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近過ぎては見えなくなる ― 外側から目を光らす姿勢を

2014年2月11日
編集部

 白洲次郎氏と正子氏が暮らした東京・鶴川の旧白洲邸「武相荘」を訪れた。天気の良い冬の朝だったが、寒さはそれほど厳しいものではなく、首筋にかかる冷たい風が清々しく感じた。竹林に囲まれた小高い敷地は、今は住宅街の一角となっているが、静謐さは保たれていた。

 茅葺屋根の武相荘は、白洲次郎氏が40歳のときに、1942年当時鶴川村だった農村に正子氏とともに越して来たものだ。正子氏の書斎や日常使われていた高価な食器、アイデア溢れる何気ない装飾品などをゆっくりと見て回った。農家の古民家を自分たちの暮らしやすいように少しずつ作り上げていった夫妻の美意識の結晶は、学ぶものがとても多く、生きるうえでの本当の豊かさについても考えさせられた。

 白洲次郎氏が戦時の疎開先として、東京都心から少し離れた農村を選んだ理由は、英国留学中に憧れた、英国貴族のスタイルである「中央にいるよりも、外側にいて政治に目を光らせる“カントリー・ジェントルマン”」を志したからだといわれている。

 近すぎては見えないものが、少し離れるとよく見えるということは実際によくあることだ。 とくにマスコミの世界では、権力の中枢や、話題の事件の渦中にどっぷりと浸かっているために、全体像が見えなくなっている報道の仕方に出会うことがある。また、時の権力者とべったりの新聞人や、言論人、あるいはジャーナリストを名乗る人がいるが、これも「近すぎる関係」の弊害だ。とりわけ権力者とは一定の距離以上近づかない姿勢が大事なのだと思っている。私の知る多くの記者やジャーナリストは男女問わず “紳士的”であり、とても尊敬している。だが、中には取材相手に妙に馴れ馴れしい態度ですり寄ったり、身の程を弁えずに大きな態度を取ったりする人もいる。

 山で小さな宿を経営しながら、鳥瞰的な見識を持った方々に出会う機会が少なからずある。これは仕事上の幸運なことの一つだ。東京という政治、経済、権力の中心から離れ、平地よりも少し高い山から冷静に世の中を見ている人たちの語る言葉は、とても強い力を持っている。生半な身の私なんぞには胸に突き刺さる言葉が多い。

 山での生活者が、都会生活者と大きく違うところは、「野生の動物や植物との共存関係」という環境の“最前線”に生きていることだ。木の葉一枚の変化さえ敏感に察知し、地球規模の変化として大局的に物事を考えることができる。都会にいれば、さまざまな情報が洪水のように入ってくるが、それは自分自身の目や耳、鼻、指先で実際に感じたものではない。

 1千年前の「源氏物語」の主人公たちは、都の権力の中枢にあり、雅で華やかな世界に生きながら「罪滅ぼしのため」や、現世の苦しみから離れ「遁世し静寂な余生を送りたい」という理由から、折あるごとに出家願望を口にし、また、お互いが“俗の世界”に引き留め合うところが愛らしい。今も昔も激しい権力闘争や恋愛沙汰に疲れ、「隠遁生活」に対する憧れの気持ちは変わらないのだろう。

 しかし、現在においては、現実の厳しい世界から逃避して、さまざまな煩わしさや不都合さから目を背け “隠遁”しているのは、むしろ都会生活者の方なのではないかという視点も必要だ。

(編集長・増田 剛)

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