【精神性の高い旅~巡礼・あなただけの心の旅〈道〉100選】-その41-波上宮&識名宮 琉球王朝ゆかりの神社旅(沖縄県那覇市) 琉球八社の2社を巡る ニライカナイ信仰の拝所

2024年9月10日(火) 配信

 今回の沖縄県那覇市の精神性の高い旅は、2社とも琉球王朝にゆかりの深い、由緒ある琉球八社の神社のうちの2社をご紹介します。琉球王朝とは1429年に成立し、1879年までの間、およそ450年間にわたり、日本の南西諸島に存在した王制の国のことです。

 沖縄県は首里城にしても、花々や海、紅型の染織物、神社仏閣にしても、鮮やかで華やかな色彩美に溢れていて、まさに眼福なスポットです。この土地に旅すれば、毎日の生活で枯渇してしまった心身のエネルギーを細胞の隅々まで、与えてくれるでしょう。

 

 

 まず、はじめに波上宮(なみのうえぐう)までは、ゆいレールの旭橋駅から徒歩15分程度で到着。那覇の街を歩いていると、「石敢當」(いしがんとう)と呼ばれる石碑とよく出会います。沖縄で古くから信じられている魔物=マジムンを撃退する、魔除けの役割を持つ石碑なのです。石敢當という石碑を見かけると、「沖縄に来たなぁ」という旅情がいつも湧き起こります。

 さて、サンゴ礁の断崖にたたずむ波上宮。近くには、波の上ビーチがあり、晴天の日には、コバルトブルーの青空と白い砂浜と、ターコイズブルーの海が、3つ重なるように溶け合っているのが、印象的で爽快感に満たされます。波上宮は、古くから海の彼方にある、海神の国「ニライカナイ」の神々を信仰してきた沖縄で、聖地であり拝所の1つ。色々な文献を読んでみると、日本古来の信仰の根底には、「人は亡くなっても、また生まれ変わってくる」という思想があるというのです。このような考え方は、アイヌや沖縄の宗教にもあり、この沖縄のニライカナイ信仰でも、人間は亡くなると海の彼方へと帰り、また生まれ変わって来るとのこと。このような生と死と再生の考え方が沖縄にあると思うと、まだ知らない世界への不安や、大切な故人への悲嘆も和らぎ、この土地に旅することで心の安寧にもつながるように思います。

 

波上宮・本殿

 ちなみに沖縄のお墓には、「亀甲墓」(かめこうばか)というものがあり、形が亀の甲羅に似ているところから、そう呼ばれています。この亀甲墓が女性のおなかを表し、お墓の入口は産道となり、「また母親から生まれ、亡くなると再び帰っていく」という母体回帰の思想からくるといわれています。

 波上宮の御祭神は、イザナミノミコト様、ハヤタマヲノミコト様、コトサカヲノミコト様。琉球王国の信仰も深く、琉球王自ら、毎年お正月には列を整えて参拝し、国家の平安と繁栄をお祈りしていました。琉球八社とは、琉球王国において「琉球八社の制」により、王府から特別の扱いを受けた8つの神社のことです。波上宮、沖宮(おきのぐう)、普天満宮(ふてんまぐう)、末吉宮(すえよしぐう)、安里八幡宮(あさとはちまんぐう)、天久宮(あめくぐう)、金武宮(きんぐう)、そして識名宮(しきなぐう)の8社。

 

識名宮

 2社目の識名宮へは、まず世界遺産の識名園に足を運んでみてください。識名園までは、国際通りから「てんぶす前」というバス停から5番線のバスに乗り、20分程度で到着。識名園は、琉球王の別邸であり、中国からの冊封使の方々をおもてなしするためのご接待所でした。広大で優雅な回遊式庭園であり、沖縄の生命力豊かな緑の木々の世界に癒されます。

 識名園から、徒歩15分程度で、識名宮へ。識名宮は、琉球王の尚元王のお子様が病にかかり、治癒祈願をされたことから、健康成就に良いお宮として知られています。ご本殿の裏には神秘的な洞窟があり、数々のお願い事が叶えられてきたというお話もあります。

 ぜひ、那覇の旅で、波上宮&識名宮をお参りし、神々の存在を感じてみてはいかがでしょうか。

 

旅人・執筆 石井 亜由美
カラーセラピスト&心の旅研究家。和歌山大学、東洋大学国際観光学部講師を歴任。グリーフセラピー(悲しみのケア)や巡礼、色彩心理学などを研究。

ディノフェス2024 9月13(金)─16日(月・祝)、東京・有明GYM─EXで開催

2024年9月9日(月) 配信

メインビジュアル

 オフィスフリースタイル(岐阜県各務原市)は9月13(金)~16日(月・祝)の4日間、有明GYM─EX(東京都江東区)で、恐竜テーマパーク「恐竜フェスティバル」(ディノフェス2024)を開く。

 同イベントでは、恐竜のアトラクションやグリーティングが楽しめる移動型恐竜テーマパーク。5回目の今回は、東京で初開催となる。

 スタンディングスタイルで高さ約10㍍のディノフェスオリジナルのT─REXは、動いたり口から白い煙を出したりと臨場感あふれる動きで来場者を出迎える。

 また、T─REX型の20人乗り大型パレードカーを今イベントで初披露。全長約9㍍、高さ約4・5㍍のパレードカーで、恐竜ゾーンを探検できる。

 VR─FIRSTは、コンテナ仕様にリニューアルし、以前より臨場感のあるライドを楽しめるようになった。恐竜の世界を、実際の目線で360度見渡しながら楽しめるアトラクションとなる。

 ディノフェスのチケットは、早割・前売り・当日・4DAYS・13日(金)のみの4種類のチケットを用意した。大人、子供チケットは、すべての券種で乗り放題となる。

福井県とJR西日本が連携協定 訪日旅行者誘客促進へ

2024年9月9日(月) 配信 

 

 福井県とJR西日本グループはこのほど、大阪・関西万博を契機とし、福井県への訪日旅行者などの誘客促進に向けた取り組みを展開し、福井県の活性化をはかる連携協定を結ぶ。

 連携内容には、①福井県を含む広域周遊に関すること及び福井県を対象都市、観光素材などを活用した企画きっぷ、旅行商品の開発・販売に関すること②地域産品などを活用した商品およびサービスの開発・販売に関すること③案内、応対、施設の整備など、旅行者の満足度の向上に関すること④大阪・関西万博以降の誘客促進に向けた事業の策定及び実施最低の構築などに関すること⑤その他、福井県の魅力発信、地域活性化に関すること──などを盛り込んだ。

 締結式は、9月13日(金)午後1時40分から、福井県庁で行われる。

【静岡県・浮山温泉郷】ABBA RESORTS IZU-坐漁荘 南館が40年の歴史に幕 感謝込め「記憶に残る」滞在プラン販売

2024年9月9日(月) 配信

露天風呂付南館客室(一例)

 静岡県浮山温泉郷の「ABBA RESORTS IZU-坐漁荘」は、40年にわたり親しまれてきた南館が2025年2月から大規模改築工事に入ることを受け、「昭和の伝統美」南館客室と「令和の新しさ」ヴィラ客室の対比を楽しめる、2泊3日の滞在プランを企画した。設定期間は2025年1月10日(金)まで。

 1984年に開業した南館は、昭和の伝統美が感じられる古き良き和の空間。庭園を望む客室は、ツインベッドの和室や岩露天風呂からなり、広さは44~52平方メートル。一方、令和の美しさがあふれる露天風呂付ヴィラ客室は、陽光や高原の風を感じながらゆったり過ごせる別荘風のプライベート空間。広さは69~89平方メートルで、リビングやツインベッドのある室内から、屋外のルーフデッキが広がる。

露天風呂付ヴィラ客室

 企画名は「【南館休業直前特別企画】不易流行・ありがとう南館! 昭和の伝統美・南館客室と令和の新しさ・ヴィラ客室に泊まる、2泊3日の特別なご滞在」プラン。専用予約フォームから申し込むと、2泊目が「露天風呂付ヴィラ客室」にアップグレードされるお得な内容だ。夕食は1泊目和会席、2泊目フレンチで用意する。「時代の移り変わりを体験し、思い出に残るひとときをお過ごしください」(同館)とPRする。

 なお、南館客室の大規模改築工事に伴い2025年2月から、南館と大浴場「翡翠(ひすい)」・「紫苑(しおん)」の営業を休止する。東館客室及びヴィラ客室等は期間中も通常営業。新しい南館のオープンは25年末ごろの予定。

鉄道ファンに贈る! 鉄道ライター・辻良樹と巡る新八日市駅の旅(近江トラベル)

2024年9月9日(月) 配信

近江鉄道の新八日市駅

 近江トラベル(伊藤孝樹社長、滋賀県彦根市)はこのほど、鉄道ファン向けに「大正時代の駅舎」の近江鉄道・新八日市駅などを、鉄道ライターの辻良樹氏と巡るツアーを売り出した。11月9日(土)、10日(日)の2日間限定の旅で、同社設立70周年と近江鉄道上下分離方式を記念した特別企画。

 ツアー名は「鉄道ファンに贈る 新八日市駅タイムトリップツアーと旧陸軍八日市飛行場跡・廃線跡を巡る旅」。新八日市駅では、昭和14(1939)年ごろの硬券を再現したツアー限定のオリジナル硬券を、駅員が1枚ずつ入鋏(にゅうきょう)してくれる。普段は未公開の特等待合室跡ものぞけるほか、サプライズも用意する。

 その後は、昭和初めから戦後間もないころまで、新八日市から東に向かって伸びていた「飛行場線」と呼ばれた線路の跡地を巡る。飛行場線は当時に存在した「陸軍八日市飛行場」への輸送を担っていた。八日市線の前身である旧・八日市鉄道により、飛行場付近まで敷かれた路線跡の遊歩道を歩き、軍用機を米軍の空襲から守るために造られたシェルターや、飛行場とゆかりの深い「沖原神社」など訪れる。

 ツアーは11月9日が京都発、10日が米原発のいずれも日帰りの商品。料金はどちらも1人2万円。申し込みは同社ホームページから。

【福島県】テクノアカデミー観光プロデュース学科の指導員を募集 受験申込は10月4日(金)まで

2024年9月9日(月) 配信

画像はイメージ

 福島県は、観光ふくしまの復興と創造を担う人材を育成するため、県立テクノアカデミー観光プロデュース学科において、学生指導を担当する福島県職員(職業訓練指導員〔観光〕)を全国から募集している。受験申込は、2024年10月4日(金)まで。

 受験資格は、1975年(昭和50年)4月2日以降生まれた人で、旅行業や宿泊業などの「観光関連業務の実務経験を10年以上有する」など。試験は福島県庁で24年10月22日(火)に実施する。採用は1人程度で、採用予定日は25年4月1日(火)。

 詳しくは、福島県人事課のホームページから受験案内を確認するか、福島県商工労働部商工総務課(電話024-521-7269)まで。

ジャンボフェリー、一日船長を募集 「あおい」2周年記念で

2024年9月9日(月) 配信

明石海峡大橋と写真撮影(前回のあおい船長ようす)

 ジャンボフェリー(山神正義社長、兵庫県神戸市)の新船「あおい」が、10月で就航2周年を迎える。これを記念したイベントとして、小学生を対象に「あおい一日船長体験」を実施する。体験日は10月20日(日)。神戸から小豆島までの航海中、さまざまな仕事を体験できる「一日船長」を募集している。

 当日は、神戸発午前8:15便の小豆島または高松行き「あおい」に乗船。出航の合図やお客様の出迎え、船内アナウンス、操舵体験、無線連絡、船内巡視などの仕事を体験できる。さらに、船長も実際に食べるまかないご飯が用意される。

 募集人数は2人。応募条件は小学生であることのほか、事前の打ち合わせ(オンライン)、当日に必ず参加できること。特典として、1日船長の家族を対象に5人まで、神戸―小豆島(または高松)の往復運賃(車1台含む)が無料となる。

 応募期間は9月30日(月)まで、応募者から抽選で決定する。応募は同社公式ホームページの「お知らせ」内にある募集ページから。

離島シリーズ1周年で記念御翔印 金箔使用の特別デザインに(JALUX)

2024年9月9日(月) 配信

1周年記念御翔印(奄美空港)

 JALUX(髙濱悟社長、東京都港区)は9月20日(金)の「空の日」に、記念御翔印を数量限定で売り出す。“空の御朱印”こと、「御翔印」の第3弾「離島シリーズ」発売1周年を記念したもので、金箔を使用した特別なデザインに仕上げた。北海道・利尻島から沖縄県・石垣島まで、日本航空(JAL)グループが就航する17の離島空港で販売する。

 御翔印は「日本の素晴らしい御朱印文化を空でも展開したい」「御翔印を目的に人々が空港を訪れ、その土地を旅してもらうことで地域を元気にしたい」という想いから誕生。“空の御朱印”としてアレンジし、大空を自由に飛び回る「翔」に掛け、「御翔印」と名付けられた。2022年9月に第1弾として11空港、23年3月に第2弾で27空港、23年9月に第3弾として17の離島空港で展開。現在、55空港でオリジナルの「御翔印」が誕生しており、鶴丸が描かれた専用の「御翔印帳」と共に、好評という。

 今回の記念御翔印は1人1枚までの制限を設け、完売次第終了となる。価格は600円。なお、奥尻空港は奥尻港フェリーターミナルでの販売となる。

10月からのキャンペーンを東京都内で告知 岩手県

2024年9月9日(月) 配信

大沢温泉を手湯とVRで体験

 いわて観光キャンペーン推進協議会は、10~12月の3カ月間展開する秋季観光キャンペーンの周知イベントを9月7、8日の2日間、東京・東銀座の岩手県のアンテナショップ「いわて銀河プラザ」で行った。

 花巻市の大沢温泉の源泉を運び、手湯をVRとともに体験するコーナーや同じく大沢温泉で開催中の「もうひとつの鈴木敏夫とジブリ展」、平泉の金色堂建立900周年などを紹介した。また、遠野の卯子酉様の願い事体験やえさし藤原の郷の12単着付け体験、金婚亭のわんこそば体験、岩泉松茸のお吸い物・釜めしの試食販売などを実施。龍泉洞わっか施設や宮古うみねこ丸日の出クルーズもPRするなど、2日間に渡り岩手の魅力を発信し、キャンペーン期間中の旅行を呼び掛けた。

 秋季観光キャンペーンは今回若者をターゲットに開催。「いわてのカフェ」「アクティビビティ」「歴史・文化」「自然・絶景」「グルメ・酒」「イベント」の6つのテーマを柱に魅力的なコンテンツを用意している。

「観光人文学への遡航(51)」 戦時の国家総動員体制下における教育

2024年9月8日(日) 配信

 複線型学校制度の特徴のひとつとして、教員養成を担う師範学校が独立していることが挙げられる。師範学校は、給費制が採られ、授業料はかからなかった。そのため、学業が優秀だったにもかかわらず、裕福ではない家庭に生まれた人材の能力発揮の場ともなっていた。「坂の上の雲」で有名な秋山好古、東急の創始者五島慶太、朴正熙も師範から教員を経て立身出世した人々である。

 師範学校の学生は、最大25年の徴兵の延期が可能とされていた。また、師範学校を卒業して小学校教員に就職する学生は、短期現役制度により5カ月間の兵役のみとされていたのである。戦前、戦中は教員養成に手厚い支援がなされていたことがここからもわかる。

 現在、教員のなり手不足が大きな社会問題となっているが、戦前の教育行政と比較しても現在は大きく見劣りがする。戦前の教育行政を調べていくと、「教育は国家百年の大計」との気概を感じる。

 戦時下も、複線型学校制度はそのまま維持され、尋常小学校が国民学校となり、実業補習学校と青年訓練所が青年学校と改称され、国民学校初等科卒業後、旧制中学校、高等女学校に進まずに職業に従事する勤労青少年男女に対して教育を行う学校として設立された。

 第二次世界大戦において、次第に日本の敗色が濃くなると、1943年10月閣議決定された「教育に関する戦時非常措置方策」において、理工科系統および教員養成所学校学生を除き、一般学生の徴兵猶予を停止し、学徒の全面的な出陣となった。 

 さらに、文科系大学および専門学校は入学定員を従前の2分の1程度になるように転換・整理・統合し、理工科大学および専門学校は整備・拡充することになった。

 勤労動員については、これを教育実践の一環として強化した。学徒の勤労動員に対する要求はさらに強くなり、1944年12月以降は、中学校以上の学生・生徒は1年を通じて常時勤労そのほかの非常任務に出動し、やがて予想される本土決戦の態勢について万全の備えをなすこととなった。

 また、学校を工場、軍用非常倉庫、非常病院、避難住宅その他緊急の用途に転用するなど、学校教育すべてをあげて決戦の体制を整えた。遂に1945年3月には「決戦教育措置要綱」の閣議決定によって、国民学校初等科を除き学校における授業は停止することとなり、5月22日勅令「戦時教育令」によって最後の決戦段階に突入することとなった。

 1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受け入れて終戦となった。終戦を契機として、日本の国政全般は連合国軍最高司令部(GHQ)の占領政策のもとに実施されるようになり、教育行政もGHQの指示のもと、根本からの改革に迫られることとなる。

 

島川 崇 氏

神奈川大学国際日本学部・教授 島川 崇 氏

1970年愛媛県松山市生まれ。国際基督教大学卒。日本航空株式会社、財団法人松下政経塾、ロンドンメトロポリタン大学院MBA(Tourism & Hospitality)修了。韓国観光公社ソウル本社日本部客員研究員、株式会社日本総合研究所、東北福祉大学総合マネジメント学部、東洋大学国際観光学部国際観光学科長・教授を経て、神奈川大学国際日本学部教授。教員の傍ら、PHP総合研究所リサーチフェロー、藤沢市観光アドバイザー等を歴任。東京工業大学大学院情報理工学研究科博士後期課程満期退学。