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「街のデッサン(239)」文化を生み出す人間が、観光資本の原点 ドラマツルギーツーリズムへ

2021年3月14日(日) 配信

フォーラムは能舞台を背景に開催

 都市や地域にどんな価値ある「観光資本」が存在しているか。それら多様な観光資本の関係性やカテゴリーの見立て、活用の展開、資本価値の順列、そしてその資本類型を観光価値へ昇華させる方法論がこれまでに深耕されてこなかったのではないか。

 そう感じたのは、佐渡の文化観光フォーラムで基調の話をさせていただいたのがきっかけだ。そしてその背景には、観光資源の発見や商品化の研究と議論はたくさんあっても、観光の資源を素材や原料にして価値あるものに磨き上げて資本化する発想が希薄であったために、資源が商品化され得なかったのではないか、とも考えられる。

 「文化観光」を地域観光の大きな柱として捉えるときに、文化という抽象概念を観光価値に育てていく必要がある。地域資源を価値あるものに変えていくためには資源の存在の奥にある意味や歴史、暗示などを発掘、感知し、文化としての価値概念を実体化していくことが、資源のキャピタライズ(資本化)を可能にさせる。

 私は佐渡を訪れたときにあまりの観光資源の豊饒さに惑わされた。佐渡といえば、誰でもが思い浮かべるのは「金鉱山の島」であろう。それら鉱脈の存在が古くから認知されていたが、金銀の存在が江戸時代に国際交易の不可欠な交換貨幣となり経済力を示すことから、幕府は大々的な発掘拠点として開発していった。当時の先端開発人材や技術、文化がそっくり佐渡に集積され、佐渡は孤島ではなく江戸の出島となった。

 この地は、歴史的に「流人の島」でもあった。その多くは、一般的悪行を働いた罪人ではなく、政治犯や宗教的逆賊、ときに美の規範を越境する異端であった。彼らは、いわば知識人であり、社会的地位を持つ人物であった。彼らが佐渡に流され、数年の滞在で残したものは、思想であり、美学であり、生き方の哲学であった。

 私は観光資本マトリックスの中に、資本としてのカテゴリーに観光の基盤である自然資本や事業資本に上位して、人間資本と文化資本を置いた。とくに、異端の存在は日本の他の島には皆無の、佐渡の卓越した資本である。歴史の中で、優れた歌人や能役者(世阿弥は世界で最も高次な芸能論を物にした)、日蓮のような宗教者が佐渡を思想や美学の涵養の場とした。私は佐渡生まれの天性的な思想家・北一輝も含め、佐渡を訪れる人々が人生をドラマチックに生きるための学びの場として先人(人間)に出会う島だと捉える。その旅を「ドラマツルギーツーリズム」と考えたい。

コラムニスト紹介

望月 照彦 氏

エッセイスト 望月 照彦 氏

若き時代、童話創作とコピーライターで糊口を凌ぎ、ベンチャー企業を複数起業した。その数奇な経験を評価され、先達・中村秀一郎先生に多摩大学教授に推薦される。現在、鎌倉極楽寺に、人類の未来を俯瞰する『構想博物館』を創設し運営する。人間と社会を見据える旅を重ね『旅と構想』など複数著す。

 

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