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大型旅館の責任と輝き ― 地域の旗館に羨望の視線

2012年9月11日
編集部

 高山に向かう途中の下呂駅に「ワイドビューひだ」が到着したときに、女性の乗客たちは車窓から、「ほら、あれが水明館よ」と指さすと、一斉に視線が集まった。地域を代表する旅館に向けられた多くの旅行者の羨望の眼差しに出会った瞬間だった。その視線は、和倉温泉の加賀屋や、かみのやま温泉の日本の宿古窯なども同じであろう。日本や、地域を代表する大型旅館には、多くの羨望を集めるだけの輝きを有しているのだ。

 旅館業界は長らく苦戦している。とくに、大型旅館といわれる宿は、団体旅行が減少傾向にあるなか、個人や小グループ客で客室を満たすには、相当な経営努力が必要だろうと思う。

 世間一般には、「旅館は小規模の時代だ」「小さな旅館の方が宿の個性を出しやすい」といった論調が主流で、超弩級の大型旅館は、どこか時代遅れの匂いが漂っているように捉えられがちであるが、一流と言われる大型旅館の経営者の手腕と努力は、凄まじいものである。

 小規模旅館と比べて「個性に乏しい」などというのは、経営者は百も承知である。過大な期待を胸に訪れる“あらゆる層”の宿泊客に、事前の期待を損なわないよう満足していただく」という、不可能に近い挑戦を日々行っているのである。その切磋琢磨が、大きな楼閣にオーラのような輝きを纏い、旅行者に「あれが○○旅館か……」と憧れの眼差しに変えるのだ。

 地域を代表する旅館のほとんどは、地元の食材を使い、地域の雇用を守っている。それだけの重い責任を背負っている。これら旅館が駄目になってしまえば、地域の火が消えたように寂れてしまうのだ。どうか、誇り高く、地域全体の活性化のために、「地域の旗館」「日本の旗館」として温泉地を引っ張り、いつまでも輝いていてほしい。

 私は温泉地の雰囲気が好きだ。伊香保や城崎、鳴子、野沢、草津、由布院、渋温泉などは優れた旅情があっていい。大型旅館や小規模旅館、歴史的名旅館、民宿などが混在し、共同湯もあり活気がある。先日、早朝の鳴子温泉を歩いていたら、大型旅館の女将や番頭たちが、観光バスに乗り込む宿泊客を大きな声で見送る景色が清々しかった。その近くの小さな宿で、植木に水をあげる見知らぬ若女将とあいさつを交わした。大小さまさま。温泉地は、何より朝が命だ。

(編集長・増田 剛)

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