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不快を許さぬ旅人 ― 旅先で完璧な快適さはありえない

2014年10月21日
編集部

 9月27日の御嶽山の噴火は戦後最悪の火山災害となってしまった。突然の噴火で、亡くなられた方々もまさか御嶽山が噴火するとは、思ってもみなかっただろう。10月16日現在、死者は56人。年内の捜索は打ち切りとなった。

 私事であるが、小さなころから阿蘇山の火山シェルターは何度も見てきた。このシェルターが必要な状況を想像すると、子供心に恐怖心が襲ってきたことを強く覚えている。

 気象庁によると、現在日本の活火山は110あるという。2000年には北海道の有珠山が噴火し、洞爺湖温泉など周辺の観光地に大きな影響を与えたことを思い出した。専門家によると、有珠山は噴火の予知がしやすい山だということで、早めの避難誘導も行われ、観光客や住民などの人的被害はなかった。

 火山は、温泉や観光資源として、地域や観光業界に多くの恵みを与えてくれるが、人間の営みは地球のごく表面的なものにすぎず、旅人も、観光産業も、あまりに小さな存在なのだと、改めて認識させられた。

 私自身、旅は好きなのだが、旅立つことは同時に憂鬱でもある。それは火山や地震など天災に限らず、事故や事件など人災も含めて、「旅は基本的に危険なものである」と感じているからである。

 現在のように交通が発達していなかった江戸時代やそれ以前も、旅は常に危険と隣り合わせであった。未知の世界を知ることができるトキメキもある一方、旅立つ際には今生の別れも意識していたはずだ。今でも、多くの旅行者は海外旅行に行くときには犯罪に巻き込まれることや、病気にかかってしまうことなどを想像し、楽しみな半面、少なからず不安な気持ちも持ち合わせるだろう。

 しかし、例えば添乗員付きの高額ツアーなどに参加した場合、何から何まで安全が保証されていると勘違いし、安心し切っている旅行者もいる。外国を移動中のバスの中でもまるで日本にいるように安心してしまう。「高額ツアーなのだから安心」という気持ちが勝り、初めて訪れる市街地や海であっても、身の安全を旅行会社やガイドに完全に委ねてしまうという勘違いが起こりがちだ。

 海外旅行ですらそうであるから国内旅行といったら、安心し切っている旅行者をよく見かける。しかし、国内といえども旅はやはり危険なものである。旅人は常にアウェイの状況であり、災害が生じたとき、その土地を熟知する住民に比べ、旅行者は圧倒的に不利なのである。

 宿泊した宿でちょっとした粗相にもクレームを付け、大きな態度で接する旅行者もいると聞く。悪質なクレーマーを除いても、「高額な料金を払ったのだから、この旅は快適で・安全で・安心でなければならない。少しも不快な思いは許さない」という思い込みが強すぎる場合もある。旅先で完璧な快楽や快適さを求めるには無理がある。所詮旅は不確実で、思い通りにならないものという観念が抜け落ちている。この基本的な認識すらない旅人は、罪である。危険な道中を無事に過ごし安全に旅ができたことへの感謝の気持ちと節度が旅人には必要である。また、危険な旅をしてまで訪れてくれたと旅人をもてなす宿の気持ちがぴたっと合ったなら、それこそ、両者にとってこのうえもない幸せな瞬間なのだと思う。

(編集長・増田 剛)

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