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〈会津復興ツアーレポート〉風評に向き合う会津の生産者

2011年10月3日
編集部

「安全とおいしさ届けたい」

 風評被害で観光客が激減している福島県・会津17市町村で9月から、「会津復興キャンペーン」が始まった。極上の会津プロジェクト協議会(会長=室井照平会津若松市長)とNPO法人素材広場(横田純子理事長)の主催で12月末まで実施している。「食べて応援、泊まって応援」を合言葉に、キャンペーンに参加する宿の宿泊者に抽選で特産品をプレゼントするほか、SNS(交流サイト)で応援メッセージを発信する県外客に対して、お得な「500円チケット」を販売するなど、「会津の応援団を募る」ユニークな取り組みもある。9月17、18日の両日、キャンペーンの一環で開かれた「会津復興モニターツアー」に参加した。今回のテーマは「食」と「宿」。訪れた先々は、震災前と変わらず、おいしいもの、安全なものをつくり、届けたいという生産者のひたむきな姿勢があった。
【鈴木 克範】

<新米送りだす努力>

 観光バスが会津盆地に入ると、黄金色の稲穂が実る水田地帯が広がっていた。休耕田にソバを植えているところも多く、白い花との対比やその先に望む磐梯山の美しい景色に目を奪われる。聞けば「あと1週間ほどで稲刈りが始まる」という。いつも通りののどかな景色のなかでコメ生産者の佐藤貴光さん(会津坂下〈ばんげ〉町)が迎えてくれた。

コメ生産者の佐藤貴光さん
コメ生産者の佐藤貴光さん

 津波被害や原発事故の影響で、今年は県下約1万5千ヘクタールの水田で作付けができなかった(JA全農福島)。これは約8万㌶の作付け面積(2010年東北農政局)を誇る福島の水田の2割に相当する。県産の新米収穫量が減るなか、「農協の仮払金(年間の価格変動を見越した一時買取価格)は高値の傾向にある」(佐藤さん)という。

 「自分の育てたコメは一番うまいと思う。値があがるのは喜ばしい」。佐藤さんはそう打ち明ける一方、「価格高騰で消費者に届きにくくなるのは本末転倒。値下げの努力も必要」という。おいしいコメを大勢の方に食べてもらうことを第一に考えている。

 新米のみずみずしさを保つ「籾殻(もみがら)保存」はその一例だ。この方法、かさばることに加え、生きた状態のため、そのままにしていると芽が出てしまう。いろいろ試したが、この難しい保管方法を採用した。

 新米の安全性について県は、収穫前は放射性物質濃度の傾向を把握する「予備調査」を、収穫後は放射性物質濃度を測定し出荷制限の要否を判断する「本調査」を、2段階で実施している。国の暫定規制値以下のものだけが市場に流通し、消費者に届く。

 出荷時期の早い「早場米」は安全が確認されすでに出回っているが、一般米も9月28日現在、会津坂下町など21市町村で出荷が認められた。10月上旬までにすべての市町村で検査を終える。 

<給食「牛乳」も再開>

 「会津べこの乳」のブランドで支持を集める会津中央乳業(会津坂下町、二瓶孝也社長)と酪農家の小池徳男さん(喜多方市)を訪ねた。

 3月21日、政府は福島県全域の原乳(乳牛から搾乳したばかりの牛乳)の出荷停止を指示した。県内の一部地域で基準値を超える放射性物質が検出されたことへの措置だったが、広い福島県全体を出荷停止とした。なぜ県単位なのか。多くの酪農家が戸惑ったという。

 会津地区はその後4回検査を実施。すべて規制値以下だったことから、4月8日に出荷制限が解除された。6月以降は、「原乳を生産する」県下すべての市町村で制限が解かれた。

 だが、制限は県単位、解除は市町村単位で行ったことでの歪みも生まれている。原乳生産者がいない会津若松市などは、検査対象がなく、未だ出荷制限が解除されていない。「これでは風評を助長しかねない。原発被害に苦しむ酪農家や生産者の立場に立ったルール作りを」(二瓶社長)と訴える。

会津中央乳業の二瓶社長
会津中央乳業の二瓶社長

 会津中央乳業は、会津地区で唯一の乳業工場だ。昔は15社ほどあったが今は孤軍奮闘している。通常、原乳は酪農家から、タンクローリーでクーラーステーションと呼ばれる集乳施設に集められ、工場に運ばれるが、同社には酪農家から直接原乳が運ばれる。どの牧場の原乳か、生産者を追跡できる仕組みを採用している。

 看板ブランドの「べこの乳」(牛乳)は、生乳本来の風味や甘みを生かすため、一般的な超高温殺菌(130度、2秒間)ではなく、85度15分間という殺菌方法を採用している。二瓶社長は「なべで沸かして飲んだ懐かしい味」と表現した。

 原乳が出荷制限された時、生産も危惧された。だが、病院などで牛乳の需要はあった。急きょ岩手県から原乳を調達し、ブランド名を外し、供給を続けたという。原乳の出荷制限が解かれ「べこの乳」の生産は再開したが、未だに都内小売店で販売自粛が続いている。

 ただ、明るい材料もある。学校給食には同社の牛乳が並ぶようになった。地域需要に即応する企業努力は住民に伝わっている。

 小池徳男さんは、会津中央乳業へ原乳を届ける生産者の1人。牛舎には35頭の乳牛と18頭の育成牛(子牛)がいる。乳牛は、放っておくと乳房に炎症を起こすため、毎日の搾乳が欠かせない。出荷停止後は、原乳を捨てる日が続いたという。それでも「会津は早期に制限が解除された方」と県下の酪農仲間を気遣う。

 取材当日は30度を超える夏の暑さ。「牛たちは暑さが苦手」と常に牛舎に気を配る姿が印象的だった。

<農家ごはんで一息>

 風評被害に立ち向かう生産者の現実を取材する合間、会津若松市内の簗田(やなだ)麻子さんのモモ畑で、農家の朝ごはんを頂いた。

 簗田さんの自宅から、モモ畑へは水田や畑のなかを歩いて10分程度。会津ならでは清々しい朝の散歩だ。簗田さんは夫とおばあちゃんの3人でトマトやキュウリ、ナシ、スイカ、コメなどを育てている。そんなにたくさんと聞くと「それぞれに得意、不得意があります」と笑う。

 モモの木の下には、おにぎりやキュウリの一本漬など、シンプルな料理が並ぶ。育てた本人と一緒に囲む、贅沢な食卓だ。

<食と漆器の饗宴提案>

 1日目の夕食は東山温泉の原瀧が会場。「食と器の饗宴」と題した提案を行った。各所で眠っていた会津漆器を会場に持ち寄り、創作料理の器として活用。黒や赤を基調とした会津漆器が、料理に彩りを添えた。

 会津漆器は木地(素地)、塗、加飾(蒔絵や沈金)というそれぞれの生産工程で専門の職人がいる。生活様式の変化に伴い、生産量は減少しているが、「会津の漆器は生活漆器」(丸祐製作所の荒井勝祐さん)、土産物だけでなく、会津旅行のなかで漆器に触れてもらおうと、新しい宴席スタイルを提案した。

会津漆器と創作料理の饗宴
会津漆器と創作料理の饗宴

 料理を担当したのは山際食彩工房代表の山際博美さん。素材広場の立ち上げ時のメンバーで、農林水産省の地産地消の仕事人にも選ばれている。会津地鳥のゆったり蒸しや磐梯鱒のマリネ、枝豆の掻き揚げなど、会津地区17市町村の食材を使った創作料理を披露した。

<信頼や興味が動機に>

 福島県では、ホームページで、観光地ごとの放射線量(http://www.tif.ne.jp/senryo/)や農産物のモニタリング情報(http://www.new-fukushima.jp/monitoring.php/)を分りやすく公開している。国の基準に対して、県下はどうなのか。消費者が知りたい情報を簡単に検索できるようにした。

 今回の1泊2日のモニターツアーで活躍したのは内閣府の「地域密着型インターンシップ研修」事業で素材広場に集まった12人の研修生たちだ。愛媛や新潟、京都、大阪、愛知など、県外から学生たちが会津に集まり、生産者や宿泊施設という現業を通して地域活性化を学んでいる。

 「我われは普段通りの生活をしている。本音を言えば復興や支援ではなく、会津の魅力を伝えて大勢の方にお越しいただきたい」。行程中そんな声も聞いた。ツアーでは、生産者の取り組みを通じて、現状を伝えるとともに、伝統工芸を生かした新しい提案もあった。インターンシップ生の例など、生産者への信頼や、新しいもの、取り組みへの興味が会津をはじめ福島県へ出向く動機になればと思う。

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