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中途半端な改革 ― 時代に追い抜かれる(4/1付)

2012年4月1日
編集部

 今年の春の訪れは遅かった。3月末なのに、桜はほとんど咲いていない。冬がとても長く感じていた。そして昨年の東日本大震災以降、ずっと得体のしれない息苦しさを感じている。

 3・11の後も、日本列島は不気味に揺れ続いている。仕事中に突如として大きな地震が来たり、眠る直前にも布団の中で微かな揺れを感じる。これがきっとどこかで心のストレスになっているのだろう。ついこの前、夜一人で仕事をしていると、大きな揺れが長く続いた。そのときは、どうなってもいいやと、揺れに身を任せていた。少し疲れていたのかもしれない。被災地の方々は、寒さのなか、収まる気配のない揺れに相当なストレスを溜めているはずだ。

 だが、どんな精神状況にあろうと、長い冬が遠ざかり、明るい日差しと薄紅色の桜が町を彩り始めると、気分的に軽やかになってくる。生命力に満ち溢れた「春」という季節は、私のような取るに足らぬ者にも活力を与えてくれる。

 さて、地震の揺れについては、我われの力ではどうにもならない。このため、十分な備えをして置く事しかできないが、人間による政治の揺れの方が、どうにも収まらない。

 前政権党から、現政権党に交代したとき、多くの一般市民は、コンクリートのような長い冬が終わり、新鮮な「春」が訪れたと、かつてない大きな期待に満ち溢れた時期があったのではないだろうか。しかし、その時期はあまりに短かった。現政権党は、前政権党に揺さぶられ、次第に前政権党の政策に近づいてきている。これでは、夢も希望もない。冬に逆戻りしているようなもの。改革を求めた国民は今、路頭に迷っている。

 フランス革命でも、第一身分(聖職者)を批判して、第二身分(貴族)が第三身分(市民や農民)と妥協的な社会の枠組みを模索しようとしたが、もっと大きな改革を望む市民によって、歯車が動き出し、第二身分の貴族は、時代の流れに追い抜かれてしまった。国家は滅多に揺らがない。だが、一旦動き始めると、中途半端な改革は、さらなる大きなうねりに埋没し、時代に取り残されてしまう。行き過ぎによる揺り戻しを何度か繰り返しながら、しかるべき新たな秩序が生まれる。現政権は、このままでは時代(国民の意志・民意)に追い抜かれるだろう。

(編集長・増田 剛) 

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