿の経営者と、工学博士で、サービス産業革新推進機構代表理事の内藤耕氏が、その理由を探っていく人気シリーズ「いい旅館にしよう!Ⅱ」の第11回は、群馬県・伊香保温泉「福一」の福田朋英社長が登場。超富裕層を対象に”本物”を提供する旅邸諧暢楼のコンセプトや、外国人労働者の受け入れへの危惧、生産性向上を意識する風土づくりなど、福田社長と内藤氏が熱く語り合った。

【増田 剛】

   ◇

 ――宿の歴史から教えてください。

 福田:戦国時代の長篠の戦い(1575年)のあとに、武田勝頼が家臣に負傷兵の療養場所を整備させ、今の伊香保温泉街の原形が作られました。日本最古の都市計画に則った温泉地であり、石段街もそのころにできました。私どもの初代が伊香保に入植したのは1584年で、私が17代目になります。もともとは千明仁泉亭さんのすぐ下の方にありましたが、明治初期に上に移りました。

 内藤:江戸時代、明治、大正、昭和初期までは湯宿として経営されていたのですか。

 福田:そうですね。何回か、大火で焼けました。1920(大正9)年の火災のときは、私の祖母も子供を抱えて榛名山の方まで逃げたそうです。火災によって宿もリニューアルを繰り返してきました。
 1877(明治10)年に「諧暢楼」を建てましたが、1920年の大火事で焼けて、翌21年に「福一楼」が作られました。

 内藤:観光旅館というかたちですか。

 福田:湯治場です。私が子供のころも、夏の間ずっと滞在される宿泊客も多く、昼などは“店屋物”を取っていました。地元の人よりもお客様の方が「あそこの店は美味しい」などを知っていました。その前の時代は、お米を持参して長く湯治をされていました。

 内藤:福田社長が子供のころまで、湯宿としての長い歴史の面影が残っていたのですね。

 福田:福一楼は湯宿というよりも、大きな旅館でした。鉄筋コンクリートにしたのは早かったですね。1929(昭和4)年に4階建てに改築して、水洗トイレを備えました。当時としては珍しかったそうです。戦時中は強制的に隣の旅館と廊下でつながれ、陸軍病院として使われていた時期もありました。
 1945年に戦争が終わり、旅館業を再開しました。50年5月に私の父が16代目として「株式会社福一旅館」を設立しました。59年には木造の建築物を壊し、地上4階地下3階の鉄筋コンクリート造りで、エレベーター付きの建物を建てました。エレベーターは当時、関東でも珍しかったようです。水洗トイレやエレベーターなど、代々“新しい物好き”で、進取の気性はあったようです。
 私どもの中興の祖は母だと思っています。父が59年に社長に就任ましたが、「地元の郵便局長に」と白羽の矢が当たり、宿は母が一手に引き受けていました。呼び鈴が鳴ると、母親がすぐに立ち上がるので、母とゆっくりと食事をした記憶はほとんどありません。このため私は、「旅館業だけはやりたくない」と強く思うようになりました。お客様からも「あんたが長男か。跡継ぎだな」と言われることがすごく嫌でした。

 内藤:福田社長が大学を卒業後欧州に行かれ、そのあと宿に戻って来られたのは何歳のときですか。

 福田:30歳になる直前でした。1982年です。ドイツのテレビ局で記者をやっていました。日本に帰って宿を継ぐ気はまったくなかったのですが、弟も、妹も宿をやらないということになり、新館「万葉館」を建てるために帰ってきました。建築会社の選定や交渉、資金調達まですべて任され、そのお陰でとても勉強になりました。
 当時は儲かって仕方ない状況でした。オイルショックで全国の旅館の平均定員稼働率は20%台まで落ち込んだとき、当館は78%の高稼働で推移していたので、驚異的な目で見られていました。
 私は、この78%を100%まで近づけたいと思い、まず実施したのが「レディースデー」プランでした。私は以前、編集長をやっていたこともあり、たまたま女性週刊誌の記者と話をしているときに、「これからは女性の時代なので、女性が得した気分になれることをやるといいよ」と言われ、女性客を半額にする「レディースデー」を実施すると当たりました。最盛期には8カ月先まで満室でした。

 内藤:宿に戻った当時はどのような状況でしたか。

 福田:万葉館の建築計画が進んでいたのですが、私が福一に帰った、まさに翌日、大雨によって建設予定地の隣が崩れ、長期間にわたって計画は頓挫しました。既存の建物の基礎部分までむき出しになり、トラックも飲み込まれるほどの大水害となりました。当日は満室でしたので、お客様に避難していただき、食材も移しました。私も土嚢を作るように指示を出しましたが、周りは皆「何だこの若造は」という顔をしていました。
 宿に帰ることが決まってからずっと、従業員の中にどうやって入っていこうかと悩んでいました。当時は、母よりも年配の方も多く、調理場も雰囲気が恐そうな人が多かったですね。のちに私が従業員若返り計画をするきっかけになりました。
 水害によって、はからずも、従業員の中に入っていくことになりました。また、色々な困難に対面したときにも「なんとかなる」と思えるほどの貴重な経験をしたと思っています。

 ――地域のことにも目を向けられたのですか。

 福田:渋川の駅前で青年会議所の人と話す機会があり、ものすごく前向きな話をしていたのでその場で、「ぜひ入れてください」とお願いしました。その後、地元の旅館組合の青年部や、青年会議所に入ったりして、何人かの仲間と「伊香保を何とかしよう」と語り合いました。
 万葉館を作ったとき、それまでの一般常識では上層階に行くほど「いい部屋」なのですが、当時はホテルニュージャパンなどの火災事故が多く発生したため、お得意さんから「一番下の逃げやすい部屋にしてほしい」と言われました。「こんなに価値観が変わったのか」と思いました。
 当時の航空業界はエコノミークラスからビジネスクラスが増え、「世の中が変わってきたな」と感じました。それでファーストクラスフロアを作ろうと思い、今の諧暢楼の前身となる「庭付きの特別室」を一番下の階に作りました。特別室には通常の料金に加え、12万円のルームチャージをいただいていましたが、特別室から予約が入ってきました。

 内藤:バブルがまさに始まろうとしていたころですね。どのくらい特別室はあったのですか。

 福田:100平方㍍が3室と、50平方㍍が2室。すべて庭付きです。稼働率はとても高かったですね。
 その後、既存の建物を壊し、千樹館を建てるのですが、万葉館31室のみで営業していました。1室平均で年間5千万円以上売り上げ、話題にもなりました。千樹館がオープンする91年にはバブルが陰りを見せてきていました。私は39歳で社長に就任しました。ちょうど全旅連の青年部長になる年です。父は、郵便局を15年ほどやっていましたが、その後宿の経営に専念していました。父が社長のときに万葉館を建てましたが、経営は私がすでに任されていました。

 内藤:万葉館と千樹館を合わせて計96室で経営され、その後、旅邸諧暢楼も建てられました。このほかにも大宴会場など色々な施設のスクラップ&ビルドはどのような感じで進められたのですか。市場全体の流れを見られているのではないかと思いますが。

 福田:当時、年間4億円ずつ返済していたので、そのくらいまでは投資してもいいのではないかと思っていました。露天風呂を作ったり、さまざまな手を加えていきました。
 大きな宴会場が3つありましたので、団体を追いかける当社の営業マンがバッティングするケースもありました。戦略的には、クジラを追いかける捕鯨船は1隻あれば十分。3つ持っても仕方ないので、大宴会場を小宴会場と中宴会場、食事処に作り変えました。
 また、これからは個人のお客様が伸びてくるだろうと予想し、個人客に対応する設備投資を行いました。朝、布団を上げて、朝食を持っていくと埃が舞うこともあり、それはお客様に対して失礼だと思い、個室の食事処を作りました。個室は遮音した空間で、光や灯り、温度もお客様の好みで調整できることをコンセプトにしました。
 諧暢楼はその後、より高級感を持たせて食事処を先行して作りました。

 内藤:一般の食事処とはまったく違いますね。どんなことを当時考えられていたのですか。また、3つの宴会場を1つにして、諧暢楼を作られたのは何年くらいのことですか。

 福田:宴会場を1つにしたのが2006年で、諧暢楼を建てたのが2年後の08年です。

 内藤:リーマン・ショックの前ですね。カウンター形式の諧暢楼の個室食事処はどういう発想だったのですか。今でも旅館でカウンター形式は珍しいですよね。

 福田:お客様の食事の進み具合をしっかりと見極めながら、料理を出したいと思っていました。諧暢楼は8室しかないのですが、食事処は9カ所あり、お客様が選ぶことができます。そのほかにもスモーキングルームも作りました。特別室を作った時代からマーケットも変化しており、超富裕層にもマッチした特別の空間を提供していくことで、福一を引っ張っていこうと考えました。
 もともと諧暢楼は1877年の祖父の時代に作られました。「やわらかさと伸びやかさ」がコンセプトで、究極のリラクゼーションを提供したいと考えました。「何もしない贅沢」をコンセプトにスパも新設しました。大きな投資となりましたが、「本物を提供したい」という思いが根底にあります。アイダーダウンの羽毛布団を提供している宿はあまりないのではないかと思っています。椅子もあちこち探し回り、何百回と座って試し、納得した日本製のものを入れました。東洋も西洋も融和した世界がテーマです。食も東西和合を意識して、ソムリエが調味料に見合った世界の飲み物を提供するマリアージュを始めました。コストパフォーマンスはいいと言われています。

 内藤:諧暢楼が08年にできて、一連の大きな改革が10年になろうとしていますが、今後マーケットはどのように変化していくと考えていますか。

 福田:今までは8対2、または7対3の割合で団体客が個人客より多かったのですが、近年は5対5という感じになってきました。現在の団体の宴会スタイルもいつまで続くのだろうと思っています。ダウンサイジングも視野に入れながら、宿の外にも開放できるスパやエステなどにも力を入れ、「健康とリラクゼーション」をテーマに使っていただける空間に変えていくのも1つだと思います。外からもお客様が来ていただけると、夜間だけの稼働ではなくなってきます。

 ――人材育成については。

 福田:バブル崩壊のころに、これから「人財」育成をしっかりとやっていこうと、大学の新卒を入れてきました。今は30―40代の幹部に育っています。試行錯誤を繰り返しながら、若い人にも馴染めるような職場環境に変えていきました。「福一で働きたい」という若い世代も最近は少しずつ増えており、ありがたいと思っています。

 内藤:新卒を雇うような状況ではなかった時期もあったのですか。

 福田:伊香保温泉までなかなか来てくれないですね。Iターン、Uターンの傾向も出てきて、ようやく大学生の新卒をちゃんと育てていこうという流れになりました。
 当社ではまず、ほかの施設ではやっていないような社長研修を4日間行います。幹部も月替わりで議長を交代して、研修を行っています。議長を経験することで、俯瞰的な視点のトレーニングにもなります。一朝一夕に今の状況ができたわけではありませんが、バブルも弾けてくるころに大きく変わりました。私が前橋市にある専門学校の教壇で教えるようになってから、その学校からも就職に来るようになりました。伊香保温泉のほかの旅館にも私の教え子がいます。

 内藤:福一は若い社員や中堅幹部も層が厚いと感じます。

 福田:若い人財を入れて、新陳代謝をすることが組織にとってすごく大事だと思っています。

 内藤:就業規則も随分早くから規定されていますね。

 福田:私が社長に就任するころに規定しました。その後、見直しもしました。

 内藤:ずっと以前から社員が働きやすい環境づくりへの問題意識は高かったのですか。

 福田:そうですね。
 今、旅館など宿泊業界でも外国人労働者の受け入れへと舵を切っています。しかし、私はまったくナンセンスだと思っています。
 私は以前ドイツに住んでいましたので、欧州での移民政策の失敗を大変な脅威に感じています。英国のようにナショナリスティックにEU離脱した国もあれば、抜けたくても抜けられない国もある状況です。世界的に各国が保護主義へと向かう傾向のなかで、日本だけグローバルな市場をグローバルに追いかけるというのは、本当にいいことだろうかと疑問を持っています。外国人労働者を受け入れると、デフレに拍車がかかり、実質賃金が下がります。また、外国人労働者の稼いだ賃金は日本国内で使われることはほとんどなく、海外に出てしまい、内需の拡大はできません。今後労働人口が減少していくなかで、しっかり成長できるビジネスモデル、産業モデルをつくる必要があります。少し前は「一億総中流」と言われていましたが、それでよかったのではないかと思います。内需を拡大しながらしっかりと賃金を稼ぎ、消費するという循環が大切だと考えています。
 もし、これから外国人労働者が大挙して来ると、瞬間的には旅館も経営上は助かる部分はあるかもしれません。しかし、実際に宿の現場でおもてなしの質が大きく落ちることが考えられます。もっと大事な部分は、セキュリティー問題です。お客様の信頼を裏切ることも十分に考えられます。犯罪率も上がります。外国人労働者の受け入れはインフレ時の対応策であって、デフレ時ではやるべきではないと思っています。
 私は日本人の一人ひとりの生産性を上げていくというのが一番だし、ある程度単価をアップしながら、適正な賃金も払う。外国人労働者が入ると、結果的には1人当たりの宿泊単価が下がることが考えられます。失業問題や犯罪率の激増など、諸外国で生じている問題が必ず日本でも起こると思います。世界に誇れる日本のホスピタリティである“おもてなし”を全体で作っていかなければならないと思っています。
 一人ひとりの生産性を向上して、2倍働き、給料は1・5倍にしていこうと話しています。バブルが弾けて宿泊業全体が落ち込んだ時期も、「単価だけは絶対に死守しよう」という話をしてきました。

 内藤:単価は下げなかったのですか。

 福田:ガマンにガマンを重ねて頑張りました。単価を上げようと思って、「今日から値上げします」と言ってもお客様は来てくれません。一朝一夕ではできないことです。
 単価をアップするにも、社員を育てる期間が必要です。私の経験では、単価をアップするタイミングは大体3―4年に1度です。それも恐る恐る単価をアップします。そうすると3割ほどが新しいお客様層になります。その新しいお客様に対して従来のサービスでは対応できません。お客様に鍛えられ、お客様のご期待に応えられるまでに3年くらいはかかります。そして、また設備投資をともなって、もう一段階上げていくしかないのです。単価を崩すのは簡単ですが、積み重ねていくのは10年、15年かかります。だから、単価は死守しなければならないのです。
 ようやく宿泊業全体、旅行会社も単価アップを意識してきました。低廉な外国人労働者を入れてクオリティーを保てるかというと、私はそんなことはないと思っています。お客様がいずれ離れていくと思います。
 ですから、一部の旅館がやむを得ず外国人労働者を入れることは仕方ないとしても、業界を上げて向かっていく問題ではないと思っています。

 内藤:最近では生産性向上をどの旅館でも意識され始めていますが、今から5年以上前に福田社長が生産性向上について語っていたことが強く印象に残っています。
 IT化にも熱心に取り組まれています。

 福田:営業マンがいつでもどこでもデータを見ることができるように「クラウド化したい」ということと、お客様のジャストインタイムのご要望に対して応えられるように、バックヤードでのIT化が必要だと感じていました。それと、情報の共有です。今、ほとんどペーパーレスになってきましたが、同じビジュアル情報を見ながら作業ができる。それを社内SNSのようなものを作ってやっています。

 内藤:今後、ITをどのように発展させて活用されるおつもりですか。

 福田:ITは黒衣的な存在だと考えています。お客様と接する演出そのものは、あくまでも人間がすべきものだと思っています。
 お客様と接する時間をできるだけ長くしていくというのが何より大事だと思っています。そのためにバックヤードにロボットを入れる設備投資はすごくいいことだと思います。まず、就業規則の整備ができました。また、スタッフのみんなが生産性を意識し始めて、お客様の増減に合わせてシフトを入れるのが当たり前のようになっています。社長がいくら言っても、瞬間的にはできたとしても続かない。従業員や幹部が生産性を意識する風土を作れるかが勝負だと思いますし、そのために必要なIT化はもっと進めていくべきだと考えています。あくまでも人間が主体です。

 内藤:人が足りないところは30分だけでもヘルプするということもやられていますね。

 福田:以前はお互いのヘルプということに、抵抗感があったようですが、今は普通にやっています。

 内藤:細かいところでは、チェックインの方法も、以前はフロントの前に行列を作っていました。チェックインが終わったお客は、次に客室への案内を待つという具合でしたが、今はとてもスムーズに流れるようになっていますね。
 ロビーで呈茶のサービスをしているので、お客は待っている時間ではなく、お茶を飲んでいる時間に切り替えたということですね。
 それと、売店の位置を変えられましたね。

 福田:あくまでもお客様に接客をしないと意味がありません。お客様の満足につながることを他の部署が補ってやっていこうという意識も出てきています。
 生産性向上といえば、アンケートの点数が下がるようなイメージを持っていたようですが、今は点数評価もずっと上がっており楽しみです。

 ――諧暢楼を作って単価は引っ張られていった感じですか。

 福田:諧暢楼に泊まる層は、福一に泊まるお客様とまったく層が違いますが、高単価の方に向かっていったことは良かったと思っています。
 ただ、両館のスタッフは基本的に別々です。

 ――両館のオペレーションで最も違うところはどの部分ですか。

 福田:諧暢楼はたっぷりと時間を使いますからね。お客様の「何もしない贅沢」にお付き合いできるスタッフが対応しています。逆に福一ではまだ半分が団体客なので、その作業ペースでは間に合いません。
 そういった部分をもう少し応用できればと思っています。福一の個人客に対するオペレーションのクオリティーアップにつながっていくといいなと思っています。

 内藤:料理は今後どのような改革をお考えですか。

 福田:松竹梅のきちっとしたものを作って、そこにプラスアルファでお客様のご要望に応えて、提供できる体制を目指しています。もう少し品数は少なくてもご満足いただけるような内容にして、しかもプラスアルファで注文をお受けできるような体制を作りたいと思っています。

 ――連泊への対応は。

 福田:料理の内容は変えていますが、伊香保の街は美味しい店が多いので、お客様の足のご不便をかけないサービスも考慮に入れ、街の中の美味しい料理を楽しんでいただくことも必要なのかなと思っています。

 ――スパについて教えてください。

 福田:万葉館と千樹館のつなぎ目にお食事処がありますが、そこを昼間も利益を上げられるような空間にしたいと考えています。これからはますます個人のお客様が増えてくると思いますので、そのときにオペレーションチェンジが必要なのかなと思っています。

 ――ダウンサイジングについて。

 福田:間取りを変えて、4人用客室を2人で過ごすことも一案です。現在、3つ建物がありますが、どういう組み立て方をするかはこれからだと思っています。

 内藤:宴会が減ると、盛り付け台が不用になったり、料理もお客に近いところでやるので、大きな厨房がいらなくなったりします。そうするとバックヤードのスペースを有効活用できます。団体客が半分に減っているのに、同じように使っている宿が多く、アイデアの出しどころになっています。
 2020年まではこのままの状態で進むと思いますが、その先は見えません。単価を維持できる方向に進まないと生き延びることができないと思います。
 お客に満足いただけるクオリティーアップをして、単価を上げていくことが正攻法だと思っています。

より個人の好みにマッチした旅を ― 「ホテルや旅館も選択肢の1つ」へ

 旅先で泊まるのはホテルや旅館――という当たり前の感覚は、過去のものとなるのか。

 民泊の仲介業者「エアビーアンドビー」が総合旅行会社へと変わっていく。住宅宿泊事業法案(民泊新法)が3月10日に閣議決定された。民泊が年間180日を上限に解禁されるが、同社は民泊だけでなく、体験イベントや食事、フライトやレンタカー予約も行える「トリップ」という新たなサービスを開始する。

 マッチングビジネスが活況を呈しているなかで、旅行も主戦場に躍り出た感がある。

 これは、既存の旅行会社やオンライン旅行会社(OTA)にとっても脅威である。

 かつては、旅行する際に、旅先のホテルや旅館は、旅行会社に予約したり、旅行会社が企画したツアーに参加したりするのが主流だった。

 その後、OTAの台頭によって、個人がパソコンやスマートフォンで自分の行きたいホテルや旅館を予約することが増えた。そしてこれからは、個人がホテルや旅館を含むあらゆる宿泊形態の施設を、自由に選ぶ時代が訪れる。すでにエアビーアンドビーのサイトでもホテルや旅館が、個人の所有する部屋と同列に提供されており、「旅先でホテルや旅館に泊まるのも選択肢の1つ」という位置づけである。

 民泊だけでなく、通訳案内士の制度も規制緩和によって業務独占が廃止される。「通訳案内士」という名称は無資格者が名乗れないが、誰でも有償でガイドができるようになる。また、高齢者が運転する自動車事故が多発するなか、ライドシェアサービスも、高齢者の移動手段の補完的役割として、過疎地域から浸透していくだろう。

 普段使われていないモノや、サービスを、インターネットを通じて個人や企業間でやりとりするシェアリングエコノミーの動きはさらに活発化していくはずだ。となれば、旅行会社やホテル、旅館など「プロ」は、今後どのようにビジネスをしていけばいいのか、もう一度見つめ直す時期がきた。

 民泊といえば、宿泊費を安く済ませたいバックパッカーなどを連想しがちであるが、富裕層をターゲットにした高価格の物件も人気という。インバウンドの拡大によって、日本の旅館も富裕層をターゲットにした高級旅館が増えているが、海外ではホテルや旅館では提供できないお城なども人気を得ている。日本もすでに、格安物件から超高級物件まで取りそろえ、長期滞在にも対応している。

 現在の旅館は、1泊2食を基本スタイルとしているが、多様化するニーズへの対応が遅れている施設もみられる。エアビーアンドビーなど民泊仲介サイトは、世界中の多くの旅行者が利用している。当然、日本人の若い世代も、国内旅行をする際に、これら民泊仲介サイトを利用することが予想される。

 宿泊だけではない。現地での体験プランも予約できるようになると、地域が一体となった魅力づくりも必要になる。着地型旅行を企画しても売れない、どう販売すればいいか分からないという声をしばしば耳にした。しかし、このマッチングビジネスが主流化するなかで、大きな変化が起こるかもしれない。旅がより個人的な好みにマッチすることが求められる時代へと、今がその変わり目なのだろうと思う。

(編集長・増田 剛)

4段階の認証マーク、“おもてなし”を見える化(経産省)

おもてなし規格認証マーク

 経済産業省は4月3日から、おもてなしの品質に4段階の認証マークを交付し、「見える化」する「おもてなし規格認証」制度を始める。消費者と事業者間の好循環を促すことで、サービス産業の生産性向上を狙う。インバウンドと国内需要の喚起も目的の1つ。品質チェック項目は全部で30項目あり、インバウンドへの取り組みを重要視している。

 「日本のおもてなし」を世界に発信することを目指す同制度。将来的には温泉協会や観光協会など地域単位の認定も導入し、観光地のおもてなし力向上に活用する考えだ。

 運営や制度管理をサービスデザイン推進協議会が行い、同協会が認定した10社が認証機関として認証業務を行う。

 認証にはチェックシートが用いられ(1)情報提供(2)設備(3)職場などの環境改善(4)業務改善(5)ツールの導入・用意(6)顧客理解・対応(7)人材育成――の7分野30項目の取り組みをいくつ実行できているかで判断される。有償認証の「紫認証(3ツ星)」が最も認証基準が高く、次いで「紺認証(2ツ星)」、「金認証(1ツ星)」と続く。

 「紅認証」は、自己診断で30項目中15項目がクリアしていれば無償で申請が可能。マークと認定書が交付される。16年8月から試験的に「紅認証」の認証を始め、現在までにサービス業や宿泊業など約1万件以上が登録している。

 「金認証」は、専門審査員が現地調査を行い、15項目以上の実施が確認できると認証される。

 「紺認証」は、人材要件も付加され、従業員のおもてなしのスキルが審査対象となる。21項目以上が実行されていることに加えて、外国人覆面調査員の調査と、専門審査委員の現地調査を経て認証される。おもてなし研修などを通じて人材育成を行っていることが必須。そのうえで、「外国語版近隣マップの用意」など9項目あるインバウンド向け項目への注力もより一層求められる。

 最上位の「紫認証」は24項目以上が実行されていることに加え、認定機関による審査・表彰を経て認証。2年に1度サービス産業生産性協議会が実施している、「日本サービス大賞」の候補企業としてノミネートされる。

「過度な規制は反発招く」、民泊新法の成立急ぐ(田村長官)

田村明比古長官

 田村明比古観光庁長官は3月15日に行った会見で、3月10日に閣議決定された「住宅宿泊事業法案」(民泊新法)について、「いざという時の治安への対応などから、法案の用意を進めてきた。健全な民泊サービスが提供されるためにも、速やかに法案を成立し、施行しなければならない」とコメントした。

 同法案の検討時、仲介事業者などから、民泊サービスの提供について「シェアリングエコノミーの観点から、借りたい人と貸したい人をマッチングしているだけ」という意見が出されたという。

 このことに対し田村長官は、「シェアリングエコノミーを普及させたいという意見を鑑みると、あまりにも過度な規制をし過ぎると、反発などの支障が生じる恐れがある」との見解を示した。

 なお、現段階では法案の成立日時に関しては未定である。