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訪れる“風化”との戦い ― 被災地観光が力に(12/11・21付)

2011年12月16日
編集部

  2011年という年を振り返ると、3月11日に発生した東日本大震災のことが真っ先に浮かんでくる。数多くの観光関係者も被災された。震災直後から数日間は、新聞発行ができないのではないかと思う日もあった。

 3・11以降、生存者を瓦礫の中から救出するニュースや、大津波に浚われ、壊滅的な状況で泣き崩れる住民の映像をテレビ画面で見ながら、旅行の記事を書くのが辛かったことを覚えている。それは、お笑い芸人や音楽家、お相撲さんであっても同じような思いをしたのだと思う。横綱・白鵬関が「被災されて苦しんでいる人がたくさんいるのに、自分は土俵の上で相撲を取っていていいのだろうかと何度も自問した」というようなことを話しているのを見た。直接的に被災者に役立つ仕事をしている人以外は、多かれ少なかれこのようなジレンマを感じたのではないだろうか。

 しかし、被災者に飲料水やおにぎり、毛布などが届いた後には、傷つき、塞ぎ込んだ心を癒してもらいたいと、スポーツ選手や歌手らが被災地を訪れ、子供たちと触れ合ったり、お年寄りに言葉を掛けたりして被災者を励ます映像を目にするようになった。観光業界でも、震災から間もない時期に温泉を運び「温泉に入れたことで心までリラックスできた」と多くの被災者に喜ばれたという話も耳にした。客室を被災者に提供した旅館も数多くあった。それぞれの存在や仕事が時期こそ違えど、わずかではあっても、被災者に必要とされているんだと感じたのではないだろうか。私も震災から2カ月が経過した5月に被災地を訪れた。そのときにボランティアの若者が住宅地の瓦礫撤去に汗を流していた姿が眼から離れない。海辺の学校では、1階部分が津波で流されてしまい、人っ子一人いない校舎に言葉もなく佇んでしまったことも忘れることができない。被災者の表情、被災地の匂い、異様な静寂も。私は被災地を訪れたが、被災者に何か役に立つことができたわけではなかった。汗にまみれ、埃まみれのボランティアの若者と擦れ違ったとき、私は「申し訳なさ」を感じ、正直うしろめたかった。だが、それでも私は被災地に行って良かったと思う。これから訪れる“風化”という戦いに、あのとき眼に焼き付けた被災地観光がきっと役に立つと、私は信じている。

(編集長・ 増田 剛)

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