現地レポート(3) 震災から1年半 南三陸ホテル観洋のいま

志津川湾。奥に見えるのが「ホテル観洋」だ。取材日は館内に22の団体・グループが訪れていた
志津川湾。奥に見えるのが「ホテル観洋」だ。
取材日は館内に22の団体・グループが訪れていた
 前進を考え続ける毎日

 震災から1年半。「南三陸 ホテル観洋」の現状から、被災地の復興と課題を見つめていくシリーズも3回目となった。マスメディアによる被災地のニュース報道は減少している。しかし本紙では、一つの施設の状況を定期的に追うことで、状況の推移と、考え方、取り組み方を学ばせてもらおうというスタンスだ。今回も、疑似体験しよう。

<取材・文 ジャーナリスト 瀬戸川 礼子>

志津川湾から振り返った風景。どこまでも津波の爪痕が続いている
志津川湾から振り返った風景。
どこまでも津波の爪痕が続いている

◆復興と解体

 人口1万7666人・5362世帯だった南三陸町は、津波で62%に当たる3299世帯が消滅した。現在の湾は美しく穏やかだが、後ろの町を振り返ると、視界のずっと先まで、建物がない。広がる平地には、皮肉なほどすくすくと雑草が伸び、初めて来た人は、もともと野原かと勘違いすると聞く。脳裏に浮かぶ「風化」の文字を、頭を振って、払いのけた。

 現在、南三陸町では、被災のシンボル的な施設の解体が進んでいる。見るのも辛い建物を消し去りたいという思いや、すっきり新たな町づくりをしたいとする思いがあるのだろう。

 しかし一方では、被害を後世まで語り継ぐために、ある程度は残しておきたいと考える人もいる。見学者が引けも切らない南三陸だからこそ、「ここに来たら防災意識が高まる」と認識される学びの地であり続けたいという声だ。

 筆者の推測だが、こういうとき被災地の女将さんたちは声を挙げづらいかもしれない。未来のための純粋な意見でも、観光業だからと思われかねないからだ。

 ホテル観洋の阿部憲子さんは、避難所として600人の被災住民を受け入れていた立場から、「何らかの遺構は必要」と考える。「おじいさんやおばあさん、親から言い伝えられたことを守った人たちは、避難の考え方や備蓄に違いがあると感じるのです。被災した建物もまた、将来にわたって、大切なことを無言で語ってくれるように思います」。

 
ホテル観洋女将の阿部憲子さん
ホテル観洋女将の阿部憲子さん

◆ホテルの役割

 ホテル観洋は、昨年夏から通常営業を再開。稼働率はすでに震災前(85―90%)に戻っている。修繕や仕入れ先の確保、スタッフへの配慮など、苦労の賜物だろう。

 震災後は、来館客の住むエリアがぐんと広がった。以前は、東北の人が60~70%を占めたが、現在は東京、関西、九州も。これまで出会えなかったエリアの人に、南三陸のよい思い出を持って帰ってもらうのも大きな役割だとする。

 大型ホテルの観洋がにぎわっていることで、その分、地元の魚が消費され、酒屋に発注が行き、仮設商店街にも人が流れる構造がある。

 また、ボランティアによる館内イベントの申し込みにも協力的で、地元住民を招いて楽しみのひとときを提供する。ひと月のうち10日間、60歳以上の地元住民に温泉施設を無料解放するサービスも続行中だ。互いに助け合い、感謝し合う環境と言えよう。

 だが、どの被災地も同様だろうが、被災地の中でも格差が広まっている。そんななか、「町全体との共存バランスをどう取っていくか」は、前進する会社であるほど、新たな課題となるかもしれない。

南三陸町の被災シンボルの一つ「防災対策庁舎」
南三陸町の被災シンボルの一つ「防災対策庁舎」

30の仮設店が軒を連ねる「南三陸さんさん商店街」もにぎわっていた
30の仮設店が軒を連ねる
「南三陸さんさん商店街」もにぎわっていた

◆できることから改善

 自分たちでできる改善はスピードを持って当たっているホテル観洋。近々、館内に念願のATMが設置されそうだ。

 「長期滞在のお客さま、スタッフ、町の方。みんなに便利なものですから、館内にATMがあればいいなと思っていたのですが、金融機関に打診すると『周辺に家は何軒あるんですか』という収支の話になるんですね。自然災害で多くを失った地域は復興も容易ではありません」

 しかし、阿部さんはあきらめず2行、3行と聞き続け、とうとう6行目で願いが叶いそうだ。「現地の実情を知ってもらえたのが良かったです。どんな方に出会えるかが結局は大きいのですね」

 また町のインフラ面では、「BRT」(バス高速輸送システム)の運行が始まったのも改善の一つだ。

 JR「気仙沼線」は、石巻の前谷地駅と気仙沼駅を結ぶ路線だったが、南三陸町の手前の柳津駅から北は、復旧の目処が立っていない。

 そこで、代替的な運送手段としてBRTが導入された。BRT の運行当初は、大勢が利用するホテル観洋の前を素通りしていたが、理解を得られて停留所の形が取られた。

震災後、7月に初めて再開された「体験プログラム」の様子。 アメリカから視察に来た学生が受けてくれ、何隻にも分かれて行われた
震災後、7月に初めて再開された「体験プログラム」の様子。
アメリカから視察に来た学生が受けてくれ、
何隻にも分かれて行われた

◆南三陸町観光協会

 南三陸町観光協会とホテル観洋は、互いに不可欠な存在だろう。同協会によると、ここ数カ月、毎月2千人の視察者を手配しているという。この人数は、ガイド付きの視察参加数で、実際は協会を通さずに訪れる人も多いはずだ。よって、少なくとも2倍以上(4千人以上)の人々が、毎月、南三陸を訪れていると見ている。

 1日当たり133人もの集客は、口コミと旅行会社からの受け入れで成り立つ。南三陸町観光協会主査の佐藤昭洋さんは次のように語る。

「当協会が手配するツアーは最小遂行人数10人で、これまでの最大は学校単位で来られた400人です。100人前後の団体さんも多いですよ。民間企業や有志の会、学校が多くを占め、消防団や自治体など行政団体は約20%です。繰り返し来てくださる方も多いですね。被災された語り部の話を聞いて帰った人が、感銘を受けて周りに話す。すると、聞いた方が自分も現地で話を聞きたいと思う。また一度、来た方が『南三陸はどうなっただろう』と、気にしてまた来てくれる。そうした連鎖が見られ、励みになります」

 視察ツアーは、学校教育や企業研修にはうってつけの場だと思う。草むしりやがれき処理も同時に行うと、なお学びが深いという。生きるとは何か、働くことの有り難さ、親や周りへの感謝など、これほど一度に学べる場所がほかにあるだろうか。南三陸に限らず、被災地は絶好の学び舎だ。

 

◆観光の使命

 震災観光の増加は喜ばしいが、職員の方々はほかにも仕事があり、休みは格段に減ったであろう。1年半、走り続ける原動力はどこから来るのだろうか。

「みんな全力で走って来ましたが、まだまだゴールは見えません。でも、いま我々ががんばらないと。震災観光を普通の観光につなげるために、視察に目を向けてもらっているときに、語り部のみなさんと協力して、できるだけ情報を発信しておきたいと思っています」(前出・佐藤さん)

 この夏、同協会ではうれしいことがあった。震災後初めて、震災前から行っていた体験学習を再開できたのだ。「ホタテやホヤの収穫体験でした。アメリカから来た学生さんが体験して喜んでくれ、我々もすごくうれしかったですね」(同)

 また、視察者から寄せられる手紙にも元気づけられるという。テレビで見て分かった気になっていたが、現地はまるで違うこと、もっと大変で、もっとがんばっていると思ったこと、身内を亡くした方が、辛さに耐えて語ってくれる体験は本当に貴重で、苦労の度合いが伝わってくることなど、参加者の感想はみんなの財産となっているようだ。

 

◆心根の持ち方

 南三陸を訪れるたびに思うのは、心根をどう持つかということである。元気なほうと、沈んだほう、どちらに影響を受けるかで、その後が決まってくるように思われる。

 たとえば、語り部たちはシニア世代だが、地元の人によると、妹さんや弟さんじゃないかと思うくらい若返っており、苦しみを背負いながらも使命感を持って生きているからだろうという。人の役に立ちながら懸命に生きることは自らも救い、感動も与えるのだ。

 ホテル観洋の阿部さんは4日間、家族の安否が分からなくても「目の前の現実に向かっていくことが役目」と考え、不安感をおくびにも出さなかった。未来を信じ、再開へのスタートダッシュが早かった。あのとき躊躇していたら、1周も2周も遅れていたでしょう、と阿部さんは考える。

 この1年半、阿部さんが休んだ日はなさそうだ。「休むという感覚はないんですよね。とにかく前進を考え続ける毎日です。私は、頭は弱いけれど、心は強いようで(笑)。親に感謝ですね」

 

◆これからの課題

 時間に追われて全体ミーティングの時間が持ちにくくなってきたことと、人材不足が課題だという。「お客さまが来てくださるのは本当に有り難いのですが、スタッフが足りません。当館はこの夏、創業40周年で初めて人材派遣会社に頼みました。地元の人に働いてもらうことが地域貢献と思ってきましたが、いないことには仕方ありません」と阿部さん。

 しかし、ほかの地域からのスタッフが増えることで、また新たな文化や勢いが生まれるかもしれない。阿部さんのもとであれば、良い結果になることだろう。

 半年後の2周年、3周年と、どのように課題を乗り越え、復興へ向かっていくのか、学び続けていきたいと思う。

 
著書『つなみのえほん』を手にする工藤真弓さん
著書『つなみのえほん』
を手にする工藤真弓さん

語り継がれる「つなみのえほん」(工藤真弓・著)

 南三陸町の丘に鎮座する「上山八幡宮」の神職・工藤真弓さんは、あの日、家族と神社の裏山へ逃げ助かった。しかし家は全壊、現在は40分離れた仮設住宅で暮らしながら、神事とまちづくりのアドバイスに力を注ぐ。大自然への畏命や命の大切さを伝えるために書いた「つなみのえほん~ぼくのふるさと~」は、紙芝居にもなって語り継がれている。

 
 
 
 
 
 
 
 

グランプリは松江女子と鶴岡中央

グランプリの島根県松江市立女子校
グランプリの島根県松江市立女子校

第4回「観光甲子園」グランプリは松江女子と鶴岡中央、応募は76校158プラン

  全国の高校生が地域の資源を生かした「観光プラン」を競い合うコンテスト、第4回「観光甲子園」(同大会組織委員会主催、石森秀三委員長)が8月26日、兵庫県神戸市の神戸夙川学院大学で開かれた。

 グランプリの文部科学大臣賞を島根県の松江市立女子高校、観光庁長官賞を山形県の県立鶴岡中央高校が受賞。松江女子は4回連続本選出場の甲子園常連校で、2010年の第2回大会でもグランプリの観光庁長官賞を受賞している。

 今大会には全国から76校が参加して158プランを応募。書類審査を経て予選通過した10校が本選出場を果たし、8人の審査員を前に12分間パワーポイントを使い、パフォーマンスを織り込みながらプランを発表した。

 松江女子は「自信が持てず、自分が嫌い」という人に、松江での「自分を変える旅」を提案。鶴岡中央は東北震災復興を願い、被災地も庄内も元気になる「癒し」のプランを提案し、復興へ向けたメッセージを発信した。

 なお、準グランプリには3校、優秀作品に5校が選ばれた。また、本選以外で特別賞として8校に旅行新聞新社社長賞など贈られた。

 受賞校は次の通り。

【グランプリ】
文部科学大臣賞=島根県松江市立女子高等学校「Lets’縁きりふれっしゅ~松江ではじまる新しい自分旅~」
観光庁長官賞=山形県立鶴岡中央高等学校「“脱・ありきたりの旅”PART2~被災地と庄内を結ぶ“Win Win”な癒しツアー~」

【準グランプリ】
大会組織委員長賞=清真学園高等学校「宙ガール、“星のリゾート”茨城に行く。~茨城をソラカラ復興支援~」
兵庫県知事賞=岩倉高等学校「自然満喫ハートフル旅行in兵庫~ローカル線&クルージングでバリアフリーな旅を!~」
神戸市長賞=長崎県立五島海陽高等学校「Wonderful Adventurous Natural Town~自然を体験できる素敵な街in五島~」

【優秀作品賞】
日本観光振興協会会長賞=愛知県立半田商業高等学校「知多半島の『ひと』めぐり、幸せ感じる感幸(観光)プラン~商都・半田で『ちたりあん』!?~」
日本旅行業協会会長賞=大阪府立能勢高等学校「能勢の味覚と悠久の時間を求めて-伝統の味で綴る旅-」
全国旅行業協会会長賞=島根県立邇摩高等学校「時を刻み夢の世界へいざなう~寝ても覚めても仁摩町ワールド~」
西宮市長賞=山形県立新庄南高等学校「本日開店、新庄トライやる!塾~親子の絆再発見ツアー~」
日本ホテル協会会長賞=奈良県立奈良朱雀高等学校「大和茶でほっこり?記紀万葉の旅~高校生プロデュース://奈良@時代.jp~」

【特別賞】
兵庫県教育長賞=岩手県立宮古商業高等学校▽ひょうごツーリズム協会理事長賞=長崎県立島原農業高等学校▽神戸市教育長賞=神奈川県立神奈川総合産業高等学校▽神戸国際観光コンベンション協会会長賞=京都府立桂高等学校▽西宮市教育委員会賞=和歌山県立新翔高等学校▽NHK神戸放送局長賞=岐阜県立加茂農林高等学校▽旅行新聞新社社長賞=青森県立弘前実業高等学校▽日本ヘルスツーリズム振興機構理事長賞=岡山県立林野高等学校

“日本一のおんせん県”

西田陽一会長(ホテル白菊社長)
西田陽一会長(ホテル白菊社長)

10種の泉質を大阪でPR、大分県

  湧出量、源泉総数ともに日本一を誇る温泉王国の大分県を「おんせん県」として売り出そうと8月31日、旅行会社や報道関係者を招き大阪市内で「日本一のおんせん県♨情報発信会」が開かれた。

 7月25日に発足した大分県内の宿泊・観光施設などで組織する「おんせん県観光誘致協議会」(会長=西田陽一ホテル白菊社長)が主催。西田会長が「大分を“日本一のおんせん県”としてさまざまなかたちで売り出していく」と宣言した。

森竹嗣夫大分県観光・地域局長
森竹嗣夫大分県観光・地域局長

 森竹嗣夫大分県観光・地域局長は「8月28日に県の2015年までの観光振興計画を策定した。今後は官民一体となり『日本一のおんせん県おおいた♨味力(みりょく)も満載』をキャッチフレーズに、日本一の温泉と素晴らしい食の魅力を、古くから関係の深い関西へ積極的にPRしていく」と述べた。

 説明会では、7月の九州北部集中豪雨による風評被害地として日田、竹田、中津市が現状を報告。JR久大本線の全線復旧により特急「ゆふいんの森」「ゆふ」は8月28日から通常通り運行、阿蘇市と竹田市を結ぶ国道57号の通行止めも8月20日に解除され、「元気な日田、竹田、中津市へお越し下さい」とPRした。

 さらに、別府八湯温泉Gメンリーダーで、おんせん県観光誘致協議会顧問の斎藤雅樹氏が「湯の個性と機能温泉浴」と題して講演。「世界に11ある泉質の内10種類がそろう大分はまさに“温泉のデパート”。草津温泉と同じ泉質なら別府の明礬温泉など、全国の名湯巡りが県内で楽しめる」と語った。

 さらに、「まず硫黄泉の明礬温泉で肌の老廃物を取り除き、次に保湿効果の高いメタ珪酸の鉄輪温泉に入ると美肌効果が高い」など、2湯を組み合わせて「美肌」「ダイエット」「癒し」などの効果を生み出す入浴法「機能温泉浴」を紹介した。

東北にもう1泊

来年2月まで福幸CP、東北観光推進機構

 東北観光推進機構は大手旅行会社5社の協定旅館ホテル連盟と共催で、東北エリアの宿泊施設に泊まると、抽選で東北の宿の宿泊券が当たる「もう一度東北!もう一泊!東北福幸(ふっこう)キャンペーン」を来年2月28日まで実施している。

 JTB、近畿日本ツーリスト、日本旅行、トップツアー、名鉄観光サービスの協定旅館ホテルに泊まると、抽選でペア500組(1千人)に、キャンペーンに参加する東北の宿泊施設のなかから希望する施設に宿泊できる宿泊券をプレゼント。さらにWチャンスで3千円相当の食事・土産利用券が1千人に当たる。キャンペーンチラシの応募ハガキに、宿泊した旅館等の押印を受け応募する。抽選は2期に分け実施する。

創立60周年を迎える

阿部充夫会長
阿部充夫会長

教育シンポで意見交流、日修協

 日本修学旅行協会は8月24日、ホテルグンランドパレス(東京都千代田区)で創立60周年記念式典と第8回教育旅行シンポジウムを開き、危機管理と訪日旅行の受け入れについてパネルディスカッションを行った。

 阿部充夫会長は「近年、修学旅行も周遊見学型から滞在体験型に移行している。また、今年は海外修学旅行が始まって40周年という節目の年でもある。国際関係の問題が複雑化するなか、修学旅行が国際理解協力と交流改善の掛け橋として大きな役割を果たすと期待している。修学旅行はこの10年で大きく変わってきたが、教育に果たす役割は基本的に変わっていない。学校教育の一環という本質から外れないよう、働きを継続していきたい」とあいさつした。

 

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 パネルディスカッションは、日本修学旅行協会の河上一雄理事長をコーディネーターに、東京都立三鷹中等教育学校・高等学校の仙田直人校長、東京都板橋区板橋第5中学校の小川達夫校長、教育旅行誘致観光カリスマの小椋唯一氏、京都市産業観光局MICE推進室の九鬼令和戦略推進担当部長、長崎県観光連盟の土井正隆専務理事、JTB旅行事業本部の山﨑誠教育旅行担当部長の6人がパネリストとして登壇。危機管理と訪日旅行の受け入れの2部構成で意見を出し合った=写真。

 第1部の危機管理は、各パネリストから東日本大震災当日の対応や、その後の対応、課題について報告された。長崎県観光連盟の土井専務理事は「長崎県内で行った教育旅行シンポジウムで、修学旅行生の受け入れ危機管理について認識を高めることができた。また、修学旅行生を対象に、市内で避難訓練を実施するなど危機管理の内容を充実させている」と語った。

 第2部の訪日旅行受け入れについては、訪日旅行客としてとくに多い、中国、韓国、台湾各国の修学旅行に対する意識の違いを指摘。国際問題を織り交ぜながら、今後の対応について話し合った。観光カリスマの小椋氏は「目的を絞った内容にすることが大事。場所が遠い国ほど直前でキャンセルがでやすいという現状がある。しかし、農業高校同士での交流など目的をもった修学旅行ではキャンセルが少ない」と話した。

将来の宿像を談論

 旅館の魅力は土地の魅力、宿文化を語る会

東京・浅草の「助六の宿 貞千代」で
東京・浅草の「助六の宿 貞千代」で

 旅行作家で現代旅行研究所代表の野口冬人氏が会長を務め、旅館の若手経営者や経営者候補など旅館業界の次世代を担う若手メンバーが今後の旅館業界や理想の宿像などについて語り合う「宿文化を語る会」の第2回会合が8月28日に「助六の宿 貞千代」(東京・浅草)で開かれ、自身が経営したい将来の宿像をテーマに話し合った。

 オブザーバーとして参加した貞千代の宿のご主人・望月友彦氏は、貞千代の現在のスタイルについて「交通の便が良く駅から近ければ、ビジネスホテルの方が経営し易かったが、ここは駅から距離があるので観光旅館にした。観光旅館の魅力は、その土地その土地の魅力を味わえることだと思うので、貞千代は江戸の町衆の雰囲気を前面に出した」と語った。

 「日本の宿 古窯」専務で「悠湯の郷ゆさ」を経営する佐藤太一氏は古窯とゆさのターゲット層や価格帯の違いを紹介。将来の宿像としては「10室くらいの自分だけで見きれる小さい旅館」をあげ、「大きい旅館はマーケットインの手法を使い多くのニーズを意識せざるを得ない。それとは対照的に、小さい旅館ならプロダクトアウトで宿の個性を出しそのコンセプトに合う客だけを迎えることができる。将来の夢としては現在の2旅館に加え、10室くらいの小さい旅館をやってみたい。シュミレーションしているが、オペレーションの仕方によっては10室でも黒字を出せる」と自信をのぞかせた。

 「雀のお宿 磯部館」社長の櫻井太作氏は宿の将来像として「日本人に分かるキメの細かいサービス」をあげた。「今は、学生や医者、薬業界などの会議や研修、法事など、どちらかというとニッチなニーズの団体を拾っているが、将来の夢としては、日本人に分かるキメ細かいサービスが売りの宿をやりたい。日本人のキメの細かさは世界一だと思う」と語った。

 旅行作家で現代旅行研究所専務の竹村節子氏の「日本旅館は何がベースか」の問いに、「ホテル 対滝閣」常務兼若女将の大澤昌枝氏は「日本文化や伝統の継承」をあげる。宿の将来像については「親のやってきた伝統を継承したい。日本文化をしっかりと繋いでいくことが一番大切」と語る。ただほかのメンバー同様に「自分の見える範囲の小さい旅館もやってみたい」との夢も抱く。

 そのほか、竹村氏からは外国資本が旅館を買い占める現状について、野口氏からはリタイア後の男性1人旅の増加や、連泊と何カ月にもおよぶ住みつきの違いなどについて提起され、参加者全員で意見交換。また、クレーム後の社員へのフィードバックや困った客への対応など、同業者だからこそ分かる悩みや迷い事について熱く意見が交わされた。

 なお、第3回の会合は来年1月下旬か2月上旬を予定。参加希望者は旅行新聞新社内にある「宿文化を語る会」事務局まで。電話:03(3834)2718。

三位一体の総合イベント

旅ファン拡大につなげる、旅博2012(JATA)

 日本旅行業協会(JATA)は9月20―23日に東京ビッグサイトで「JATA国際観光フォーラム・旅博」を開く。23回目を迎える今年は、海外旅行・訪日旅行・国内旅行の総合的なイベントとして、さらなる旅行業界の発展、〝旅ファン〟の拡大を目指す。

 21日は、旅行業界関係者は無料で参加可能。豪華な講師陣を迎え、「業界日セミナー」も行われる。すぐに役立つ旅行業界のタイムリーな情報を発信。

 国内外旅行関連をはじめ、苦情対応、人材教育、バリアフリー関係やリスクマネジメント、昨年好評だった鉄道写真家によるセミナーなどバラエティに富んだ内容になっている。

 今年初の試みで、同日18―20時に「JATA FESTA(ジャタフェスタ)」も開かれる。旅行業界関係者、出展者を対象にしたネットワーキングで、同業者の親交促進、旅博参加バリューの向上が目的。

 世界の料理が堪能でき、大道芸やネイルサービス、占いコーナー、DJによる音楽パフォーマンス、豪華賞品があたる企画など、フェスティバルにふさわしいアトラクションを用意。代表・役員から若手社員まで、カジュアルに楽しみながら交流を深めることができる。出展者による小間内レセプションも同時開催。

 22―23日は一般来場者向けで、150を超える国と地域から出展。総出展小間数は史上最大規模の1100小間に迫る数を記録している。各国の趣向を凝らしたブースやステージパフォーマンスが楽しめる。

 また、異業種とのコラボレーションも充実。創立100周年を迎えた吉本興業(よしもとクリエイティブエージェンシー)のグッズ販売や、人気芸人のステージパフォーマンスがある。

 さらに、毎年11月に同会場にて開かれている「東京ネイルエキスポ2012」も出展。〝お支度から楽しむ旅〟をテーマにネイルの無料体験や、ゲストを招いたトークショーも行う。

 22日の顕彰事業「ツアーグランプリ2012」や、23日のグランドフィナーレで行われる「おもしろ旅大集合!」の表彰式も注目プログラムの一つ。

 詳しくはURL=http://www.jata-jts.jp/

訪日外国人消費動向調査12年4―6月(観光庁)

 ビジネス客が増加、FITは「再訪意向」高い〈震災前年同期と比較

 観光庁はこのほど、2012年4―6月期の訪日外国人消費動向調査の結果から10年4―6月期と比較し、震災前後の訪日外国人客の属性変化と観光目的の個別手配客の特徴をまとめた。それによると、12年4―6月期の訪日外客は前々年と比べてビジネス客・リピーター・個別手配客が増加。個別手配率は韓国で56%、台湾で37%、中国で23%にのぼる。また、個別手配客は再訪意向の「必ず来たい」が多い傾向にある。

  日本政府観光局(JNTO)が発表する訪日外客数によると、12年4―6月期はおおむね震災前の10年並みの水準に回復している。国別では台湾・中国・タイ・マレーシアが10年と比べて増加。一方、韓国・香港・シンガポール・インド・英国・ドイツ・フランス・ロシア・米国・カナダ・オーストラリアは震災前の水準まで回復していない。

 訪日外国人の1人当たりの旅行中支出額をみると、震災前の10年と震災直後の11年を上回る11万4千円。国籍別では中国・英国・カナダで年々増加傾向にある。ほとんどの国籍で宿泊料金・飲食費・交通費が10年より増えているほか、中国では買い物代も増加した。

 属性をみると、12年のビジネス客は74万4千人と10年の1・4倍に増え、とくに台湾・中国・韓国での増加が顕著。 来訪目的では「その他ビジネス」や「親族・知人訪問」が増加し、「観光・レジャー」が大きく減少した。来訪目的別の消費単価では「観光・レジャー」で1万6千円、「展示会・見本市」で2万8千円増加し、「その他ビジネス」「親族・知人訪問」では単価が下落している。

 同行者をみると、ビジネス客増加の影響で「自分ひとり」「職場の同僚」が増え、観光・レジャー客減少の影響で「家族・親族」「友人」が減った。

 訪日回数では「10回以上」のリピーター客が41万1千人で10年の1・3倍に増え、「1回目」が減少。「10回以上」のリピーターは韓国・台湾でとくに増えている。

 手配方法をみると、パッケージツアーを利用しない個別手配客は150万3千人で、10年の1・1倍に増加。パッケージツアー利用客は10年より18万3千人減っている。とくに中国・台湾での個別手配客の増加が顕著。個別手配客の比率をみると、韓国が56%、台湾が37%、中国が23%となった。手配方法別の消費単価では、パッケージツアー利用客では大きな変化はないが、個別手配客の単価は年々増加し、12年は13万7千円と、10年に比べ1万2千円アップしている。

 個別手配観光客の特徴をみると、20―30代の訪日リピーターが多い。訪問先は東京・大阪に集中し、買い物では服・かばん・靴の支出額が高い。情報源は個人ブログや日本在住の知人に頼ることが多く、現地情報のニーズでは交通手段情報のニーズが高い。

 再訪意向はツアー客に比べて高く、韓国では個別手配客の42%、台湾では個別手配客の73%、中国では個別手配客の61%が、「必ずまた来たい」と答えている。

No.320 対談・古代史「ホツマツタヱ」の旅 - “縄文観光”で日本各地を巡ろう

対談・古代史「ホツマツタヱ」の旅
“縄文観光”で日本各地を巡ろう

 古代史「ホツマツタヱ」をもとに、日本各地の神社・イワクラ・遺跡を巡る旅をしている一糸恭良氏(東神商事代表取締役)と、東洋大学准教授の島川崇氏が「縄文観光を楽しもう」をテーマに対談した。ホツマツタヱは古代文字による縄文時代の歴史書で、紀元前5000年ごろから始まる天皇の出来事がつづられている。さまざまな歴史論争とは関係なく、古代(縄文時代)の祖先が詠んだ和歌や、水田づくりなどの起源を想像しながら、日本各地を旅する「縄文観光」を楽しむきっかけにしたい。

【増田 剛】

「伝承」を訪ね、歴史を知る
論争ではなく古代を楽しむ

島川:歴史をテーマとする観光をどのように構築していけばいいか――。いつも大きな示唆をいただいている一糸さんに今回は「縄文観光を楽しもう」をテーマに、ヒントになる話を期待しています。  それでは、まず、「ホツマツタヱ」という一般には耳慣れない言葉ですが、そこからご説明をお願いします。

一糸:「ホツマツタヱ」というのは古代文字による縄文時代の歴史書です。1966(昭和41)年に「現代用語の基礎知識」(自由国民社)の初代編集長、松本善之助(まつもと・よしのすけ)さんという方が古代のことに非常に関心が強く、さまざまな文献などを探しているうちに、東京・神田の古書店で「ホツマツタヱ」を紹介する本に出会いました。

 

※ 詳細は本紙1474号または9月15日以降日経テレコン21でお読みいただけます。

大型旅館の責任と輝き ― 地域の旗館に羨望の視線

 高山に向かう途中の下呂駅に「ワイドビューひだ」が到着したときに、女性の乗客たちは車窓から、「ほら、あれが水明館よ」と指さすと、一斉に視線が集まった。地域を代表する旅館に向けられた多くの旅行者の羨望の眼差しに出会った瞬間だった。その視線は、和倉温泉の加賀屋や、かみのやま温泉の日本の宿古窯なども同じであろう。日本や、地域を代表する大型旅館には、多くの羨望を集めるだけの輝きを有しているのだ。

 旅館業界は長らく苦戦している。とくに、大型旅館といわれる宿は、団体旅行が減少傾向にあるなか、個人や小グループ客で客室を満たすには、相当な経営努力が必要だろうと思う。

 世間一般には、「旅館は小規模の時代だ」「小さな旅館の方が宿の個性を出しやすい」といった論調が主流で、超弩級の大型旅館は、どこか時代遅れの匂いが漂っているように捉えられがちであるが、一流と言われる大型旅館の経営者の手腕と努力は、凄まじいものである。

 小規模旅館と比べて「個性に乏しい」などというのは、経営者は百も承知である。過大な期待を胸に訪れる“あらゆる層”の宿泊客に、事前の期待を損なわないよう満足していただく」という、不可能に近い挑戦を日々行っているのである。その切磋琢磨が、大きな楼閣にオーラのような輝きを纏い、旅行者に「あれが○○旅館か……」と憧れの眼差しに変えるのだ。

 地域を代表する旅館のほとんどは、地元の食材を使い、地域の雇用を守っている。それだけの重い責任を背負っている。これら旅館が駄目になってしまえば、地域の火が消えたように寂れてしまうのだ。どうか、誇り高く、地域全体の活性化のために、「地域の旗館」「日本の旗館」として温泉地を引っ張り、いつまでも輝いていてほしい。

 私は温泉地の雰囲気が好きだ。伊香保や城崎、鳴子、野沢、草津、由布院、渋温泉などは優れた旅情があっていい。大型旅館や小規模旅館、歴史的名旅館、民宿などが混在し、共同湯もあり活気がある。先日、早朝の鳴子温泉を歩いていたら、大型旅館の女将や番頭たちが、観光バスに乗り込む宿泊客を大きな声で見送る景色が清々しかった。その近くの小さな宿で、植木に水をあげる見知らぬ若女将とあいさつを交わした。大小さまさま。温泉地は、何より朝が命だ。

(編集長・増田 剛)