2013年5月17日(金) 配信

高品質のおもてなしサービスを提供することで、お客様の強い支持を得て集客している旅館や温泉地がある。なぜ支持されるのかを探る「いい旅館にしよう!」プロジェクトのシリーズ第12弾は、2010年にデジタル外湯券「ゆめぱ」を導入した兵庫県・城崎温泉の現状と今後の可能性について、産業技術総合研究所時代に同システム導入のきっかけとなった内藤耕氏(現・サービス産業革新推進機構代表理事)と、城崎温泉・山本屋代表取締役の高宮浩之氏の両氏の対談を行った。
【増田 剛】
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高宮:山本屋は、約1300年の歴史を有する城崎温泉でも老舗宿の一つです。客室数は15室で、立地は温泉街の真ん中に位置しています。私は京都出身で大学時代は大阪で過ごし、その後、8年間リクルートで働いていました。女将の実家の城崎山本屋に来て18年くらいになります。城崎温泉には古文書がたくさん残っていたのですが、1925(大正14)年に発生した北但大震災で温泉街のほとんどが焼けてしまいました。
震災のあと、「これからどのような町にしていくか」と議論されたときに城崎温泉が選んだのは、「昔に戻そう」という原点回帰でした。「コンクリートの建物など、当時の最先端の建物を作っていたら今の城崎温泉はなかっただろう」と現・中貝宗治豊岡市長も話しています。木造建築でまちをそぞろ歩きできるような、もともとの城崎に戻そうとしたのです。全国どこにでもあるような都市を目指すのではなく、自分たちの固有の土地に根差した、昔からの文化や歴史を大切にしながらまちづくりに取り組んできたのです。
内藤:城崎温泉の歴史を見ていくと、北但大震災、内湯紛争、暴力団追放などいくつかのターニングポイントがありました。
高宮:城崎温泉は警察や住民が一体となって暴力団追放を1970年代に実施しましたが、これはまちぐるみの取り組みで、とても大変だったと聞いています。しかし、このお陰でぼったくりの店もなくなりました。安心して女性客でも訪れることができる温泉地に大きく舵を切ったのです。これは画期的なことだと思います。当時は、「男性の団体客が減るんじゃないか」という危機感も絶対にあったと思うのです。そこを「安心・安全」を最優先にし、カップルや女性グループへと舵を切ったのは賢い選択だったと思います。おそらく、1軒1軒の規模が10―15室程度と小さいので、団体客ばかりを追っていても仕方ないという考えが根底にあったのだと思います。
内藤:その後にカニブーム、そして浴衣の似合う温泉地への取り組みも行われます。
高宮:そうですね。私が城崎温泉に来ました1994年に、第1回の浴衣のファッションショーを実施しました。うちの旅館の前で舞台を作ったために、当日は休館にしてモデルさんの着替えなどに使ってもらいました。その後、私も実行委員長を務め、取り組みは現在も続いています。城崎温泉には昔から外湯があったので、「浴衣でそぞろ歩き」の文化は根付いていたのですが、これを大きな商品にしようと手作りで始めたイベントでした。
内藤:花火も始めました。
高宮:7月下旬から8月下旬までの平日に「夏物語」という花火大会を行っています。神社では出店やショーを楽しんでもらっています。土日はありがたいことにお客様に訪れていただいていましたので、最初は週に1日、夏の火曜日だけで花火を上げていたのですが、「花火の日に宿泊したい」という予約も増えたため、火・木曜日に増やし、その後、平日は毎日実施するようになりました。時間は夜の9時から15分程度ですが、都会の大規模花火と違って間近で見られるため、宿泊客は夕食後の華やかなひとときを浴衣姿で見物されます。音も凄いので、すごく喜ばれ、拍手が出ます。
内藤:女将の会は全国的に組織されていますが、城崎温泉の一つの特徴である「若旦那の会」はいつごろ結成されたのですか。
高宮:15年ほど前ですね。城崎では、まちのイベントも男性が企画することが多くて、伝統的に20代、30代の若手が色々とアイデアを出して手作りのイベントやまちづくりを一生懸命やってきていました。それが歴史となってつながってきている感じですね。どの時代においても、20―30代の若い世代が汗をかき、やってきたことでした。外湯めぐりを楽しめるようにスタンプ帳をつくり、温泉街のそぞろ歩きを戦略的に商品化したのは、私たちよりも一世代上の先輩たちが若い時に考えたのです。それを街全体が温かく応援してきた歴史があります。
多くの温泉地では女将さんが前に出てくるところが多いと思うのですが、城崎は珍しいですね。親組合では、温泉街の全体の平等な利益など気を使う部分が大きいのですが、青年部の組織だと少々失敗しても、事業の偏りがあっても「まあいいか」と許される部分があるのも事実です。だから、その時代、その時代に斬新なチャレンジができたんじゃないかと思います。
内藤:面白いのは、結果的なのかもしれませんが、今は個人や家族のお客が主流となってきているなかで、城崎温泉は数十年前から個人客への対応に取り組んできたのですね。小規模旅館が多いということも、温泉の量との兼ね合いで選択肢はなかったのですが、実際に苦しい時代もあったでしょうけど、時代が勝手に付いてきたという感じを受けます。
今の城崎では後継者問題で廃業というケースはあるのですか。
高宮:ありますが、数は少ないですね。城崎では「自分も宿をやる」という若者が意外に多いです。これは珍しいと思います。なんとなく、ワイワイとやっている雰囲気を見て育っているから、「自分も大きくなったら旅館をやるんだ」という意識があるんでしょうね。
こんな小さな街でありながら、商工会の青年部の加盟数が兵庫県で1番多く、加盟率は驚異的な数字だと思います。それと、城崎の特徴の一つに、外資がほとんど入っていないということがあると思います。
――それでは、いよいよ2010年10月31日に導入したデジタル外湯券「ゆめぱ」のお話を伺いたいと思います。
高宮:5年ほど前に、経済産業省の大阪の方から内藤さんをご紹介され、内藤さんが最初に城崎に来ていただいたのがスタートですね。
内藤:そのときに色々とお話を伺って、一番感銘を受けたのが浴衣クレジット(浴衣で付け払い)です。城崎温泉に根付いていた宿の浴衣で「付け払い」ができる文化を面白いなと思いました。
それから議論が深まっていき、半年後に産業技術総合研究所のメンバー約10人が城崎温泉を訪れ、高宮さんら若旦那衆と会合を重ねて、プロジェクトがスタートしたのです。
――内藤さんと高宮さんの出会いから、画期的な城崎温泉の「デジタル外湯券」の取り組みが始まったのですね。
両氏:そうです。
高宮:インフラとして外湯めぐりがあるので、そこをデジタル化しておかないと次のステップに行けないという意識はありました。さまざまな苦労もありましたが、外湯券をデジタル化したことで、携帯電話か、専用端末から発券されるバーコード券で外湯めぐりができるようになりました。また、宿泊客は約30軒の飲食店や土産物店に、お財布を持たずに「ゆめぱ」で付け払いができるようになり、今は浸透しています。
一方、旅館は事務局の「城崎このさき100年会議」に銀行を通じて毎月お金が自動引き落としされます。そして各店舗には100年会議から、1カ月分がまとめて振込まれるという仕組みです。サーバーがすべて計算するので、事務作業はほとんどありません。また、旅館には手数料などは入りません。
――旅館にはメリットがないということですか。
高宮:直接的なメリットはありませんが、従来の外湯券では紙の裏に判を押してお客様に説明をしなければならなかったのですが、デジタル化によってかなりの省力化はされています。外湯めぐりのインフラは約80軒の全旅館が参画しており、「付け払い」のシステムはもう一段階高い、付加価値のようなサービスなので、宿泊客の付け払いが可能な宿は半数の約40軒です。
内藤:デジタル外湯券導入に向けて何が一番大変でしたか。
高宮:最初はデジタル化について説明しても具体的なイメージが沸かないんですよ。それと、これまでの花火や浴衣のファッションショーといったイベントは町民全員の合意がなくてもできましたが、デジタル外湯券「ゆめぱ」は、“そんなの興味ない”という旅館にも合意してもらわなくてはならない。ここのハードルはすごく高かったですね。これまでのように、裏側に外湯の判を押す紙の券が残ったままでいると、デジタル化しても集計作業が2倍になるだけなので、全員の合意が必要だったのです。また、昨年4月から国や豊岡市の助成もなくなり自主財源で運営をしていかなくてはならないので、これまでとは違うハードルもでてきていますが、ずっと継続していくための議論をしているところです。サーバーの管理や保守費で、年間300―400万円のコストが必要になります。
内藤:デジタル外湯券導入を議論していた際に、若旦那たちが、「城崎温泉がやらなければ他の温泉地がやるだろう。これは城崎が最初にやらなければならない」と熱く語り合っていたことをとてもよく覚えています。結構、革新的なんですね。
城崎では「昔に帰る」という保守的な面がある一方で、常に新しいことに取り組む非常にイノベーティブな側面が強い印象を受けました。
高宮:外湯めぐりの仕組みも、色浴衣を着て散策することも日本で最初なんです。デジタル外湯券導入もそうです。「日本で一番にやりたい」という気持ちがものすごく強くて、城崎はそのことに価値を見出しているんですね。雨の多い地域なので、街全体で2千―3千本の傘を貸し出す「置き傘システム」も10年以上機能しています。みんなで傘をメンテナンスする意識と手間を掛けないと続かないのですが、共存共栄の考え方がベースにあるために、維持できています。結局、自分たちの培ってきた風土に合致したものしかやっていないですね。「他所がやっているから自分たちも」という考え方はありません。
内藤:「ゆめぱ」は、今度どのように発展させていくのでしょうか。
高宮:現状では、宿泊客はチェックアウト後の10時以降は外湯券として使用できません。でも、プラス200―300円でもう1カ所入れる仕組みを作れば地元の滞在時間も増え、城崎で昼食といった新たな消費の機会につながります。また、観光客だけでなく、今後、地元の町民も使えるようにしようと考えています。現在、このシステムを利用してさまざまなデータを取っています。チェックインが14―15時、チェックアウトが10時としたら、その間の昼間の時間帯はお客様が断然少ない。しかし、「ゆめぱ」を活用し豊岡市民に年間パスを作ることで、昼間の時間帯に入り放題にすることも一つの案です。紙の券だと煩わしいけれど、デジタルのカードを1枚作ると、外湯めぐりや城崎温泉のお店で買い物もできてしまう。
バス会社も、運賃や運行の効率化なども産業技術総合研究所と共同で研究されており、かたちになればカード1枚でバスに乗り、外湯に入り、飲食、宿泊することも技術的には可能なんです。そして、今は城崎温泉だけですが、中貝市長は豊岡市内全体の観光の流れを「ゆめぱ」でつくりたいという構想を持たれています。発展する大きな素地はあると思います。
内藤:JR東日本の「Suica」も、もともとキセル防止のために導入したのですが、今や電子マネーとしての利用価値によって爆発的に普及していきました。
高宮:「ゆめぱ」導入に際して、デジタルを前面に出そうとしているわけではなく、もともとある城崎の良いところを補完していこうと考えました。私たちは「城崎温泉は一つの旅館」と捉えています。普通、宿に泊まってラウンジでコーヒーを飲んでもお金をいちいち払ったりせず、チェックアウトの時にまとめて支払います。それだったら、城崎温泉を訪れ、街中で買ったり、食べたりしたものはチェックアウトのときにまとめて旅館で支払えばいい。これができて初めて街が一つの旅館だという考え方が完結するのです。「ゆめぱ」はこの考えを実現するためのより便利なツールとして活用しているだけです。外湯の男女別の混雑状況もデジタル化で把握することができるので、旅館のお客様に空いている時間を案内するサービスも可能になりました。インバウンドのお客様には別の登録の仕方をすれば、さまざまなデータを分析することもできるし、滞在中のお客様の導線も分析することも可能です。ビジョンはたくさんあります。使い方次第で売上げが上がる切り口や可能性はたくさんあると思うのです。この取り組みの本当の価値を多くの人たちに理解してもらうことが大切だと思っています。
※ 詳細は本紙1502号または5月22日以降日経テレコン21でお読みいただけます。