No.352 旅館の労務管理(後編) - 就業規則は働き方のルールブック

旅館の労務管理(後編)
就業規則は働き方のルールブック

 本紙で「いい旅館にしよう!」プロジェクトの対談シリーズに登場する工学博士の内藤耕氏(サービス産業革新推進機構代表理事)に、旅館の労務管理についてインタビュー取材を行った。後編の今回は、「就業規則は『働き方のルールブック』である」と内藤氏は語る。経営戦略や戦術の大事なツールとしての認識が必要であり、「経営者は社員と熱い議論を」と強調する。旅館経営者を悩ませる「手待ち時間をどうするか」といった難題にも迫る(3面に続く)。

【増田 剛】

経営戦略や戦術のツールに、経営者は社員と熱い議論を

 【前号の続き】低価格の居酒屋でさえも生ビールや枝豆を頼めばすぐに係が持って来てくれます。客単価2千―3千円の居酒屋が1品出しするフルサービスをしている一方で、2万―3万円の旅館がセルフサービス型のオペレーションをやろうとしている。これでよいのかを経営者はもっと考えなければなりません。

 

※ 詳細は本紙1518号または10月5日以降日経テレコン21でお読みいただけます。

逃避的な旅 ― 人生を変える人との出会いも

 坂口安吾の自伝的連作集「暗い青春・魔の退屈」の中にある「古都」は、安吾が東京にいることがやりきれなくなって、書きかけの長編小説の束を放り込んだトランク一つで、都落ちさながら、京都・伏見に行く場面から始まる。時はまさに宇垣内閣流産のさなかのことである。安吾は伏見にある弁当屋の2階の一室で丸一年逗留する。暗い部屋で机上の原稿に埃が積もるのを横目でみながら、近所の人たちと酒を飲み、碁を打つだけの日々を過ごす。

 薬物中毒、何度かの自殺未遂を繰り返した太宰治も、処女短編集「晩年」を刊行後、山梨県・甲府で春の日だまりのような新婚生活を過ごす。その後、目まぐるしく人生の歯車が動き出し、東京・三鷹での壮絶な死へと向かっていく。湯村温泉を舞台にした短編「美少女」は、宝石のような人生の静けさ、一瞬だけ与えられたのどかな時間の流れを感じさせる小説だ。

 伊集院静は広告制作会社を辞めた20代後半から30代半ばにかけての7年間、逗子のなぎさホテルに逗留する。支配人の厚情に守られながら、多くの読書をしたり、酒を飲み交わしたりして時を過ごすが、そこでの時間がのちの小説を執筆するうえで役立ったと語っている。

 貴種流離譚の代表格「源氏物語」は、光源氏が須磨に配流される場面がなければ成り立たない。そのくらい重要な位置を占めている。飛ぶ鳥を落とす勢いの光源氏が、政敵の娘・朧月夜との密会が見つかったことをきっかけに都から遠く離れた須磨で謹慎生活を送る。雅びな都を離れ、鄙びた須磨の田舎で絵を描いたり、淋しく海を眺め、催馬楽を歌う日々。明石に移ってから、物語に彩りを与える「明石の君」と出会う。一方、光源氏不在の間、荒れ狂う京都に、再び光源氏の復帰を求める声が高まる。都に戻った光源氏は、我が世の春を謳歌する。

 北野武監督の映画「ソナチネ」も、印象的なシーンが散りばめられている。主人公・たけしが演じるヤクザのボスは、子分を連れ、沖縄に向かう。罠であるのだが、青い海に囲まれた沖縄で、主人公たちは古びた海辺の家に住み、ぽっかりと穴の開いたような時間に砂浜で落とし穴を作ったり、紙相撲を取ったり、まるで子供のように無邪気に戯れる。やがて訪れる凄惨な死の場面と対比的に、あまりに美しいシーンだ。フライデー事件のあと、沖縄・石垣島で謹慎生活を送った時間の結晶のような作品だと思う。

 華々しい世界の住人が、世の中の流れや人間関係と切り離され、無意味に浪費する時間は、甘美である。不遇時代にある人物を、周りの地元の人たちが温かく接する挿話も欠かせない。

 昔も、今も、世の中は生きづらい。自らの意思で、あるいは思わぬ罠や、止むに止まれぬ事情で、“配流”や“左遷”されることも、何人たりとも無縁な世界ではない。腐ることなしに、運命のその場所の生活にどっぷりと浸ることで何かを掴むきっかけとなるかもしれない。そして、その時間が、のちの原動力となる可能性も大きいのだ。人生、良い時もあれば、悪い時もある。人生と旅は似ている。好奇心に溢れ、前向きな旅ばかりではない。心が折れそうなときの逃避的な旅もある。接点となる旅先の土地や人との出会いが、やがて1人の人間の人生を変えたり、一つの小さな物語として結実することもあるのだ。

(編集長・増田 剛) 

<湯西川・川俣・奥鬼怒温泉>浅草で秋の観光PR ”大根ツリ―”も登場 

 栃木県の「湯西川・川俣・奥鬼怒温泉観光協会」は9月26日、東武浅草駅前(東京都台東区)にて秋の観光PRイベントを行った。

 当日は観光パンフレットに合わせて、秋に旬を迎える高原大根1200本も無料配布。隅田川を挟み東京スカイツリーを望む東武浅草駅前には、高原大根で作られた“大根ツリ―”も登場し、観光客や地元住民らでにぎわった。

 湯西川温泉旅館組合の山城晃一理事長(上屋敷平の高房)は、「紅葉が見頃を迎える湯西川・川俣・奥鬼怒温泉エリアにぜひお越しいただければ」とアピールする。

「山梨ジュエリーミュージアム」9月28日オープン

 山梨県の地場産業である宝飾産業を県内外に向けて広く発信する「山梨ジュエリーミュージアム」が9月28日、やまなしプラザ1階(甲府市丸の内)にオープンする。

ミュージアム内では山梨県が世界に誇るジュエリー産業を教育、また美的見地から展示。地元職人によるジュエリーの制作実演、デザイナーなどによる体験事業も予定し、江戸時代から継承される山梨のジュエリーの魅力を発信する。

開館時間は午前10時から午後6時まで(火曜休館)。入館料無料。

なお9月29日には開館を記念して、山梨県出身のプロダクトデザイナー深澤直人氏による記念講演を行う。<

特製バスの運行開始、はとバス1台をラッピング、(株)全旅

出発式のようす

 株式会社全旅(池田孝昭社長)は、はとバス(金子正一郎社長)と連携した、全旅特製のラッピングバス(45席+補助席、ガイド付き)を9月から来年8月末までの1年間運行する。9月1日、出発式を東京都港区の日の出桟橋で行った。

(株)全旅・池田社長

 席上、あいさつに立った池田社長は「はとバスの協力で特別なバスとして運行できるようになった。一般消費者にも㈱全旅のクーポン会員の旅行会社はこんなこともできる、とアピールできるのではないか。業務拡大に利用してほしい」と述べた。また、全国旅行業協会(ANTA)の二階俊博会長も駆けつけ「私が全旅協の会長になって20年。このような試みは初めてだ。中小の旅行会社が大手に太刀打ちするためにはこのような新しい展開を日々していかなければならない。今後もさまざまな企画に期待する」と語った。最後に、はとバスを代表して齊藤博章観光バス事業本部副本部長兼定期観光部長が「当社でもこのようなコラボは初めてで、㈱全旅が進めている地旅にも貢献できると考えている。クーポン会員の方に広く利用していただきたい」と述べた。

ANTA二階会長

 ラッピングバスは全旅クーポン会員のバス手配の利便性と収益向上の支援を目的としたもので、バスの横と後方部分に全旅のロゴマークと「全旅ツアー」「地旅」の文字を掲げる。年間を通じて1台を確保し、バス料金は全旅クーポンで精算できる。申込みは先着順。

 配車場所は都内と横浜。全旅の日野俊英執行役員は「ラッピングバスは顧客へのインパクトがある」と利用を呼び掛けるとともに「9、10月の予約状況も順調。単に都内観光だけではなく、都内観光プラス近県の温泉などの宿泊を絡めた予約が多い」と話す。

 問い合わせ=全旅旅行事業部 電話:03(5250)2033。

乳がんの認識高める、車内でピンクお宿冊子配布(琴平バス)

車内で無料配布をしている
「ピンクリボンのお宿」冊子

 香川県の琴平を起点に四国エリアなどでバス・タクシー事業を展開する琴平バス(コトバス)は現在、高速乗合バスの車内で「ピンクリボンのお宿」冊子を無料配布している。冊子を導入した経緯について西川晋平取締役は、「ピンクリボンのお宿ネットワークの取り組みが1人でも多くの方に伝われば、乳がんに対する社会認識を高めるだけでなく、乳がんの方やご家族、友人も旅に出かけてみようと思う人が増えるかもしれない。その支援が少しでもできればと思い冊子の導入を決めました」と話した。

 

 

琴平バス(コトバス)

 同社の乗合バスは、女性客の隣の席は女性になるように配慮し、女性が1人や奇数グループでも安心して予約ができるシステムを提供している。また、同一予約グループ内に男性もいる場合は、同一グループでの隣席配置が優先されるなど、利用客にとってうれしいサービスが好評を博している。年間利用者数は約5―6万人で、そのうちの7割は女性客だという。

 同社は、四国から東京・名古屋へと毎日高速乗合バスを運行し、7月31日からは香川県内の乗降場所を7カ所から11カ所に増設し、サービス向上に努めている。着地型旅行ツアーも豊富に取りそろえ、四国八十八カ所を巡る「お遍路ツアー」では、14日間で88霊場を巡る全周プランや、1年間をかけて毎月日帰りで霊場を巡るプランなどを用意。バス・タクシー・歩き遍路とさまざまな商品でニーズに応えている。

 西川取締役は、「来年、四国八十八カ所は開創1200年を迎える。とくに首都圏の方の『お遍路』需要は少ないので、この機会に訪れてほしい」と語った。

旅行費増額は22%、14年の海旅先、近場傾向(トリップアドバイザー)

 世界最大の旅行口コミサイト・トリップアドバイザーはこのほど、全世界の宿泊事業者と旅行者を対象にした旅行市場動向調査の結果を発表した。2014年の旅行費用を増額する旅行者は世界平均の39%に対し、日本は22%で、56%が据え置くと回答した。

 調査は13年6―7月に、オンラインで実施。調査回答者は、宿泊事業者1万469人と、オンラインで旅行予約し、過去1年間に1回以上旅行した成人消費者1万9692人。うち、日本人は消費者が1112人で、宿泊事業者が133人。

 日本人旅行者は世界平均と比べて、旅行費用を増額する傾向は低かったが、日本人旅行者の79%が旅行費用捻出のために他の娯楽を犠牲にしてもよいと考えていることが分かった。我慢する娯楽は「夜遊び」が38%、「外食」が36%、「服などのショッピング」が34%、「食料品」が22%、「たばこ」が14%。性別でみると、男性は外出を控え、女性はショッピングを我慢する傾向が強い。また日本は、旅行のために借金をする消費者が世界で最も多く、旅行代金をクレジットカードで支払うという回答者は世界の44%に対し、日本は70%を占めた。

 14年の経済を楽観視する旅行者は世界平均32%に対し、日本は22%。また、14年に旅行回数を増やすと答えた日本人旅行者は短期旅行で9%、長期旅行で12%となった。

 14年に計画中の日本人旅行者の海外旅行先は、アジアが39%と最も人気が高く、近場傾向がうかがえる。一方、15年ではアジアが依然として1位ながら、30%と減少し、欧州が22%(14年は19%)、北米が16%(14年は14%)など、遠方への旅が増加傾向にある。

 日本の宿泊業者への調査では、宿泊客の78%が日本人旅行者で、外国人宿泊客はわずか22%。世界平均である51%と大きく差が開いた。しかし、日本の宿泊事業者の54%がアジア地域の宿泊客の増加を感じており、今後のさらなる増加が予想される。

 日本の宿泊事業者のなかで、来年の事業利益に対して楽観的なのは31%に留まり、世界的な平均値67%を大幅に下回った。料金値上げを計画している日本のホテル経営者は47%。14年の増資の対象は、31%が「スタッフのトレーニング」、30%が「小規模な改築」、29%が「マーケティングと広告」を挙げた。

朝ごはんフェス2013、下呂温泉・小川屋が日本一(楽天トラベル)

上位3施設と審査員

 楽天トラベルは9月3日、東京都内で「朝ごはんフェスティバル2013」頂上決戦を開き、日本一の朝ごはんに「下呂温泉 和みの畳風呂物語の宿 小川屋」が輝いた。

 優勝した小川屋の朝ごはんは、地元産のトマトとハチミツをブレンドした「健康トマトジュース」、「野点(煮物、焼き魚、出汁巻きなど)」、下呂市小坂町の天然炭酸泉を使用した「湯葉と地野菜の7色しゃぶ」。地元食材を多く取り入れ、見た目は豪華ながらもカロリーは約600に抑えるなど、さまざまな工夫がなされていた。

 審査員の日本料理人・全日本調理師協会名誉会長の神田川俊郎氏は、「地元の素材をうまく生かした本当においしい朝ごはん。薄めの味付けも絶妙で素晴らしい逸品」と評価した。小川屋の川向和美料理長は、「お客様にゆっくりと目覚めていただけるよう健康的でやさしい味つけ、飛騨ならではの味わいを常に心掛け、これからも驕らず朝食を作っていきたい」と語った。

 楽天トラベルの山本考伸社長は、最後の総評で「朝ごはんは旅行の目的になるものだと確信した」と話し、宿泊施設の朝ごはん人気のさらなる広がりを予見した。

 同フェスティバルは、今年で4回目で、ホテルや旅館など約800施設が参加。当日は「味覚」、美しさ・楽しさ・バランス・色合いの「表現力」、料理内容に創意工夫があるかの「独創性」、栄養バランスの「朝ごはんらしさ」の4項目で実食審査が行われた。

 準優勝は「ホテル ラ・スイート神戸ハーバーランド」、3位は「那須温泉 ホテルエピナール那須」、審査員特別賞は「箱根湯本温泉 箱根 花紋」、「ヒルトン東京ベイ」、「ホテル阪急インターナショナル」。

タイと中国の訪日市場分析、JNTO海外事務所が講演

会員約300人へ市場分析を紹介した

BtoCはメディア広報を  タイ
20―40代女性へ情報発信  中国

 日本政府観光局(JNTO、松山良一理事長)は9月5日、東京都内のホテルでJNTO海外事務所長によるJNTO賛助団体と会員を対象にした個別相談会と、訪日市場についての講演会を行った。ビザ緩和の影響もあり7月の訪日客数が前年同月比84・7%増と急成長しているタイと、尖閣問題以降、前年同月比で大きく落ち込むが、絶対数は多く韓国・台湾に次ぐ市場である中国の市場分析について紹介する。
【伊集院 悟】

〈タイ〉
タイは、訪日外国人数の国別順位で、韓国・台湾・中国・香港・米国の5大市場に次ぐ市場。ビジット・ジャパン(VJ)事業が始まった2003年には国別順位12位だったが、05年に重点市場入りし、10年には英国を抜いて7位、12年にはオーストラリアを抜いて6位となり、年間の訪日外客数は26万859人となった。

 タイの海外旅行市場は572万人(12年)で、訪日ターゲット層である月収6万バーツ(約19万円)以上の富裕層が100―150万人、月収4―6万バーツの中間層が250―400万人ほどいる。月収4万バーツは、タイの全国平均の約2倍にあたる。1回の訪日旅行での消費額平均は1人20・8万円。東・東南アジアで中国に次ぐ多さだ。

 日本の印象は、「最も近い先進国」で、一生に一度は行きたい憧れの国。バンコク事務所の天野泉次長が「ドラえもんの影響が大きい」と話す通り、アニメなどを通じて子供のころから日本に馴染みが深い。外国料理のなかでは日本食が一番人気で、ショッピングモールのレストランは約半分が日本食屋。定番のすし、刺身、とんかつなどに加え、ぶどう、りんご、いちごなどの果物の人気も高く、訪日では果物狩りも人気という。

 タイには四季がないので、訪日観光で体験したいことには、富士山、桜、雪、紅葉などがあがる。温泉は、畳、浴衣とセットで日本的なものとして人気。温泉に実際に入るのはツアー参加者の約半数くらいだが、入浴者の満足度は高く、リピーターになりやすい。また、新幹線やテーマパークなどは「先進国らしさの象徴」として人気という。

 主なツアーの行先は、大阪―東京のゴールデンルートが全体の約5割。4泊6日で5―6万バーツが平均的だ。東京と富士山のセットも人気で、3泊5日で4―5万バーツほど。そのほか、昨年直行便が就航した北海道も人気が高まり、高山、白川郷、アルペンルート、沖縄なども人気。

 タイの旅行シーズンは、4月中旬のタイ正月を挟む3月下旬―5月中旬の春休みと、10月上旬―下旬の秋休みがピーク。ただし、14年にはASEAN域内で学校休暇の統一があり、休暇時期が変動する。

 旅行の同伴者は、家族が5割、友人のグループが3割、残り2割が恋人や夫婦。旅行形態は団体とFITが1対1から、徐々にFITへシフトしつつある。初訪日とリピーターの率も5対5から4対6へと、リピーターが徐々に増加。天野次長は「リピーターが増えると、FIT化がより進んでいく」とした。また、これまでビザ取得の関係で訪日パッケージ商品をオンラインで販売することはなかったが、天野次長は「ビザ緩和の影響で、今後は状況が大きく変わると思う」と語った。

 タイでのプロモーションについては、セミナーや商談会は6―7月と11―1月の時期が最適。一方、B to Cでは、広告掲載よりメディア広報事業を勧める。「日本に来たいメディアは多いので、日本行きの経費を持つことで記事を書いてもらうのが良い」(天野次長)。ただし、複数メディアを集めて同一行程を回るプレスツアーのようなものだと、記事の扱いが小さくなるため、「1社に絞り、何を撮りたいかなど打ち合わせをし、行程を一緒に作っていくのがよい」と勧めた。

〈中国〉
中国の海外旅行市場は高成長を維持。2012年の渡航先順位では韓国が300万人でトップ。次いで、台湾、タイ、日本、カンボジアと続く。ビザが必要ないタイをはじめ、東南アジアへの渡航が多い。日本へは196万人(在日中国人をカウントしないJNTO統計では143万人)で、依然として人気渡航先の1つ。尖閣問題以降、統計上の前年対比では大きく落ち込むが、絶対数が多く、訪日旅行者数は韓国、台湾に次ぐ第3位の市場だ。他国に比べ、1人当たりの観光消費額は圧倒的に多い。

 訪日中国人の都市別構成比をみると、上海市が22・8%、広東省が14・1%、北京市が11・5%と、3大都市で半数近くを占める。北京事務所の伊地知英己所長は「他都市の今後の開拓に期待がかかる」と話す。

 中国人観光客の性別・年齢別構成をみると、女性が58・2%で男性が41・8%。うち、女性20―40代で約48%と圧倒的なシェアを誇る。「ビジネスや公務を入れると男性の割合が増えるが、純粋な観光客は女性が多い。20―40代の女性へ向けた情報発信に力を入れるのが効果的」と説明した。

 訪日回数をみると、1回目の人が70・6%。「約7割が初めての訪日観光旅行なので、訪日観光市場としてはまだ発展段階。リピーターを増やせば、さらに高い将来性が見込まれる」(伊地知所長)。

 訪日旅行のピークシーズンは、1―2月の春節、3―4月の桜の時期、7―8月の夏休み、10月の国慶節。そのほかにも、秋の紅葉時期の観光もあり、旅行業者からは「日本観光にオフシーズンはない」という声も聞くという。

 目的地は、東京―富士山―京都・大阪のゴールデンルートが依然として団体観光に人気。また、リピーターは、東京などの1都市滞在型が増えているが、北海道、沖縄なども知名度を上げ人気となっている。

 中国市場の最新動向について、「尖閣問題以降、団体は回復が遅いが、FITはすでに戻って来ている」と報告。北京市などでは「ほぼ昨年並みまで回復」という旅行会社や航空会社の実感を紹介した。「訪日旅行をしにくいムードが残るなか、訪日してくれる人は、真に日本を好きな人」と話し、日中関係改善後は一気に訪日旅行が増える可能性を示唆した。

 また、10月1日に施行される中国初の観光関係の総合的な法律「旅遊法」(観光法)について紹介。「特定の店舗を指定した買い物」や「オプショナルツアーを前提とした日程」によるツアー募集の原則禁止や、土産物店からリベートを得ることの禁止、海外向けパッケージツアーの最少催行人員による開催成否を30日前までに決定する――などの規定ができる。これらにより、中国の各旅行会社はツアー単価の引き上げを検討。団体向けより個人向けの対応に力を入れていく方向性だという。

 さらに、リベートの禁止により不良業者や不良ツアーの排除に加えて、大幅なリベートに支えられた東南アジアや韓国へのツアー単価が大きく上昇し、日本ツアーとの価格差が縮まってくるとみる。伊地知所長は「良質な訪日ツアー商品を中国側に提案する絶好のチャンスになるのではないか」と語った。 

災害ボランティア 今も継続

石塚サン・トラベル社長 綿引 薫氏

6才から80代まで延べ1万7千人参加、人の力ってすごい

 2011年3月11日に発生した東日本大震災から2年6カ月が過ぎた。今回の震災で注目を集めたのが全国各地から集まった老若男女を問わない“災害ボランティア”の存在だ。自ら旅費を捻出してツアーに参加し、被災地の瓦礫撤去や清掃に汗を流した。茨城県水戸市の石塚サン・トラベルは震災直後から現在まで災害ボランティアバスを運行し、延べ1万7千人のボランティアを現地に送り込んだ。同社社長の綿引薫氏に、災害ボランティアの活動について聞いた。
【増田 剛】

 石塚サン・トラベルは東日本大震災の直後から、宮城県石巻市や東松島市を中心に災害ボランティアバスをスタートさせた。

 きっかけは、同社社長の綿引氏が、ひたちなか青年会議所で活動を行っていた時代から、石巻青年会議所と姉妹青年会議所の関係にあったことがベースにある。

 震災で茨城県も大きな被害を受けた。水戸市内も停電していたため、石巻の甚大な津波被害の情報も入らなかったが、数日後、大変な状況だということが分かった。石巻青年会議所のメンバーとは連絡がまったく取れず、10日ほど経って何人かのメンバーと連絡が取れるようになり、ようやく現地に行った。

 何度も訪れていた石巻だったが、以前の面影はなかった。当時の仲間たちが家も会社も流された状況にありながら、「でも、自分たちが生まれ育ったまちだから……」と色々な活動を始めていたことに胸を打たれた。そして、何よりもショックだったのが、青年会議所時代から一番お世話になっていた先輩が、奥さんと一緒に亡くなってしまっていたことだった。

 被災地の凄惨な状況を目の当たりにした綿引氏は「とにかく、人が必要なのだと感覚で分かった」と話す。「できるだけ多くの人を現地に運ぶことが今一番必要だろうなと思いました」。

 「1人を受け入れるのも、100人を受け入れるのも手間は同じ」との仲間の言葉がきっかけとなり、自社グループのバスで1人でも多くの人を送ることを決めた。茨城県も震災から2週間ほど経って地震の被害も片付き始めていた。茨城県の社会福祉協議会と、ボランティア保険などの相談をしているうちに「一緒にバスを動かそう」と協力体制ができた。

 綿引氏が経営する石塚サン・トラベルも仕事がまったくなくなっていたので、「とにかくバスの経費(人件費と燃料費)が賄えればいい」と思い、参加費1人4千円でやろうと決めた。すると、社会福祉協議会から茨城県が1人当たり1千円を負担すると申し入れてくれたため、お弁当代や高速代などを差し引き赤字にならないギリギリの1人3千円で、11年4月29日からバスの運行を始めた。

災害ボランティアバス

 このボランティアツアーをNHKのニュース番組が真っ先に取り上げた。すると、全国から申込みが殺到。ゴールデンウイーク中に1千人以上が現地に行った。県外からの申込みが7割を超えていた。「最初、九州や沖縄など全国から申込みが殺到したとき、インターネットの申込みだったので、本当にこんなに多くの人が来るのだろうかと半信半疑だった」という。

 以来、2年半が経過した現在も毎週末、ボランティアバスは継続して運行している。13年9月現在、参加者は延べ1万7千人ほどになった。基本的に日帰りで、参加者は水戸からバスに乗って現地に行く。

 遠方からの参加者はネットカフェなどで仮眠して、水戸駅を午前4時に出発し、現地に着くのは午前9時前後。午後3時ごろまで活動し、水戸駅に夜9時ごろ到着する。東京に帰る人は最終の特急電車に飛び乗る状況だ。水戸から現地までは参加費3千円で行けるが、沖縄や関西など遠方からの参加者は水戸までの交通費だけでもかなりの額になる。

 現地に到着すると、当初は宮城県の災害ボランティアセンターが人の配置などを行っていたが、現在は東松島市の登録となっており、宮城県の土木事務所のサポートチームにもなっている。

造園に取り組む高校生

 参加者は6歳の子供から80代までありとあらゆる年代が参加している。高校生や大学生などを中心に、部活や学校単位で参加する若い世代が全体の約4割を占める。さまざまな国籍の外国人の参加も多かった。イスラム教徒の外国人は、断食期間中にも関わらず、水も飲まずに一生懸命瓦礫の撤去などを手伝っている姿が印象的だったという。リピーターが全体の3分の1を占めるのも特徴だ。

 「私も毎週現地に行っていますが、1週間でがらっと景色が変わっていくので、変わりつつある被災地を見届けようという人も多いのだと思います」と綿引氏は分析する。

被災地に満開に咲いた芝桜

思いやりの心育成プロジェクト

 今夏は草刈りや花植えが中心だった。被害を受けた仙石線は高台に移設して2015年度の復旧を目指している。住宅も学校も高台移転する計画だ。地元の人はまだ仮設住宅で生活する人も多く、草刈りまで手が回らない。放っておくとすぐに雑草で覆われてしまう。「花いっぱい!」プロジェクトは、草を刈り、菜の花や芝桜でまちを埋め尽くそうとスタートした。今年、芝桜がたくさん咲き、地元の人がとても喜んでくれたという。また、土嚢袋に子供たちがメッセージを書く「思いやりの心育成プロジェクト」なども、色々な人の協力を得ながら取り組んでいる。

「ボランティアに意義を見出そうとする人は潜在的に相当にいると思います。正直なところ驚きました」と綿引氏は言う。「阪神淡路大震災のときにも災害ボランティアが活躍されていましたが、東日本大震災を契機に、災害ボランティアは日本に根差していくと思う」と語る。綿引氏が実施する災害ボランティアバスも次世代を担う子供たちや、若い世代に伝えていこうと、教育ツアーのような意味合いになっている。そのせいもあって子供たちの参加が多い。

 「子供たちが被災地をテレビで見るのと、実際に現地で自分の足で立って呼吸をしたり、風を感じたりするのとは全然違う。子供たちは色々なことを考えると思う。1人でも多くの人に経験してもらい、次に何かあったときに裾野が広がっていけばいいのかなと思っています」と語る。

 綿引氏自身も1995年の阪神淡路大震災と、1997年のナホトカ号の重油流出事故のときに青年会議所活動で色々なことを学んだ。そして、今回の震災では「青年会議所の現役や、OBのネットワークが一番機能したかもしれません」と語る。行政の補完ができたという感想を持っている。

 実際に現地を毎週訪れる綿引氏。現地の人たちのボランティアに対する反応はどのようなものなのだろうか。

 「東北の冬は厳しい。被災者は仮設住宅などからあまり外に出なくなるのですが、『1週間我慢すれば、またバスに乗ってあの人たち(ボランティア)が来てくれる。それを楽しみに生きているんだ』と言ってくれる人もたくさんいました。被災地の方々は『忘れ去られることが一番つらい』とよく言われる。とにかく毎週行って、姿を見せて『あぁ、まだ来てくれているんだ』と感じてもらえればいいのかなと思います」と話す。「ただ、大事なことは、所詮、私たちは他所者なので、ちょっとした手伝いしかできません。しかし、逆に特定の地域や、住民たちとズブズブの関係に入り込んでしまうと、コミュニティーを壊してしまう恐れがある」と綿引氏は強調する。「主体はあくまで被災地の方々で、地元の人たちが自分たちで考えて動き出して、はじめて復興が成し遂げられると思うのです。私たちは、まだ地元の方々が手の回らない草取りなど、ちょっとしたお手伝いをさせていただいていればいいのかなと思います。『さわやかな風』のような存在であろうと考えています」と基本姿勢を貫く。

海岸の清掃

 美しかった野蒜海岸も津波のあとは、一面瓦礫で覆われていたが、1年以上かけて片付けていくと、震災から一度も咲かなかった浜昼顔が、今年初めて綺麗に咲いたという。

 「もう駄目だと思ったものが、ボランティアのお陰で再生したり、もう咲かないと思われた花も咲いた。自分たちも頑張っていこうと思える」と被災者に何度も言われた。「こんなものは片付かないだろうと思った瓦礫の山も綺麗になり、やはり人の力ってすごいなと思いました。花の力もすごいですね。地元の人は『元気になる』と皆喜んでいました。ボランティアの人に手を合わせられる被災者の方も数多く目にしました。私たちは大きなことはできませんが、被災者の方々に寄り添っていればいいのかなと思います」。

 ボランティアに参加できない人たちも被災地を見ることは大事だと綿引氏は考える。昨年の秋から被災地復興支援ツアーも別枠で実施している。現地では再開した店も増え、経済を動かすために、これからは災害ボランティアバスの延長線上として1人でも多くの観光客を送りたいと思っている。
地域の再生も少しずつ進んでいる。現在は仮設住宅からの引っ越しの手伝いも取り組み始めた。
「子供たちが自分が植えた芝桜やアーモンドの木が育っていくのを見届け、将来、自分の子供を連れて見に行ったとき、当時子供だった地元の人たちも育ってお互いにそこで語り合うのもいいのではないでしょうか」と遠い未来を思い描く。
綿引氏は最初は作業しながら涙が止まらなかったが、1年が経ち、2年目からもう泣くのはやめようと思い、3年目に入ったときは、もう同情することをやめたと言う。「自ら頑張って立ち上がろうとする人がたくさんいるので、いつまでも同情モードでいたらダメな気がしたのです。頑張って立ち上がろうとする人たちの応援をしていきたいと思っています。おじいちゃん、おばあちゃんも元気で、70歳を超えるおじいさんが孫を迎えるために『もう一回家を建てるんだ』と言っている人もいます。私も、地元の人から『もう大丈夫』と言われるまで行くつもりですが、そう言われたときに、先輩の墓の前で酒を飲むのが夢なのです」と笑顔になる。