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【特集No.540】シャトレーゼHD 齊藤寛会長に聞く 「良いものをリーズナブルに」

2019年11月20日
営業部:古沢 克昌

2019年11月20日(木) 配信

 2019年春に、山梨県・石和温泉の老舗旅館「富士野屋夕亭」が、リゾート事業を展開する「シャトレーゼグループ」に仲間入りした。食品総合メーカー「シャトレーゼ」(本社=山梨県甲府市)の創業オーナーで、現在はシャトレーゼホールディングスの代表取締役会長でもある齊藤寛氏に、観光に対する想いやビジョン、今後の計画などについて聞いた。

【聞き手=本紙社長・石井 貞德、構成=古沢 克昌】

 ――シャトレーゼグループの創業から現在にいたる歴史を教えて下さい。

 65年前の1954年に焼き菓子店「甘太郎」を創業しました。シャトレーゼという社名は、フランス語で城の「シャトー」と、ブドウの「レザン」を合わせた造語で、「ぶどうの城」を意味します。洋菓子だけでなく、和菓子やアイスクリーム、パン、ピザ、ワインと幅広く展開しています。

 勝沼の葡萄園とワイナリーをやっている家に、7人兄弟の長男として生まれました。学校を卒業して、山梨県の果樹試験場に行って勉強してきました。果物のことはわかるけれど、お菓子のことは何もわからない。父親は農家の割に事業が好きで、当時菓子屋をやってみたのですが上手くいきませんでした。そこで今度は自分が菓子屋を起業し、やるからには「日本一のお菓子屋」を目指そうと行動に移しました。

 最初は単品でスタートし、今はアイテムで400種類ほど作っています。焼き菓子で開店した途端に、朝から夜中まで行列ができました。慌てて山梨と長野にチェーン店を10店舗ほど出したのですが、焼き菓子なので冬はいいけれど夏は売れない。そこで考えたのがアイスクリームです。当時の山梨ではアイスクリーム産業が全盛期でした。

 自宅の隣の葡萄園を潰して、そこにアイスクリーム工場を作って始めたのですが、東京オリンピックの年(1964年)で、もうすでに大手メーカーが全国に販路を押さえていました。作ることは覚えたのですが、肝心の販路がない。苦労しまして、アイスクリームは20年間赤字でした。大手メーカーと競ったのでは勝負にならない。それならば「大手メーカーにできないことをやろう」と思いました。…

 

【全文は、本紙1777号または11月27日(水)以降日経テレコン21でお読みいただけます。】

 

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