常磐自動車道の常磐富岡インターチェンジ(IC)―浪江IC間14・3キロが3月1日に開通する。今回の開通で同自動車道は全線開通し、いわき市内から仙台市内までの所要時間は約30分短縮され、約2時間で結ばれる。
首都圏と仙台圏とを結ぶ常磐道と東北道の距離はほぼ同じ。ダブルネットワークの完成で、事故や災害、異常気象時の代替ルートとしての機能も期待できる。
福島県内では震災以降、浜通りの通行は内陸部への迂回を余儀なくされていたが、全線開通で、相馬―いわき間が約1時間短縮される。
常磐自動車道の常磐富岡インターチェンジ(IC)―浪江IC間14・3キロが3月1日に開通する。今回の開通で同自動車道は全線開通し、いわき市内から仙台市内までの所要時間は約30分短縮され、約2時間で結ばれる。
首都圏と仙台圏とを結ぶ常磐道と東北道の距離はほぼ同じ。ダブルネットワークの完成で、事故や災害、異常気象時の代替ルートとしての機能も期待できる。
福島県内では震災以降、浜通りの通行は内陸部への迂回を余儀なくされていたが、全線開通で、相馬―いわき間が約1時間短縮される。

「常に前向き」の姿勢で飛躍
1964年に「北日本ツーリスト・ビューロー」として創業した「ビッグホリデー」(岩崎安利社長)は2014年4月に、創業50周年を迎えた。岩崎社長の持ち前の行動力で旅行需要の変化に柔軟に対応し、獲得が困難とされた会社の代理店契約をはじめ、これまでに数々の変革に取り組んできた。今回は岩崎社長と本紙の石井貞德社長が対談形式で、岩崎社長がビッグホリデーと共に歩んできた50年とこれからのビッグホリデーの飛躍について語り合った。
◇
各グループを大きな「森」へ ―― 岩崎
常識に捉われず挑戦続ける ―― 石井

■石井:創業50周年おめでとうございます。まずは、会社と歩んできた50年について教えてください。
■岩崎:1964年の「北日本ツーリスト・ビューロー」の創業から、ふと気付いたら50年が過ぎていた、というのが正直な感想です。珍しいことかもしれないですが、当社は「東京ブルー観光」「ビッグホリデー」と社名を変えてきました。時代の流れに合わせて社名を変更しており、現在でいうコーポレートアイデンティティーのような感覚です。
「北日本ツーリスト・ビューロー」の時代は「レクリエーション」、つまり余暇活動が注目された時期でした。それまで遊びが少なかった冬にスキーやスケートが新たなレクリエーションとして脚光を浴び、とくに若者の間で流行ってきたころです。そのときに、「これからはレクリエーションの観光ブームが到来する」と感じ、スキーバスや慰安旅行を主に扱うようになりました。
メインで取り扱っていたスキー旅行はシーズンが年間約100日しかなかったので、四季を通した旅行需要についても考える必要がでてきました。そこでバス観光に注目し、69年にブルーバス(現・千葉中央バス)と販売連携したのです。社名もバス会社の知名度を利用して「東京ブルー観光」に変更し、スキーバスだけでなく関東中心の観光バスツアーを扱う会社にしました。この時期に大阪万博も開催され、大きなバス需要を生みました。これは我われの商品を取り扱ってくれる私鉄が一気に増え、販売網が確立した時期でもあります。
やがて飛行機旅行や家族旅行が中心の時代になると、「このままバス旅行だけで旅行会社を経営していてもよいのか」と疑問を抱くようになりました。当時の国鉄は大手旅行会社の独壇場で敷居が高かったので、飛行機に目を向けました。全日本空輸(ANA)からなんとか指定代理店契約の許可を得ることができ、本格的な国内のツアーを扱うようになりました。同時に商品のイメージに合うように「ビッグホリデー」とブランド名を付け、それがそのまま社名となり、現在につながっているのです。
■石井:まさに「先見の明」で、観光の流れを見てきたのですね。そのような目まぐるしい変化のなかで、苦労話などございましたら教えてください。
■岩崎:大変な時期はありましたが、それを苦労と考えたことはありません。パンフレットを置いてもらうことすら難しかった営業時代を私自身が経験しており、一つひとつの苦労を考えていると仕事に手がつかないので、常に前向きに挑戦を続けてきました。
たとえば私の営業時代は、自分の会社よりも大きな旅行会社にパンフレットを置いてもらうことは常識では考えられないことでした。しかしそこで私は、「大手だから無理だろう」とは思いません。「大手だからパンフレットを置けば商品が売れる」と考えて大手旅行会社に飛び込んだのです。実際に営業してみると、案外許可が取れるもので、それでツアーが売れたこともありました。この前向きな姿勢が、苦労を苦労と感じさせず、むしろ自分の才能に変えてくれたのではないかと思っています。
■石井:常識に捉われずに挑戦を続けていく姿勢が、これまでのお話にあった社名の変更や新ジャンルへの挑戦につながっていますね。一方で、そんなに前向きに考えていても「大変な時期」があったのでしょうか。
■岩崎:77年にANAとの代理店販売契約を結んだときのことですね。その当時は東京ブルー観光時代で、会社は板橋区の常盤台にありました。「代理店は池袋にあればいい」という理由で、当時新宿の京王プラザホテルにあったANAの新宿営業所の所長に契約を断られ、「それだけの理由で販売代理店になれないとはいかがなものだろう」とつい感情的になって「航空会社はほかにもある」と啖呵を切ってしまいました。我われのツアー商品を取り扱ってもらっていた京王観光の先輩社員にそのことを話すと「都内にバス会社は40数社あるかもしれないが、航空会社は全国に3社しかない。3回喧嘩したら終わりだよ」と返されました。そう言われると、妙に納得してしまって、その先輩社員と一緒に謝りに行きました。所長には「1人で来られなくなったら、2人で来るようになったか」とからかわれ、お互いに笑い合ったのを覚えています。それから一気に心の距離が縮み、代理店契約を結ぶことができたのです。
代理店になったあとも大変でした。常盤台でスキーバスをやっているような小さな旅行会社では大手旅行会社の販売力に敵うはずがなかったのです。そこで全国旅行業協会(ANTA)の東京支部を説得し、協力してANAとの販売契約を結ぶことを決めました。その当時は、飛行機に乗ることが一般化されていなかったので、ANTAの仲間も航空券を商材として考えていなかった時代です。私自身、当時はANA以外の航空会社のことを知っていたわけではなく、むしろ八丈島にも日本航空が飛んでいると思っていたくらいです。京王観光の先輩社員には「お前の会社は国内だろう。日本航空は八丈島どころか四国も飛んでいないよ」と言われました。
とにかく、そんな我われが大同団結し、販売契約を結ぶために存在意義をアピールする必要があったのです。そのために、毎月の売上を旅行会社別に出し、ANAに提出しました。協力社数も50社が100社、200社と増え、さすがにANA側も「旅行業界の人が集まれば大きいものになる」と理解してくださる方々が現れたのです。「航空券の再委託は定款に無い」と言われ続けてきましたが、結果として航空券とANAスカイホリデーの販売協定が結ばれただけでなく、全日空パートナーズショップ(エアグループ)という全日空代理店の契約ができる仕組みを形成することができたことには、感慨深いものがあります。
コンピューターが出始めのころにも、コンビニエンスストアで旅行商品やチケット販売を始めるにあたり、いまだかつてないことで制度化されていなかったので当時の運輸省と一悶着ありました。新しいことを始めるには常に壁が立ちふさがったものでした。
■石井:会社が前に進むためには新しいことへの挑戦が続いたわけですね。では、岩崎社長が驀進(ばくしん)することになった旅行業ですが、50年前に旅行業と出会ったきっかけはなんだったのでしょうか。
■岩崎:実は旅行会社を立ち上げることになるとはまったく思っていませんでした。中学校卒業後に職工として働きはじめ、幼少期から好きだった柔道に打ち込んでいたので、そのうち警察に入り、柔道の指導員になろうと考えていました。通っていた道場の先生がちょうど指導員で、「高校さえ卒業すれば面倒を見る」と言っていただいたので、定時制の高校に通い始めました。しかし体調を崩して医者にかかった際に、若年性の高血圧であることを指摘されました。激しい運動を続ければ早死にすると注意され、柔道の道は断念するしかなかったのです。
その後、定時制高校に通いながらでもできる仕事を探していたときに、たまたま新聞で見つけたのが、完全歩合制で勤務時間に余裕がある「東光観光」で、これが旅行業との出会いです。その当時、旅行会社は日本交通公社しかないと思っていたほど旅行会社のことを知らず、「東光観光」もバス会社の部類だと思っていました。
会社に入ってからは、先輩社員が勤務時間にも関わらず、喫茶店と映画館に繰り返し入り浸る姿を見てうんざりしていました。「このままでは自分もダメになる」と思い、一生懸命に飛び込み営業をして過ごしたことは今でも身に沁みついており、パンフレット配りは今でも当社社員に負けないつもりです。そういった努力が功を奏したのか、あるときスキー旅行を獲得し成功を収めると、仕事に自信がついてきました。そして高校卒業と同時に独立し、64年4月に北日本ツーリスト・ビューローを創業したのです。東光観光入社からわずか2年で20歳の時でした。これがビッグホリデーの始まりです。
■石井:たまたま入った旅行会社が運命の相手だったというわけでなく、努力を重ねて自分のものにした、ということですね。それでは現在に話を戻して、取り組んでいる事業について教えてください。
■岩崎:純粋な観光旅行だけではなく、いろいろなニーズを旅行に結び付けようと、さまざまな取り組みをしています。たとえば、日本の小学校教育に英語が取り入れられてから、先生方から英語ができないとの声を聞くことが増えました。そこでマレーシアの大学と連携し、2014年度の夏から静岡県浜松市の教育委員会と、英語研修をマレーシアで開きました。英語研修をするだけでなく、マレーシアの教育現場を知る機会にもなり、参加者からご好評をいただいております。
■石井:では、これまでの50年で培ってきた経験を、今後はどのように活かしていきますか。
■岩崎:まずは、ウェブ事業を拡大していきます。これは次の50年につながる橋頭堡になると思っています。そのために、今後3年ほどをかけて、ウェブ単体で1つの柱として成り立つよう、足場を固めていきます。
また、現在活気づいているインバウンドについても取り組んでいきます。2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、「インバウンドにも大きな比重を置いた国内旅行会社」に進化させていきたいですね。もともと国内旅行に強い会社なので、インバウンド用の国内旅行を催行することは難しいことではありません。最近はインバウンドの取り扱いも熟知してきたので、あとは勘をつかむだけだと思っています。
■石井:これまでは時代の流れに合わせて会社の体制を変えてこられたわけですが、今後はグループの体制について変革などを計画しているのでしょうか。
■岩崎:グループ会社のメリットをもう一度考えていきます。私は常に「木から森へ」を理想としてグループ全体に提唱しています。グループ会社一つひとつは1本の木ですが、集まれば大きな森になります。当グループには十分に一本立ちできる会社もあるので、お互いのノウハウを分かち合える仕組みを作り、グループ会社同士でコラボレーションしやすい環境を整えていきます。
また、これから先は、「何%売上が伸びたか」という数値目標ではなく、売り上げた中身に注目していきます。「売上数値だけを上げ、社員数を多く抱えればよい」という時代ではなくなっているので、利益面を一層追求します。そのための効率も重視し、人材への投資や部署の改革を進めます。
■石井:東京オリンピックも近くなりました。そこでビッグホリデー流の日本の観光地を元気にするヒントなどがありましたら教えてください。
■岩崎:温泉や旅館など「日本のリゾート」を外国人観光客に受け入れられるように変革させることがひとつの手段だと思います。日本人が温泉地に行かなくなり、シティホテルのシェアが増えている現状もあり、そうなると国内での誘客努力も必要ですが、外国人観光客を呼び込むという選択肢も出てきます。
最近では英語対応だけでなく、ハラルの対応など高いハードルも目立っていますが、これらの海外における基本的な生活や文化に対応できないと外国人観光客からはまず受け入れられないと思います。
日本人だけ扱っていても何も変わらないし、いざ外国人観光客を受け入れるときにトラブルにつながる可能性もあります。施設であるならば、お客様がご到着してからお帰りになるまでのフローチャートを改めてインバウンドの存在を視野に入れて考えるのです。日本人の行動と外国人の行動は違うのでそこを意識しながらお客様の流れを考えると良いヒントが生まれ、何か新たにできることが増えるのではないかと思います。
■石井:ありがとうございます。それでは最後に、本紙の読者である観光業界の仲間に、50周年を迎えられた秘訣と今後の意気込みを伝えてください。
■岩崎:50年を振り返れば良いことも悪いこともありました。そもそも旅行業は自然や病気、戦争などいろいろな状況に対して、向かい風になることが多く、それが追い風に働くことはまずありません。だからこそ、何か起きた時にはそういう業種だと思ってきました。だからこそ、一つひとつの事項に対して常に前向きに考えてきました。少しでも辛いと思うと全部が辛くなります。そうならないためにも、自分自身が元気を作っていくことが大事なのです。これからも、常に前向きに進める元気を持って、ご支援いただいている皆様と歩んでいきたいと思っています。
◇

社長室には、岩崎社長の原点を表す「企業価値」と題された訓示が掲げられている。「1・企業価値は、社員のスキルの高さで決まる。2・企業価値は、良い商品をより安く、そして収益を上げられる知恵を全社員が共有出来るかで決まる。3・企業価値は生き物、社員の意識で成長も衰退も決まる。」
1月11日に「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」ならびに「プロが選ぶ観光・食事、土産物施設100選」、「プロが選ぶ優良観光バス30選」の新しいランキングを発表いたしました。これを受け、事業ロゴマークも開催回を更新いたしました。引き続き、ご活用いただければと思います。
弊社では、旅館100選ランキング冊子の翻訳版の発行なども試み、100選関連事業のより一層の付加価値づくりに務めてまいりました。今回のロゴマーク作成もその一環です。観光業界のなかでも最も歴史のあるランキング発表事業をより多くの皆様にお伝えし、入選施設様をはじめ、ご投票にご協力いただいている旅行会社様や各企業様の事業に役立つよう取り組んでまいります。
ロゴ使用に際しては、下記のリンクから申請書を入手いただき申請をいただいております。旧ロゴマークの使用を申請いただいた各社・各館様も更新にあたり、お手数ですが、再度申請手続きをお願いします。
申請書はこちら(ZIP圧縮)からダウンロードください。 b>

2014年の訪日外国人旅行者数が昨年12月22日に1300万人を突破した。観光庁は同日、1300万人目の訪日客を迎えた成田国際空港で訪日1300万人記念セレモニーを開き、太田昭宏国土交通大臣や久保成人観光庁長官らが訪日客を出迎え、1300万人突破を祝った。
太田大臣は「昨年の1千万人達成から、今年は想定をはるかに超える勢いで1300万人を突破し、今後の1500万人から2千万人達成への目途がついた」と語った。1300万人達成の要因について、富岡製糸場と和紙の世界遺産登録による追い風、ビザの発給要件緩和、免税手続きの簡素化、日本の安全・安心のおもてなしなどを挙げた。また、12年が1・1兆円、13年が1・4兆円と拡大する訪日旅行消費額が14年は「2兆円に迫る勢い」であることも明かした。
15年については、JTBが旅行動向で見通した訪日数1500万人に対し、「現時点では目標として1500万人は考えていない。今年の1300万人を超えるようにしたい」と控えたが、これまでの「2020年に2千万人の高みを目指す」という表現については、「これからは高みという表現は使わない。2千万人達成が夢や希望ではなく、現実味のある数字となってきた」と強調した。2千万人達成への課題として、空港容量の拡大や、Wⅰ―Fⅰ環境の整備促進、北海道などで顕著になっているバス不足の解消などを挙げた。
記念の1300万人目は、インドネシア人のインドラジャティ・エディさん(48歳)とインドラジャティ・ムリジャティ・ウタミさん(45歳)、インドラジャティ・プリシラさん(14歳)の家族。すでに6、7回目となる訪日リピーターで、今回はクリスマスと年末年始を日本で過ごし、東京、箱根、京都、大阪を回る予定。ご家族は「日本は景色がきれいで、食べ物もおいしく、ショッピングも楽しみ。困っていたら助けてくれる優しさもある。毎回、日本でいい時間を過ごすのを楽しみにしている」と日本の魅力を語った。
第40回 プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選発表
100選が40回迎える
加賀屋が35年連続トップ
旅行新聞新社が主催する第40回「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」、第35回「プロが選ぶ観光・食事、土産物施設100選」、第24回「プロが選ぶ優良観光バス30選」と選考審査委員特別賞「日本の小宿」10施設が決まった。「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」は旅行新聞新社が1976年から毎年実施し、今年で40回目を迎えた。総合100選は、石川県・和倉温泉の加賀屋が35年連続1位に選ばれた。部門別の上位入賞、各賞入選施設を紹介する。表彰式は1月23日、東京都・新宿の京王プラザホテルで開かれる。
(2、3面に関連記事)
「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」は全国1万6310の旅行会社(本社主要部門、営業本部、支店、営業所を含む)に投票用紙(専用ハガキ)を配布。昨年10月1―31日までの投票期間中に「もてなし」「料理」「施設」「企画」の各部門で優れていると思われる旅館・ホテル、観光・食事施設、土産物施設、観光バス会社を推薦してもらった。11月25日には、旅行業団体関係者や旅行作家、旅行雑誌編集者らで構成される「選考審査委員会」が開かれ、100選ランキングが決定した。…
※ 詳細は本紙1573号または1月15日以降日経テレコン21でお読みいただけます。
今号で、本社主催の第40回「プロが選ぶ日本の旅館・ホテル100選」をはじめ各賞の発表を行った。「プロ」というのは、旅行会社のことで、毎年10月に全国の旅行会社の支店や営業所など(今回は1万6310通)に投票用紙を配布し、集計している。昨年11月25日に選考審査委員会を開き、入選施設を確定した。
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洋の東西を問わず、人気宿ランキングや口コミの好評価を競うものなど、さまざまなランキングや格付けがある。そして、その多くが一般消費者が投票するランキングだ。旅館やホテル、土産物施設やバス会社にとっても、お客様である一般消費者から高く評価されたり、「行ってみたい」ランキングの上位に入ることはうれしいし、それを目標にしている宿もある。
一方で、一切の「ランキング」や「格付け」を厭う経営者も多い。「勝手にランキングなんかしてほしくない」「うちは、オンリーワンの宿なのだから迷惑千万だ」という思いもあると思う。しかし、ランキングや格付けは自然発生的に生まれてしまうものだ。それは、個人がすべてを知り尽くすわけではないので、「大多数の人が支持するものを選びたい」という心情や、「信頼のおける専門家がおすすめするものなら間違いはないだろう」という思いもあるだろう。家電や病院、レストランやラーメン店などありとあらゆる「いいモノ」や「美味しい店」は、勝手に客観評価されてしまう宿命にある。
そして、もう一つ、多くの旅館経営者自身も「格付け」や「ランキング」を心のどこかで望む気持ちがあるということである。「誰かに客観評価してほしい」という願望である。それは、一人の人間としても同じだろう。ただ、意に沿わないランキングは面白くないのも理解できる。けれど、幸いにも世の中には無数のランキングや格付けがある。脚光を浴びない「いいモノ」をしっかりと見つけられる「目利き」の存在も絶対に必要であり、多様な価値観がある方が、社会にとっても健全だ。
¶
「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」を主催する観光業界の専門紙としては、旅行の「プロ」である旅行会社の目線にこだわっている。一般消費者の目線とは異なるところもあると思う。また、旅行会社との付き合いの少ない宿や施設は、ランキングの上位に入りづらいという側面もある。
「プロ」の旅行会社から投票された宿や土産物施設、バス会社は共に「よい旅を創り上げる同志」、いわば「戦友」から選ばれていることを意味している。個人化が進んでいるとはいえ、団体旅行はまだまだ「死んではいない」。大勢で大型バスに乗って、ビールを飲みながらバスガイドの美声に酔い、ドライブインで昼食をとり、お土産を買い、夜は大型旅館で宴会をするスタイルは、今でも多くの人の心を振り動かす旅の醍醐味の一つである。それら一つの旅(作品)を、幾つもの施設や運輸機関が協力して創り上げている。その作品をトータルプロデュースし、お客に自信を持って販売している旅行会社から選ばれることは、輝かしい誉れではないだろうか。
¶
「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」は今年40回を迎えた。観光業界でこれほど歴史ある賞は少ない。長く支えていただいている業界の皆様に感謝したい。
(編集長・増田 剛)
旅行新聞新社(石井貞徳社長、本社・東京都千代田区)は1月11日発行の「旬刊旅行新聞」と自社ホームページで、第40回「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」の入選施設を発表しました。総合部門では加賀屋(石川県)和倉温泉が35年連続1位になりました。
旅館100選は全国の旅行会社による投票を集計し100選施設を選出するもので、観光業界で最も歴史のあるランキング付イベントとして40年の歴史を誇ります。投票は昨年10月に全国の旅行会社(旅行業登録1種、2種、3種)の本社、支店、営業所など1万6310カ所に、投票案内を掲載した「旬刊旅行新聞」と投票用紙(専用はがき)を直接送り、実施しました。返信いただいた投票はがきを集計し、「もてなし」「料理」「施設」「企画」の部門ごとの100選および、4部門の合計点からなる「総合100選」が決まりました。
同時に「第35回プロが選ぶ観光・食事、土産物施設100選」、「第24回優良観光バス30選」も発表し、観光・食事、土産物の両部門で群馬県・長野原の浅間酒造観光センターが、バス30選では東京都・大田区のはとバスがそれぞれ1位の座を獲得しました。
■第40回プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選(総合トップ10入選施設)
順位 館名 (県・地区名)
1 加賀屋(石川県 和倉温泉)
2 白玉の湯泉慶・華鳳(新潟県 月岡温泉)
3 稲取銀水荘(静岡県 稲取温泉)
4 日本の宿古窯(山形県 かみのやま温泉)
5 水明館(岐阜県 下呂温泉)
6 ホテル秀水園(鹿児島県 指宿温泉)
7 草津白根観光ホテル櫻井(群馬県 草津温泉)
8 あかん遊久の里鶴雅・あかん湖鶴雅ウイングス(北海道 阿寒湖温泉)
9 ホテル鐘山苑(山梨県 富士山温泉泉)
10 萬国屋(山形県 あつみ温泉)
総合(11位~100位)、部門(もてなし、料理、施設、企画)、観光・食事施設、土産物施設、優良観光バスの各入選施設につきましては弊社ホームページに掲載しています。
■表彰式・祝賀パーティー
1月23日(金)には東京・新宿の京王プラザホテルで、入選施設や来賓、招待者を交えての表彰式と祝賀パーティーを開催します。
日時:平成27年1月23日(金)
表彰式 11:00~
祝賀パーテイー 12:00~
会場:京王プラザホテル5F コンコードボールルーム
東京都新宿区西新宿2-2-1 電話03-3344-0111

愛知県の半田商工会議所と知多半島観光圏協議会は昨年12月12、13日、半田市内で「観光ビジネス創出交流会 in 知多半島――着地型旅行活性化をめざして」を開いた。同セミナーは、観光庁の「観光地ビジネス創出の総合支援」認定事業の一環で、観光庁のほか、全国旅行業協会、日本旅行業協会などが後援。着地型旅行を造成、または関心のある全国の旅行会社や自治体、商工会議所、観光協会などから約80人が集まり、成功事例の報告や販売と集客などの課題点について情報共有した。
【伊集院 悟】
◇
セミナー冒頭のあいさつで、半田市商工会議所の筒井保司副会頭は「観光地ビジネスの自立を目指す取り組みとして、全国各地で着地型旅行が造成されているが、販売方法や集客など課題が多いのが現実。どのように情報発信し、安定性と採算性を高めていくかを考え、着地型旅行の未来を明るいものにしていきたい」と趣旨を語った。
1部は後援の観光庁から観光地域振興部観光資源課ニューツーリズム推進官の水口幸司氏が登壇し、観光の現状と観光庁の取り組み、ニューツーリズムについて紹介した。2部は事例報告が行われ、熊本県阿蘇市が行う「然」ブランドの取り組みと、岩手県の花巻観光バスの着地型旅行への取り組み、まち&むら研究所の谷本亙氏による「食と日本酒をめぐるまちづくり――酒造をめぐるツアー」、南知多観光協会の取り組みが紹介された。
阿蘇市では観光協会と阿蘇市観光まちづくり課が13年秋に「然」ブランドを立ち上げた。トップダウンによる少数精鋭で事業を進め、モノではなく“人”にスポットを当てブランド化。テレビ番組で全国放送され、人と人の連携やコラボ商品の開発など市民の「やる気」が喚起され、地域が活性化されてきた。
3部の分科会では4つのグループに分かれ、事例報告をもとに、販路や課題などについて話し合った。阿蘇の事例報告者が中心となった分科会には、同じく自治体や観光協会などが参加。行政主導で行う取り組みの「公平性」について、「行政の公平性はブランドを壊す」との指摘も出た。行政と民間が一緒に取り組む強みとしては、行政が人を発掘し、産業や伝統を守り、民間が流通や経営を行うことなどが挙がった。
また、ブランドやグループを構成している人たちの、品質を高めるための研修や連携、パッケージなどでの付加価値など、今後の課題も提起された。「行政でクリエイティブさを出すことや新しいことをやるのは難しい」と地域からの実感の声が挙がり、「内部からやろうとすると難しいので、市長の『鶴の一声』など、トップダウンで行うとうまく進む」との方法論も意見された。
同セミナーは毎年継続して行うことが決まり、来年は熊本県阿蘇市を予定する。
観光庁は、訪日2千万人を目指すなか、多様化するニーズに的確に対応するため、通訳案内士の拡充や環境整備に取り組む。昨年末には「通訳案内士制度のあり方に関する検討会」を開き、今後関係者からのヒアリングや議論を重ね、夏の「アクション・プログラム2015」に盛り込む予定だ。
通訳案内士の登録者数は都市部で75%を占め、地方では利用したくても人がいないとの声があるなか、一方では地方には仕事がないという現場の声も上がる。資格取得者の76%は未就業で、兼業が18%、専業従事者は6%にしか満たない。未就業の理由は「一定の収入が見込めない」が最も多く、業務従事者の4割が年間10回以下の就業回数で、5割以上が年間30日以下の就業日数に留まる。必要性が高まり増強したい行政と、仕事がないという現場の声。うまくマッチできるよう検討会への期待は大きい。
【伊集院 悟】
実家の最寄り駅を起点にした観光パンフレットができたと知ったのは、少し前のこと。住宅地を観光地として紹介する暴挙、いや英断に、ブランド戦略を推進する市の本気も感じられた。昨年末これを手に、10年以上離れた地を「観光客」になって歩いた。
まずは高架駅を突き抜けるクスの木。珍しいので目玉扱いに異論なし。駅から続く水路沿いの桜並木は、元住人として一押しだ。だが知っているのは数えるほど。近所にこんな寺があったのかと、次第にあやしくなる。オチは子供のころに通った模型店。うれしさあまり「これはないやろ」とツッコミを入れた。
「暮らしと関わりがないから近くでも知らない」「自分の生活は別の誰かの観光になり得る」――散歩後のあれこれをまとめると、この2つが残った。
【鈴木 克範】
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