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わざわざ店に行く意味 ― 働く姿をもっと見せて(3/1付)

2012年3月1日
編集部

 人が働く姿というのは、見ていると楽しいものだ。いつまで見ていても飽きない。このように書くと、ものすごく閑な人のように思われるかもしれない。

 田舎の町で生まれたこともあるが、まだ子供のころ、駅の改札口でベテランの駅員さんが次々と差し出す乗客の切符に鋏を入れる姿は、食い入るように見ていた。足でリズムを取りながら、カチカチと待ち時間も鋏を鳴らす手だれた仕草は、子供の目にも味があるように映ったのだろう。銀行や病院での待ち時間は、雑誌に目を落とすよりも、窓口で接客している銀行員や看護師さんなどの表情や働きぶりを眺めている。そうすると、あまり退屈を感じない。公園でぼんやりしているときは、数十人の園児を引率している幼稚園の先生などを眺めるのはすごく楽しい。泣いている子を慰めたり、いじめた子に言い聞かせたり、大変そうだけど、見ていて飽きることはない。

 この前、休日に大型スーパーのレジの列に並んでいたら、向かいの小さなドーナツショップで、店員の若い女の子が楽しそうに接客していた。3人ほど若い店員がいたのだが、彼女だけが本当に楽しそうに接客しているのだ。その店のドーナツを食べていないから、味が美味しいのか、どうかはわからないが、ひっきりなしにお客が吸い寄せられていた。ドーナツを食べる幸せだけでなく、彼女と接することで幸せな気分になれそうな空気を纏っているのが印象的だった。コーヒーショップでも、居酒屋でも、働いている人に自然と目が行く。そして楽しそうに働いている人のいる場所に、多くの人が集まる気がする。

 コーヒーを飲む場合も、飲み屋でビールを呑む場合も、どうして人はわざわざ店に行くのだろう。自動販売機やスーパーで買って、落ち着く自分の家で飲んだ方がずっと安上がりであるのに、割高であっても、雑然としたお店に吸い込まれていく。それは、きっと「働いている姿が見たいからだ」ということが、ようやくわかってきた。

 お客のため、そして自分のために働いている姿を眺めながら、酒を呑み、ツマミを食べるから美味しいのだ。座った席から厨房が見えずに、出来上がった定食がヒョイと出て来てもあまり感動がないのは、そのせいだ。世の中、もっと、もっとお客さんに働く姿を見せたほうがいい。

(編集長・増田 剛)

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