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そこに住む人々の営みの力 ― 旅人を温かく包み込み、癒しの効果を

2017年9月11日
編集部

 旅の素晴らしいところは、束の間でも、緊張した、あるいは退屈した日常生活から離れることができることだ。

 けれど、日常生活から離れることは、そう簡単ではない。大きなエネルギーが必要である。心や体が本当に疲れきっているときには、旅に出ようという気分にさえならない。

 「疲れたから旅に出たいな」という言葉をよく耳にするし、自分もしばしば口にする。しかし、旅への欲求の強さは、エネルギー残量が多いことなのだと、最近感じている。放出すべきパワーの出力系統のつながりが悪く、加熱している状態をイメージする。

 旅はそのような蓄積されたパワーを一瞬にして開放する力を持っている。圧倒的な景色と、自分の内的なエネルギーとのパワーバランスが拮抗した瞬間、得も言われぬ快感を覚える。

 一方、物事をじっくりと考えたいために、旅への欲求が高まることもある。

 何かを忘れ去りたいときには、美しく強烈な風景は効果的だが、ぼんやりと考え事をするには、実は、ありふれた長閑な風景がぴったりなのだ。自分の心理状態によって浸りたい旅先の風景も変わってくるのが面白い。

 旅先の宿も、眺めが良い部屋は人気が高いし、料金も高い。

 旅館やホテルは、景勝地に建っていることが多いので、「ぜひ当館にお越しいただき、秋の湖に映える紅葉を存分にご覧になって、くつろぎの時間を……」などと旅情を誘う。

 だけど、特筆すべき景観を持たない旅館やホテルもたくさんある。そのような宿は、「板前が腕をふるって美味しい料理を提供します」「心からのおもてなしを堪能してください」といったように、旅人を迎え入れる工夫や努力をされている。カーテンを開き、窓から見える景色には、大海原も、雄大な山々もない。ありふれた雑木林だが、それが心落ち着くことがある。

 私はクルマの免許を取った21歳から、とくに目的地もなくドライブをするのが好きだった。当時は、安アパートの一室に住んでいたので、当然クルマもない。だから、アルバイトをしてそのお金でレンタカーを借りた。そして、ひたすら走り続けるのである。その当時走った道は、今でも記憶に残っている。

 岐阜県の細い国道や、栃木県の古い街並みなども印象的だった。別に取り立てて有名な場所ではない。通り過ぎただけだ。それら小さな町の名前すらも覚えていない。ただ、ゆっくりと流れる景色を眺めながら、考え事をしていた。

 今よりもずっと若く、日本のほとんどの町は、初めて訪れる場所で、旅の良さに気づいた時期でもあった。

 先日、取材で福島県を訪れた。道すがら、どこにでもあるような小さな町をクルマの助手席で眺めていると、なんとなく癒されていくのを感じた。田んぼが広がり、民家と崩れそうな納屋が並び、犬が吠え、老人がゆっくり自転車であぜ道を走るような道。

 私はそのとき、ふと気づいた。綺麗な景色が続くが渋滞する有名観光ルートよりも、どこにでもある長閑な道に心魅かれる理由を。それらの道には、そこに住む人々の営みのパワーが微量に放出しており、強い主張もせず、旅人を温かく包み込み、“癒し”の効果を与えてくれるのだ。

(編集長・増田 剛)

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