2012年3月22日(木) 配信

厳しい市場環境にありながら、高品質のおもてなしサービスを提供しお客様を集客している旅館が多くある。このような旅館は従業員の職場環境を整え、お客様と真摯に向かい合える仕組みができている。今回からスタートする「いい旅館にしよう!」プロジェクトでは、先進的な取り組みをしている旅館経営者と、産業技術総合研究所の工学博士・内藤耕氏が「コストをかけない経営改革」について語り合う。第1回目は、客室を減らして、客単価を大幅にアップさせた、宮城県・鎌先温泉の時音の宿 湯主一條の一條達也社長だ。
【増田 剛】
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一條:私は2003年6月に20代目の社長に就任した。先代が亡くなり事業を継承したわけですが、初めて会社の内部事情と経営の大変さを知りました。
当時は、観光客向けの旅館部の客室が26室、木造建ての湯治部の部屋が41部屋で計67部屋。勤めていた東京のホテルから帰ってきた1999年から社長になる03年までの4年間も、次第に客足は遠のいていった。湯治部はエアコンがないので、夏は暑いし冬は寒い。鍵はかからないし金庫もない。東京のホテルで普通にあるものがまるっきりなかった。自分の家よりも環境の悪いところにお客様がお金を出して泊まりたいわけがない。温泉を目的に来る人が減っているのに宿の考え方を変えられなかったのです。
そんなときに、女将が「私だったらこうしたい」と日々感じていたことを「宿の改善ノート」としてまとめており、それを一つひとつ実践していきました。東京のホテルで働いていた女将は旅館出身ではないので、そもそも私とは発想が違う。そして私自身も外資系のホテルで働いた経験があって本当に良かったと思っています。
夕方4時の時点でパントリーに天ぷらが用意されていたことや、家族客なのに、鍵が一つしかないこと、お造りはどこに行ってもマグロとイカとエビ。もうこういうのはやめようと思ったことなどを一つひとつ女将と話し合いながら改善していった。今でも女将とは熱く議論を交わすこともあります。そのなかで、最初に取り組んだのが3500円の自炊の湯治場をやめて個室料亭にする構想でした。
まずは3階建ての最上階を料亭にしましたが、7500円の1泊2食付きの湯治を残していた。湯治客は寝るのは夜の8時から9時の間。上の階の料亭の客は最高潮の時間帯のため、「眠れない」という問題が生じてきました。やがて2食付きの湯治客も次第に遠のいていきました。しかし、旅館部の実績は確実に上がっており、新たな客層への手ごたえも感じていたため、08年に湯治を完全にやめました。木造建ては全館個室料亭に改修し、旅館の宴会場もスイートにするなどオールリニューアルした。また、8部屋を4部屋にして部屋を広くするなどして、現在24部屋となったのです。
「自分の旅館の考え方に共感してくれる人だけが来てくれればいい」と、思い切ってお客様のセグメントに取り組みました。女将の改善策が一つひとつ実を結んでいったという裏付けがあったから、思い切ったリニューアルができたのです。今一番多い客層は40代。やはり、自分たちと同じ世代に響いているのかと思う。古いものも大切にしているので、世代を超えて共感してくれるお客様が来てくれています。
内藤:一條社長のすごいなと思うのは、客室を減らすという決断をしたこと。実際、年間宿泊人数が1万6千人から1万3千人に減っていますが、先に客室を減らして売上げを上げるという戦略はなかなかできない。
一條:「深呼吸と同じで、まず吐かないと吸えない。従来のやり方を捨てないと、新しいことができない」とある人に教わりました。湯治をやめることや、大広間をつぶすことに「もったいない」「団体客はどうするの? 機会損失するよ」という周囲の声も耳に入った。でも、自信のない経営者ほど間口を広げたがる。私たちがやりたい宿は「少しでも単価を上げて、宿のコンセプトに合ったお客様に来てほしい」ということでした。
内藤:客室数を減らすことに、銀行は反対しなかったのですか。
一條:全然反対はなかったですね。実績も上がっていましたし、説得力を持って説明すると「どんどんやってください」と。
内藤:コンセプトをはっきりさせてそれを徹底的に追求していくと、宿に見合ったお客が訪れるようになる。品質が上がったことで、それに相応する対価が受け取れるようになる。そして、ターゲットを絞ると顧客満足が上がる――。分かりやすいストーリーですが、現実にはなかなかできないことを一條社長は実際にやられた。
経営について考えたり、議論したりするとどうしても足し算の経営になってしまう。どこの旅館もラーメン屋にかつ丼をつけてしまうようなことをやってしまいがちなのですが……。議論せず、決めたことをひたすら徹底するのが本当の経営者なのだと思う。
一條:コンセプトがしっかりしていれば、そのコンセプトに合わないお客様は来ない。クレームも起こりづらい。また、顧客を絞ることで宿の一貫性が出る。宿のホームページや、新聞・雑誌の広告にも統一感が出る。
私は地元の人であっても一切値引きをしません。最初は批判もありましたが、それが宿の信用を高めていったのです。たった1%の値下げがどれだけの営業利益を蝕んでしまうことか。例えば1万5千円のうち、150円の値引きでもそうなのだから、3千円も値引きしている宿は本当に大丈夫なのかと心配になります。
――最初に個室料亭にリニューアルされましたが、料理で勝負しようと考えたのですか。
一條:1―2週間滞在される湯治客が多かったので、メインとなる料理がなかった。それで考えたのが、ホテルにもグランドメニューがあり、これに一品料理を加えるというスタイルなら、調理場の在庫も無駄がなくなる。お客様に喜ばれ、従業員も働きやすく、宿の利益も上がればそれが一番いい。女将が全体のオペレーションを考えています。
内藤:湯主一條は建て増しなので、階段がたくさんあって館内で迷ってしまう。この対策として、あえて階段を封鎖して、多少遠回りになるけどお客様が迷わないようにしたところが面白いですね。そして宿のスタッフの服装も作務衣から、黒服のスーツ姿に変えたのも大きな特徴。階段で荷物を運ぶことが多いスタッフが動きやすく、働きやすく改善された。
一條:方向感覚を失いやすい螺旋階段をやめて、案内をするときも「これから一條の森へ」と案内することで、迷いやすい空間を逆手に取ってストーリーを作りました。 黒服のスーツ姿はお客様からも「心地よい緊張感がある」との声も多いですね。宿のコンセプトは「タイムスリップ」。一晩、一條の森の中を彷徨い歩いてもらわなければならない。そうするとスタッフの姿も作務衣よりも洋服の方がいい。料亭は大正ロマン風の障子の個室の和室に椅子・テーブル席のレストラン風で、お客様にはぴったりと合う浴衣を着ていただいています。
内藤:多くの経営者は導線を短くして利便性を高めることを第一に考えますが、一見非効率であっても、導線を短くした結果、お客が迷うという後の不便を解消した一條社長の選択は素晴らしいと思う。迷うことのコストの方が高い。
――現在従業員は何人ですか。
一條:経営者を除き、パートさんを入れて36人。清掃が17人。お客様は客室と食事をするレストランの2部屋を使える。このため、清掃は両方をやらなければならないので、人的費用がかかってしまう。寝る部屋と食事の部屋が一緒の方が宿としては楽なのですが、流れをスムーズにお客様が移動している間に色々なことをやればいいと思っています。ひと手間かかるが、いいサービスをしようと思えば、人手はかかるのです。
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内藤:私もよく湯主一條を利用しています。朝は洋食を選択していますが、以前は卵料理は自動的にオムレツでした。外資系ホテルのコンシェルジュをやられていた一條社長の経験があるのに、少し不足を感じたので、「オムレツや目玉焼き、スクランブルエッグを作る手間は、どれもそれほど変わらないはず。コストをかけずにお客様のバリエーションに対応できる」と提言すると、すぐに対応していただけました。
一條:女将と「そういうこともやらないとね」と言っていた矢先に内藤さんに指摘されました(笑)。2人で悩んでいる時に、内藤さんのようなアドバイザーから「同意」と「承認」があるとうれしいものです。我われ旅館経営者は、「私はいいと思いますよ」という外の声によって、背中を押してもらいたいのです。
内藤:コストを上げずに品質を上げる方法が大切なのです。一條社長は料理の原価管理を毎日やって仕入原価を下げた。
一條:子供は大人の70%、60%という料金も、0・7人、0・6人と変換して、お米や魚、調味料など仕入れた材料すべてを毎日計算します。1カ月の仕入原価の累計を宿泊客で割ると、目標値に対しての無駄も分かるし、不良在庫などもチェックできる。これを始めてから厨房の仕入を把握でき、内部留保も溜まるようになりました。
内藤:そのほかにも、以前は引き戸だったが、厨房と料亭の間を自動ドアにされましたね。
一條:両手に料理を持っていると、開け閉めできない。夏だと気温が上がるし、虫も入って来て不衛生になります。
昨年の震災の3月11日から4月22日まで休業して、その間にお客様がいるとできない露天風呂の改修など、これまでやりたいけどできなかった部分の改装・改修を全部やった。4月23日に再オープンしたときに、稼働率は96%だった。復興工事の予約を受ければ日銭を稼ぐことはできたが、でも休むという選択によって、お客様に支持されるという選択をしたと思っています。日ごろの余力があったからそのような判断ができた。日々、利益を生む体質にしているかが、宿の一番のポイントだと思う。昨年は東日本大震災があって前年比99%だったが、震災がなければ間違いなく前年は超えていた。今も増収増益を続けています。
内藤:お客に影響のない部分の徹底したコスト削減努力は必要です。
一條:そうですね。お客様に影響するところでやると、お客様は遠のいてしまう。一方で、コストをかけるべきときは大胆にかける。私たちは震災でどこも広告を出さなかった時期に前年の2倍の広告宣伝費をかけました。フルカラーで「4月23日再オープンします」と連続して新聞広告も出したので、ものすごい大きなインパクトになった。これは他の業界の人にも勇気となるし、地域の鎌先温泉の旅館にとっても「鎌先は大丈夫なんだ」と消費者に理解されるメリットもある。世の中のムードと逆のところに利益が隠れていると思っています。
内藤:不幸な災害だったが、東日本大震災で本当のお客様は誰なのかを多くの旅館でも知り、学ぶ機会になったのではないか。一條社長は21世紀の旅館像についてどう考えていますか。
一條:宿の大小にかかわらず、旅館の経営者の「想いが伝えられる」宿が残るのだと思う。SEO対策などテクニックではなく、「私たちの宿はこうです」という想いに共感してもらえる客がいる宿。次の段階では、さらに客室数を減らすことも考えています。